【SPACの「象」】 「被爆者」というベールが徐々に取り払われていく
静岡新聞論説委員がお届けするアート&カルチャーに関するコラム。今回は静岡市駿河区の静岡芸術劇場で12月7日に開幕する静岡県舞台芸術センター(SPAC)の「象」(ゲネプロ)を題材に。故・別役実が、後に初代SPAC芸術総監督となる鈴木忠志さんらと新劇団「自由舞台」を結成した際、旗揚げ公演の作品として書き下ろした1962年の作品。SPAC版はEMMAさんの演出。月が浮かぶ舞台に簡素なベッドが一つ。横たわる男「病人」は被爆者で、かつては背中のケロイド(被爆による傷跡)を多くの人に見せびらかすことである種の「承認欲求」を満たしていた。だが今はそれもままならない。「病人」を演じた阿部一徳さんの長ぜりふは妄想めいているが、らんらんとした目の輝きからは何かを成し遂げたいという強い情熱が伝わる。 「病人」には「甥」がいて、彼もまた原爆の後遺症が疑われる症状が出ている。劇中で展開される「病人」と「病人の妻」、「甥」の対話が進むにつれ、同一化、グループ化しがちな「被爆者」たちそれぞれの思考のズレ、ひずみ、隔たりが広く、深くなっていく。 当たり前の話だが、人はそれぞれ、生への向き合い方、死への向き合い方、さらには社会への向き合い方に違いがある。それを覆い隠していたのが「被爆者」というベールなのだろう。そしてこのベールはあくまで外的要因(戦争、為政者、原爆投下、米国…)によるものであって、個人の内的資質とは関係がない。 舞台上でベールが徐々に取り払われていく。むき出しの人間性が表出する。だが、その人間性は生来のものではなく「ベールに覆われていた時間」の影響を大きく受けている。当然のように生まれるあつれきと誤解。もしかしたら、客席でこれを見る人たちは「戦争の火種」を目の当たりにしているのかもしれない。 阿部さん、そして「通行人」を演じた渡辺敬彦さんの、高齢であろう人物を演じる技術に感服した。寝ている状態から体を起こし、ベッドのへりに両手でつかまり、左足を半歩前に、さらに右足を引きつけて…。阿部さんは「病人」の体の不自由さを、高い身体能力で表現している。「高い身体能力」と書いたのは、最後の場面のせりふ発声にも現れている。全く不自然には感じないが、「あの」態勢から客席に届く声が出てくるのは驚異的。 渡辺さんはステッキをついて、ある程度軽やかに足を運ぶが、上半身と下半身の連携が取れていないかのような歩き方が秀逸。大きく手を振り歩を進める。だがそれほど足はついていっていない。首が前に出ていて、それが故に背中が曲がる。ステッキに両手を突いて話す際は、しばしば右肩が上がる。細部にわたって検討された描写だ。このお二方の「老い」を目撃するのは、この演目の妙味の一つだろう。(は) <DATA>■SPAC「象」会場:静岡芸術劇場住所:静岡市駿河区東静岡2-3-11 開演日時:12月7日(土)午後6時半 12月8日(日)午後2時 12月14日(土)午後2時 12月15日(日) 午後2時上演時間:90分料金:一般 4200円、U25・学生(25歳以下および大学生・専門学校生)2000円、高校生以下1000円ほか問い合わせ:SPACチケットセンター(054-202-3399)※受付時間 午前10時~午後6時