吉永小百合、松原智恵子とともに〝日活三人娘〟として絶大な人気を誇り、庶民派として愛された女優が7月31日の誕生日を前に77歳で浄土へと旅立った 和泉雅子(女優)
プロマイドで綴る わが心の昭和アイドル&スター
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
7月9日、女優・和泉雅子が77歳で逝った。7月31日には78歳の誕生日を迎えるはずだった。7月19日付のスポーツ各紙は、和泉雅子の死去を大きく報じた。和泉雅子の肩書は俳優、冒険家となっている。和泉雅子と言えば、「地球の〝てっぺん〟に立ちたい」と北極点への挑戦を思い立ち、1985年の一回目の挑戦ではゴールを目前に断念したが、4年後に再度挑戦し、海氷上から日本人女性として初めて北極点到達を果たしたことで、女優より冒険家としてのイメージが強くなったが、ここでは女優・和泉雅子の足跡をたどってみたい。
©マルベル堂
スポーツ各紙の中で、スポーツ報知は都内でのコンサートの開演前の舟木一夫に電話取材を実施し、6段抜きで取り上げている。和泉雅子と舟木は、日活で64年の『あゝ青春の胸の血は』を皮切りに、『北国の街』、『高原のお嬢さん』、『哀愁の夜』、『友を送る歌』、『絶唱』と66年までに6本の映画で共演している。雑誌のグラビア撮影や対談などで一緒になることも多く、その後も会えば「舟木くん」「マコちゃん」と呼びあう仲だった。
記事によると「悲しい、とかでもないんだけど涙が出る。青春の一部だからね。思い出というより、そのものだから……。勝手にサッサと逝っちゃってさ」と舟木は声を詰まらせながら思いを語り、喪失感を口にしたという。そして共演作の中でも和泉にとっても舟木にとっても代表作のひとつと言える悲恋映画『絶唱』の歌唱について、「(きょうの)コンサートで『絶唱』を歌おうか外そうか迷っている。お客様も聴くとつらいかもしれないし、きょうはどうしていいか分からなくて……」と迷っていた舟木だが、『絶唱』をはじめ和泉との共演作の楽曲も予定通り披露したということだ。どんな思いで歌ったのか、その心中は察するに余りある。
〝日活三人娘〟と言われた吉永小百合と松原智恵子も、さらに共演作の多い高橋英樹も追悼の言葉を寄せている。同じ時期に日活撮影所で青春のときを過ごした同年代の仲間たちにとって、末っ子的存在だった和泉雅子。つらい別れである。
日活映画時代の和泉雅子を語れば、舟木との共演作以外にまず挙げられるのが63年に公開された浦山桐郎監督の『非行少女』だろう。作品は、ソビエト連邦時代のモスクワ映画祭で金賞を受賞しており、審査員を務めたフランスの名優ジャン・ギャバンが「この子はすごい」と称賛したのは有名な話だ。63年のエランドール新人賞を加賀まりこ、北大路欣也、高田美和、高橋幸治、中尾ミエ、中川ゆきらとともに受賞している。ちなみに本作で共演した浜田光夫は前年に受賞している。
高橋英樹共演の『男の紋章』シリーズや、後に山口百恵主演でリメイクされた『エデンの海』、吉永小百合、十朱幸代、山本陽子、浜田光夫、山内賢、舟木一夫ら日活青春スターがそろった『花の恋人たち』も記憶に残る。また、石原裕次郎、浅丘ルリ子、高橋英樹、浜美枝、浜田光夫、中村嘉葎雄、岡田英次、島田正吾、辰巳柳太郎ら出演の『昭和のいのち』、吉永小百合、浜田光夫、和田浩治、二谷英明、乙羽信子、東野英治郎、中村翫右衛門ら出演の『あゝひめゆりの塔』、映画人に加え民藝、俳優座、文学座などの豪華な新劇の俳優陣が顔をそろえた『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』などの大作にも出演していた。『~愛と悲しみの山河』には女優陣だけでも浅丘ルリ子、吉永小百合、佐久間良子、栗原小巻、岸田今日子らが出演していた。
日活映画では、和泉雅子といえば妹的な、末っ子的な存在で、『若草物語』では芦川いづみ、浅丘ルリ子、吉永小百合の四姉妹の末っ子だったし、『青春の海』、『花ひらく娘たち』では吉永小百合の妹役、『光る海』では十朱幸代の妹役だった。銀座生まれ・育ちの都会っ子で、人懐っこくて庶民的で明るいキャラが末っ子という役にはまったのだろう。
テレビドラマや舞台で、女優・和泉雅子が語られることが少ないので、追悼の想いを込めてテレビドラマや舞台作品にも触れておきたい。テレビドラマで印象に残っているのが石井ふく子プロデユーサーとの仕事である。まず、68年に単発時代の日曜劇場(当時は東芝日曜劇場)で前・後編で放送された「正子絶唱」。65年に20歳で夭折した天才詩人と言われた片山正子の自伝のドラマ化で、難病から片足を切断した正子が、同じように片足を切断した喜劇王エノケンこと榎本健一をはげましたエピソードをエノケン自身の出演でからめながら、最愛の恋人を得ながらも若くして亡くなる人生を描いている。和泉雅子にとって、片山は女学校の先輩であり、本作が和泉の最初のテレビドラマ出演でもあったことから、印象深い作品だったと後に本人も語っている。乙羽信子、児玉清、石坂浩二らが共演した。
日曜劇場では池内淳子と姉妹を演じた太宰治原作の「魔笛」、香川京子と姉妹役の「姉と妹」、杉村春子、山岡久乃、奈良岡朋子が三姉妹で、その姪を和泉が演じ74年から93年まで16本が放送された人気シリーズ「おんなの家」、そして日曜劇場ゆかりの女優陣総出演とも言える1200回記念「女たちの忠臣蔵」にも出演している。
日曜劇場以外でも婦人警官を演じた「ありがとう」の第一シリーズ、同じくTBS木曜20時枠の連ドラの京塚昌子、長山藍子、草刈正雄、杉村春子、山村聰、大竹しのぶら共演の「ほんとうに」、山岡久乃、山村聰、小野寺昭、音無美紀子、中田喜子、奈良岡朋子、草笛光子共演の「愛」、大原麗子、山口崇、あおい輝彦、芦田伸介、香川京子、水谷良重(現・八重子)共演の「おはよう24時間」と、石井組女優と言っていいほど石井プロデューサーに可愛がられていたようだ。
石井プロデュース以外のドラマでは、68年にNHKで放送された石坂浩二、田村正和共演の石坂洋次郎原作「陽のあたる坂道」、同じく石坂洋次郎原作で映画でも主演した作品を連ドラ化した「花と果実」。映画での相手役は杉良太郎が、テレビでの相手役は関口宏が務めた。
多くのテレビドラマに出演する中、それまでとは違って和泉雅子の中に〝女〟を感じさせられたドラマが2つある。平岩弓枝脚本のサスペンスドラマ「青い華火」では、和泉は平幹二朗の妹役でキーパーソンを演じていた。浜木綿子、松原智恵子ら女優たちの火花散る演技が見ものだった。女優たちの共演でいえば78年の「舞いの家」がある。立原正秋の原作で、能楽の宗家に生まれたヒロインが自分を裏切った夫を愛するが故に追い詰め破滅していく壮烈な愛を描いたドラマで、ヒロインを佐久間良子、夫を伊藤孝雄、愛人を梶芽衣子が演じ、和泉が演じたのはヒロインの妹で姉の夫を慕い、愛人の友人でもあるという役柄。和泉の役も含めて、登場する女性すべてが怖かった。
和泉雅子は実は舞台にも数多く出演している。ここでは劇場別に思いつくまま紹介してみる。まず、東京宝塚劇場では73年に長谷川一夫主演の『或る夜の殿様』に有馬稲子とともに出演している。74年には京マチ子、片岡孝夫(現・仁左衛門)、中村翫右衛門ら共演の井原西鶴の『好色五人女』、76年には植木等、益田喜頓、伊東四朗、水谷良重(現・八重子)共演のコメディ『大江戸三文オペラ』と、日活映画では和泉雅子の活躍の場がなくなってきた時代と重なる。
同時期に帝国劇場の舞台にもたびたび出演している。75年に平岩弓枝が脚本を手がけた『鶴亀屋二代』では森繁久彌、京塚昌子、山岡久乃、堺正章らと共演。77年にはやはり平岩弓枝が脚本を手がけた『新・台所太平記』で十七代中村勘三郎、新珠三千代、京塚昌子、井上順、山本學らと共演。79年の小幡欣治作・演出の『女の園』では山田五十鈴、新珠三千代、岡田嘉子、中村勘九郎(後に十八代勘三郎)、吉田日出子らと。そして、80年、84年、96年にはドラマでも好評だった『女たちの忠臣蔵』を石井ふく子自身の演出で舞台化し、山村聰、草笛光子(大石りく役で、84年と96年にはテレビ同様池内淳子が演じている)、山田五十鈴、香川京子、大空眞弓、松原智恵子らとともに和泉も出演。日本舞踊の花柳流の名取であり、長唄、小唄、鼓も嗜み、合気道まで初段の和泉は、着物がよく似合う。そして、時代劇での所作や立ち姿が美しい。
78年の谷崎潤一郎原作、平岩弓枝の脚本・演出による『鍵』(新珠三千代共演)を皮切りに芸術座の舞台にも立っている。96年は池内淳子、長山藍子と三姉妹を演じた『おんなの家』、98年には竹下景子と共演の『お入学』、2001年には京マチ子、山田五十鈴と共演の『夏しぐれ』。いずれも石井ふく子が演出を手がけている。
紹介した三劇場以外でも数多くの舞台を踏んだ。長谷川一夫、十七代中村勘三郎、山田五十鈴、森繁久彌、京マチ子、新珠三千代など、日活時代には出会うことのなかった名優たちとの仕事は、和泉雅子の芸を大いに磨いたに違いない。和泉雅子は、いつのまにかしっとりとした情感をも醸し出す女優になっていた。
冒険家という肩書が先に立っているようだが、和泉雅子は確かに昭和の芸能史に刻まれる女優である。今年、和泉雅子のほかにも、いしだあゆみ、藤村志保、山口崇ら昭和40年代のテレビでぼくたちを楽しませてくれた人気者たちが旅立ったが、テレビに映った彼らの姿は今でも鮮明に浮かび上がってくる。久しぶりに、和泉雅子が日活時代に山内賢とデュエットした「二人の銀座」を聴きたくなった。
文=渋村 徹
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
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