菊之助が義太夫狂言の大役に挑み、右近と眞秀が曽我兄弟となり、獅童と松緑が長屋で大騒ぎ~『錦秋十月大歌舞伎』昼の部観劇レポート
2024年10月2日(水)、歌舞伎座で『錦秋十月大歌舞伎』が開幕した。午前11時開演の昼の部では、尾上菊之助が初役で勤める義太夫狂言『平家女護島(へいけにょごのしま)俊寛(しゅんかん)』、曽我兄弟を尾上右近と尾上眞秀が勤める舞踊劇『音菊曽我彩(おとにきくそがのいろどり) 稚児姿出世始話』、中村獅童と尾上松緑が生き生きと演じる『権三と助十(ごんざとすけじゅう)』の3本が上演される。
一、平家女護島
平家が隆盛を極めていた頃の物語。俊寛僧都(尾上菊之助)は、謀反を企てたとして孤島へ流罪になり3年。ともに流人となった丹波少将成経(中村萬太郎)、平判官康頼(中村吉之丞)は、海辺に建てた荒屋でなんとか暮らし、帰京の時を待っている。そんな3人にも明るい話題が。成経が地元の海女・千鳥(上村吉太朗)と夫婦になるというのだ。俊寛は自ら親代わりとなり、これからは4人家族も同然だと喜ぶのだった。
俊寛は、写真でビジュアルだけをみると仙人のおじいさんのようでもある。しかし、岩場の陰から登場した菊之助は眼光鋭く、高潔な心の謀反人なのだと印象付けた。成経が千鳥との馴れ初めを報告すると、客席は温かい雰囲気に包まれ、俊寛の表情もほころんだ。成経と康頼からは俊寛への極めて自然な、篤い敬意が感じられ、都にいた頃の雅やかな時間を想像させた。千鳥はこの島にもとよりいた娘。そして舞台上で唯一の女方。第一声から朝日のような明るさで、花道にパッと現れ恥ずかしがるようにすぐに消え観客の心を翻弄。皆をニコニコさせた。
4人は盃の代わりに鮑の貝殻、お酒のかわりに清水で祝言をあげる。良いことは続き、海の果てから船がやってくる。流人を都へ連れ帰る赦免船だ。手を取りあい喜ぶが、船から降りてきた使者・瀬尾太郎兼康(中村又五郎)が赦免状を読み上げると、そこに俊寛の名前はなかった。さらに丹左衛門尉基康(中村歌六)が降りてきて……。
瀬尾の杓子定規な対応は無慈悲なものだった。しかし、あくまで平家方の武将として任務に忠実な男であるに違いないと思わせる瀬尾だった。丹左衛門もまた職務をまっとうしつつ、状況にあわせ機転を利かせる。情に流されて……とは違う理知的な印象が、その他の登場人物たちのドラマを引き立てた。俊寛は都に残してきた妻を失ったことを知る。あれほど願った乗船を拒んだのは、千鳥たちへの情もあったに違いない。それと同等かそれ以上に、妻を失い脆く崩れた心からこぼれ落ちた、破れかぶれの無敵の強さに感じられた。そして登場シーンで目に光らせた反骨精神も入り混じっていたのではないだろうか。高潔さと“凡夫”を行き来し続けたラストシーン、俊寛の表情は、目線の先に広がる絶望的に果てしない海を想像させた。万雷の拍手と幕を引く音が、打ち寄せる波音のようだった。
二、音菊曽我彩
華やかな三味線と豊かな唄に彩られた長唄で幕が開いた『音菊曽我彩』。そこは紅葉の美しい箱根権現の社。
小林朝比奈(坂東巳之助)と秦野四郎(中村橋之助)、そして豪華な着物姿の傾城、大磯の虎(中村魁春)と化粧坂少将(尾上左近)が姿を現した。彼らは、工藤祐経のお供で箱根権現へやって来て天下泰平を祈り奉納の舞を披露する。
本作は、曽我兄弟が父の仇である工藤祐経を討つ「曽我物語」を題材にしたもの。兄弟がついに父の仇・工藤祐経と対面する場面を抜粋して舞踊劇として仕立てている。古典歌舞伎『寿曽我対面』でもお馴染みの人物たちが次々に登場する。
4人の舞は厳かで、まさに神事の始まり。心地よい緊張感に背筋が伸びる。魁春は舞台全体の格を上げ、橋之助はシャープな色気で爽やかな空気をまとい、左近は指先まで行き渡る美しさと若々しさで華を添えた。4人がつつがなく舞い納めた所で、巳之助の朝比奈が廓での惚気話をしはじめる。演奏のテンポもゴキゲンになり見ているだけで心が弾む。朝比奈の大きさとプライベートでの滑稽味ある一面を見るような楽しさだった。
そこへ若々しい声が響き渡る。曽我一万(尾上右近)と曽我箱王(尾上眞秀)だ。一万は曽我十郎の幼名、箱王は弟・五郎の幼名。花道に登場したふたりは『連獅子』(8・9月開催。右近の自主公演『研の會』にて)で共演したばかり。眞秀は右近の胸を借り、安心して舞台に集中できたに違いない。幼くともかたき討ちに燃える箱王として堂々と役を勤めた。右近はそれをまさに兄のように見守り支え、柔らかに一万を勤めていた。兄弟も加わった踊りは一層華やかさを増し、舞台全体が生き生きと輝く。そこに尾上菊五郎の工藤祐経が登場。富士山を背に、菊五郎は場内のエネルギーの流れを変えるような存在感と美声を放った。劇中では、今月10月2日に82歳の誕生日を迎えたことを祝した台詞もあり、ふたたび大きな拍手。中村芝翫の鬼王新左衛門も登場し、「大歌舞伎」と銘打つにふさわしい層の厚さの一幕は、これからの世代の希望に満ちていた。歌舞伎の様式美が際立つ幕切れに、惜しみない拍手が送られた。
三、権三と助十
明治生まれ、戦前に活躍した岡本綺堂(おかもときどう)の新歌舞伎だ。
舞台は、神田橋本町の裏長屋。名奉行・大岡越前のお裁きを背景に、駕籠舁権三と助十たちが事件解決に挑む! といってもヒーローや侠客のような主人公がいるわけではない。
権三(中村獅童)は昼から酒を飲み、長屋のイベントをさぼるし、直情的で危なっかしい。助十(尾上松緑)は頼もしいアニキのようでいて、慎重さゆえの臆病なところがある。かと思えばヤケッパチになるのでやはり危なっかしい。ふたりとも姿、顔、声に威勢まで良いというのに、ヒーローにはなりきれない。そんなふたりのダメさを隠しも恥もしない清々しさと、ダメだからこその愛嬌に心を掴まれた。坂東亀蔵による助十の弟分・助八は弾けるように元気な弟分。襲名公演以来初の歌舞伎座となる中村時蔵の権三女房おかんは、さすが吉原出身の佇まい。うちわを動かすたび、扇ぐ風に色気がのっていた。権三夫婦や助十と助八の騒々しい喧嘩は、立て板に水VS立て板に水で不思議なほどに爽快で、笑いと拍手がひっきりなしに起きていた。
この日は、当時の夏の風物詩、年に一度の井戸替えだ。長屋の人々が総出で花道までめいっぱい広がり、がやがやと綱を引く。願人坊主や猿廻しも参加して、歌舞伎座に江戸庶民の日常や夏の暑さが再現された。そこへ上方なまりの若者、小間物屋彦三郎(尾上左近)が現れて人情喜劇とは一味違う空気が流れ出す。
彦三郎が家主六郎兵衛(中村歌六)に事情を打ち明けるとき、騒がしさがすーっと引いて物語に引き込まれていく感覚が心地よかった。ふたりの会話が続くうち、おかしみのある演出が加わり飽きさせることなく展開。事態は穏やかではない方向へ……。
中村吉之丞の左官屋が空気を一変させ、河原崎権十郎の役人や中村東蔵の小間物屋主人が短い登場ながらも芝居の風情を濃厚にした。観客を大いに楽しませたのは、ふとした瞬間に差しはさまれる獅童や松緑、亀蔵、時蔵、松江たちによる絶妙なアドリブ。脱線も本線に戻るのも一流の職人技で、登場人物たちの関係性がより密に描き出されるようだった。この幕にスーパーヒーローは出てこない。しかし家主のおかげでひとつになり(作戦も芝居そのものも!)皆が立ち上がる様子は、予想外にどたばたしても強くて明るくて格好良かった。何より楽しかった。“庶民”といわれた一人ひとりがこの時代、この町を作った主人公だったに違いない。
「昼の部」は、重厚な義太夫狂言から華やかな舞踊、めいっぱい楽しい新歌舞伎と、作風も喜怒哀楽も豊かにつまっていた。『錦秋十月大歌舞伎』は10月26日(土)まで歌舞伎座で上演。
取材・文=塚田史香