【インタビュー】新国立劇場『消えていくなら朝』蓬莱竜太×大谷亮介×関口アナン~私戯曲的な内容の話題作が作家自身の演出で待望の再演
蓬莱竜太が2018年に新国立劇場に書き下ろし、私戯曲的な内容が話題を呼んで、第6回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞を受賞した『消えていくなら朝』が、このほど蓬莱自身の演出により、2025年7月10日(木)~27日(日)に同じ新国立劇場 小劇場で再演される。家族と距離を置いていた劇作家の「僕」とその家族を巡る一晩の物語。今回は、小川絵梨子・新国立劇場演劇部門芸術監督がその就任とともに打ち出した支柱の一つ、すべての出演者をオーディションで決定するフル オーディション企画の第7弾でもある。作・演出の蓬莱と、出演の大谷亮介・関口アナンの三名が、本作について語ってくれた。
――今回、フルオーディション企画となっていますが、蓬莱さんは演出としてどのような思いでオーディションに臨まれたのでしょうか?
蓬莱 新国立劇場のフルオーディション企画には、以前から興味を持って見ていました。劇場で舞台を上演するというコンセプトの中で、役者さんたちにとってもいろいろなチャンスがあり、開けた企画だなと。幅広い層の役者さんに出会えるっていうのは喜びでもありましたが、逆に選ぶ難しさもありました。実際2,000人以上の人が応募してくださって、どういう基準で次の審査に進ませるのか? どういう基準で落とすのか? 役によってもまた違ってきますし、そういう”決め方”みたいなものはすごく苦労した覚えがあります。
今回、「家族」を構成するにあたって、さまざまな世代の役がありますけど、役によって応募の数のバラツキもあったりしたわけです。役ごとに見ていくと、いろんな可能性が見えてきて、最終的に家族のバランスを見た部分もあって、なのですごく良い芝居をなさっていて、一緒に仕事をしたいなと思っても、バランスという部分で「また次の機会に…」となることもありました。ただ、僕にとっても、次にまた何かをやる時に頭をよぎる役者さんだろうなという思いもあったりして、すごく良い財産になったというのが率直な印象です。
――大谷さん、関口さんはどのような思いでオーディションに?
大谷 僕は事務所に言われて(笑)。「行ってこい!」と。いや、前から(オーディションの存在は)知っていたし、周りに出ている人もいて、自分も「やりたいな」と思っていたけど、どうやってやるのか全然知らなかったんです。
――そもそも大谷さんの立場で、オーディションを受ける機会というのは普段からあるんですか?
大谷 歳を取るとオーディションの話自体がなかなか来なくなりますよね。若い人に向けてという部分も多いですし。でも自分は「面白そうだな」と思っていました。実際、やってみて面白かったですね。共演しない限りお目にかかることがないかもしれない俳優さんともご一緒できるわけで、「こういう方もいらっしゃるのか」、「演劇をこういうふうにやる人もいるんだ! なるほど」と思ったり、いろんな人を見られて良かったです。
関口 僕は今回で(新国立劇場のフルオーディション企画を)受けるのは3回目だったんです。1回目も2回目も、どちらも途中で落ちていまして。
もともと蓬莱さんの作品が好きというのもあって、今回は(企画を)見た時に「これはもう絶対受けよう!」と思って受けました。でもまず書類選考を通らないと意味がないので、応募書類の最後の一文に「これを出した後、神社にお参りに行ってきます」みたいなことまで書いて(笑)、「とにかく書類は通ってくれ!」と思っていたら、「通りました」という連絡が来ました。そこから一次選考、二次選考とあったんですけど、毎回「セリフは覚えて来なくて大丈夫です」って言ってくださるんですよね。そこを見ているわけではないと。でも、僕は根が曲がっているのか「そんなわけない!」と思っていて(笑)、あとは単純に自分がやりづらいっていうのがあって、なるべく覚えて行こうと。選考が始まってからは、この作品のことばかり考えていました。
――このフルオーディション企画で、2018年に書き下ろした戯曲を自らの演出で上演することになった経緯についても教えてください。
蓬莱 フルオーディション企画のお話をいただいて、何本か候補の作品があって、当初はこの作品は候補に入ってなかったんです。小川(絵梨子/芸術監督)さんから「この中に興味のあるものはありますか?」という感じでいただいて、読ませていただいて、非常に興味深い作品もあったんですが、どこか自分の中で、フルオーディションをやるっていう意味で、もう少しチャレンジングなことはできないか? という思いがありました。
そこで「他に何かありますか?」と返したら、『消えていくなら朝』はどうか? というお話がありまして。この戯曲は、僕は自分で演出しないというのを前提に書いたものでしたし、自分が演出しないからこそ書けた作品であったっていうのが正直、ありました。それをあえて演出を含めてやってみないか? というお話が来た時に、すごくチャレンジングな気持ちになったし、すごくドキッとしたというか、そういう意味では一番やりがいがあって、僕にとっても挑戦なのかなっていう気持ちになって「ぜひこれをやらせてもらいたい」と言いました。
――ご自身やご自身の家族を色濃く投影した作品であり、劇中の“僕(定男)”は蓬莱さん自身と言える登場人物ですが、それを関口さんに任せるにあたって、決め手となったのは?
蓬莱 オーディションを見ていて感じた「劇作家である」という匂いっていうんですかね…? みなさん、当然ですが役者さんであり、特に世代としても30代後半とか40代の役者さんって、作家っぽくないんですよね、当然なんですけど。なんかエネルギーがあるんですよね(笑)。もう少し作家って元気じゃないというか、決してアナンが元気じゃないっていうわけじゃないんですけど(笑)。どこか「ナナメっている」感じというか、ナナメでありながらも、決して反骨しているわけでもなく…。やっぱり“匂い”がすごく大事な役だと思ったし、オーディションを進めながら、確かにこの役は、役者がやるのが難しい役だなと感じて、自分の中に焦りも出てきて「本当にいるんだろうか? 僕の見方が間違ってるのかもしれない」と思い始めた時に、ひょっこり彼が現れて「ぽいなぁ…」と思ったんです。
自分のことでもあるんですけど、この役って決して立派な人間ではなくて、すごく人間的で、なおかつ作家だからこそ、どこか自然に物事を斜めに見てしまっているところがあるんです。アナンを見た時、それを明らかに自然に持っている匂いっていうのを感じて「いた!」と思いましたね。その「いた!」って感じはすごく覚えてます。
関口 いま初めて聞きました(笑)。余談ですけど、受かった直後に、「モダンスイマーズ」の劇団員の方から「アナンって確かに若い時の蓬莱に顔が似てるよね」と言われて、「え? そういうこと?」みたいに思ってたんですけど、蓬莱さんから「いや、そういうことじゃないよ」と言われて、「じゃあなんだったんだろう?」と思ってました。
そんなに「(物事を)斜めに見ている」とかあるのか…(笑)? でも、さっきも話に出た(覚えてこなくていいと言われた)台本を意地でも覚えていくみたいなところとか、そういう部分があったりするのかもしれないですね。
蓬莱 もうずいぶん前なんですけど、昔会ってるんですよね、飲み屋で。その後、芝居も見ているんですけど、それからもう10年ぐらい経っていて、もちろん覚えていて「あの時の彼だ」と書類を見て理解はしてたんですけど、芝居が始まった時に「こんな役者だっけ?」というか、僕の印象として、10年間でずいぶん変わったなと思って「良い感じに斜めってきたな…」というのが印象的でしたね。
――父役に大谷さんを選ばれた経緯についても教えてください。
蓬莱 僕の中では、“僕”の役と父親役が一番難しかったんですね。特にお父さんというのは、もちろん自分の父のイメージがちらついているからなんですけども、この家族というのは、お父さんが軸に全て動いているところがあって、ある意味で家族の中でカリスマ性を発揮していて、兄貴とか妹はそれに付いて行っているところがあるんですよね。「親父との距離がどこにあるのか?」ということが、それぞれの家族のキーポイントになってきてるんですね。
「吸引力を持っている」ということは、すごく大事なことで、そこに抗おうとしている“僕”でさえも、ある種の吸引力を認めざるを得ないという。ただ重厚なだけでもないし、清濁併せ呑むような魅力が必要な役で、性格も含めてそういう人間の骨格みたいなものを形成しているイメージの匂いというのがすごく大事な役なんですね。
大谷さんは、「まだ男でもある」という匂いを持っていて、“なにか”があるんですよね、自分の哲学とか演劇に対する考え方とか、それはその時代を生きた俳優さんの持っているものなんでしょうね。今回、その力を借りたいという思いがあって。
大谷 ありがとうございます(笑)。まず“父親”ということで、家族に対して「こうしなきゃいけない」とか「こうすべき」とかちゃんと考えている男ですよね。まずは父親ということについて、考えています。それは楽しいですね。
家族が集まって、レイというお客さんもいて、そこでいろんな人間関係のこととか昔の話になって。そこでちゃんとバランスを取りつつ、しゃべるべき時にしゃべるといったことをきちんとやっている人間ですよね。と言いつつ、つい口にしちゃいけないことを言ってしまったり、そこはすごく面白いなと思います。
――物語についてはどんな印象を持たれていますか?
大谷 これを我々がやって、お客さまにとってどう見えるのか? それがわからないところで、そこが面白いなと思っています。それが滑稽に見えるのか? ドキッと見えるのか? その味付けは蓬莱さんにお任せしますけど。
蓬莱 「こういうふうにコントロールして、お客さんをここに持っていく」というような芝居じゃないと思っています。あくまでもひとりひとりの人間が会話をした結果――ある一夜にすぎないものなんですけど、それを忠実に粛々と作っていく作品であって、それがある人には滑稽に見えるかもしれないし、刺さってしまうかもしれない。作為みたいなものは、演出家として最低限必要ではあるとは思いつつ、なるべくそれがない状態で、どこまでこの作品はいけるんだろうか? というのも挑戦したいことではありますね。
この素材を使ってどこまで掘れるのか? もちろん役者同士は家族ではないわけで、その歴史を経てはいないんですけど、どこまで体験としてそれに近いものを役者が味わうことが可能になっていくのかが重要になってくると思っています。
大谷 そういう意味では(オーディション企画の始動から)1年あるっていうのは、ありがたいですよね。
蓬莱 そうですね。でも、もうすぐですからね(笑)!
――関口さんは、この物語にどんな印象を持たれていますか?
関口 短い一晩の中に、家族の間で初めて話すような内容のことばかり。すごい濃度の高いことが戯曲の中で起こっているんですよね。それをどうやって表現していけるかが課題だなと思っています。
稽古が始まる前に既に、2回本読みをしたんです。最初にオーディションを受ける時、お客さん目線で読んで「めちゃくちゃ面白いな」と思ったんですけど、その後「決まりました」と連絡をいただいて、とりあえずみなさんで本読みをしてみましょうと。それで、何となく、そんなに気負うこともなくやってみたら、本読みであんなに疲れたことはないってくらい、終わった時には汗だくになっていて…(苦笑)、やっぱり、それだけのエネルギーを必要とする作品なんだなと思いました。
――蓬莱さんがこの戯曲を執筆されたのが40代の前半で「まだ家族に対する反骨心がある時期だからこそ書けた」とおっしゃっていましたが、ご自身の経験を元に書かれたこの作品への特別な思い――前回の初演(演出:宮田慶子)をどのようにご覧になったかを教えてください。
蓬莱 いま50代近くになって、もう父親とか母親は、いたわるべき存在であり、この先、体も弱ってくるだろうし、そういう意味ではもう「生きてさえいてくれれば何だっていい」という気持ちになりつつもあるんですよね。だから「うちの家族ってなんかさぁ…」ということを言える気持ちがまだ残っている最後の時期が40代の前半だったのかなと思います。
その時期にそういうものを書いておくっていうのは、ひとつ意味はあるのかなという思いで書いてはいたんですけども、本番を見て想像以上に「あ、うちの家族って笑われるんだな」と思って(笑)、それは救いでもありました。なんか「結構、滑稽なんだな」と思ったり、「でもそうだよな」とも思いつつ、どこか自分の中で浄化されるところもあって、他の家族の身になって書いてみると自分のことが見えてきたりとか、「こう思ってるんじゃないか?」ということを実際に文字で起こしてみると、結構精神的に参ってしまう部分もあったんですけど、それがわりとみなさんに笑われているという良さがあったりして、「傍から見るとそういうものに過ぎないかもしれないな」という印象は、初演で感じました。
それはたぶん、宮田さんの演出が、ある種、滑稽な家族っていう空気をつくりだしていて、そういう受け取りやすさもあったんじゃないかと思います。今回、自分が演出する時に、それをどういうふうにしていこうかというのは考えなきゃいけないことではあるんですけど、もっともっと追求して、笑いでもなければ、シリアスでもないっていう状態のところに持っていったら、お客さんはそれをどう見るんだろう? というところに興味もあります。今回、どういう方向でこの作品を味付けしていくべきなのか? 以前よりも自分の家族とか、この戯曲を客観視ができると思うので、そのあたりを役者さんと共に見つけていくのはすごく楽しみな作業ですね。
できるだけ客観的な視点で、作品をつくるよう心がけていくつもりですが、実際にやっていくと難しいときもあるかもしれませんね。でも自分が主人公の“僕”を守り始めたらおかしいし、自分の中でバランスを取りながら、今回の出演者と一緒に新たな「家族」を作っていけたらと思います。
――「客観的に」とおっしゃっていましたが、自分の家族の物語から少し離れて、7年の時間が経って、時代も少し変わった部分もある中で、いまの時代性みたいなのを本作に感じる部分ではありますか?
蓬莱 あまり7年を経た時代の変化が、この作品を変えていくだろうなというふうには思ってないですね。やっぱり家族っていうっていうのは、すごく個人的なものであり、登場人物も全て個人的な関わりのものなので、“時代性”というよりも、どの時代でも必ずある普遍ではあるのかなと思っています。だから「いまの時代だから」と何かを変えたりする部分はないのかなと思っています。
――関口さん、大谷さんには、蓬莱さんの戯曲・演出の印象などについてお聞きできればと思います。例えば、会話の終わりに「(笑)」が入ることが多かったり、蓬莱さんの書く戯曲ならではの特徴があると思いますが、どんな魅力や面白さを感じていますか?
関口 多いということで言うと「……」も多いですよね。
大谷 多いね(笑)。最初のシーン(久々に帰省した“僕”と父のやりとり)とかね。
関口 そこに何かしらの蓬莱さんの意思が働いていると思うんですけど、それを書いている時の気持ちみたいなものをこの先、演出家として言うのか言わないのかわかりませんけど、蓬莱さんの作品のひとつの醍醐味だなと感じてますね。
あとは、言っていることと思っていることが一致していないこともあるので、まずそこの解釈だったり、表現は、みなさんと稽古場で一緒に作っていくと思うんです。どんな化学反応が起こるのか、楽しみですね。
――笑いの方向に行くのか? それとも、怒りやシリアスな方に向かうのか…?
関口 僕もさっきの蓬莱さんの話を僕もドキドキしながら聞いていました(笑)。
――“僕”という役柄についてはどのような印象をお持ちですか?
関口 ある一つのわだかまりをずっと抱えて生きてきて、それがある種のトラウマに近いのかどうかまではわかんないですけど、それがあるからこういう人間になってるんだろうなという…。何て言うか「ずっと思い続ける」ってすごいじゃないですか?
蓬莱 フィクションですからね(苦笑)。
関口 そうなんですけど(笑)、「ずっと思い続ける」ってものすごいことなので、それをどうやって向き合っていこうかなというのはありますね。
ただ、最初に蓬莱さんが「何でも聞いてください。答えられることも多いと思うので」とおっしゃってくださったので、いろんなことを話したり、聞いたりしていけるので、そこはありがたく、心強いなと思います。
――大谷さんは、蓬莱さんの演出、戯曲について、どんな思いや期待を抱かれていますか?
大谷 直接、演出を受けるのは初めてですよね?
蓬莱 そうですね。落語(大谷亮介ひとり祭り『男の人生六十年』/作:蓬莱竜太)の時に、稽古場にちょっと行ってお話したことはありますけど。
大谷 蓬莱さんの作品は何冊か読んだことはありますし、作品を見たことももちろんあります。台本は、さっきも言いましたけど「……」が多いなと(笑)。僕らはまず台本を読むんでね、そこでこれをどうするのかな? と考えたり。
今回の作品は最初に台本をいただいて、それから1年以上の時間があって、だからってうまくできるかって言うとわかんないですけど、でも1年考える時間があったというのは大変ありがたいことですね。パッと見てわかるようなコメディというわけではなくて、“父親”として他の役者さんと接しなきゃいけないという部分もあるしね。
どんなセリフがあって、構造とか論理的にどうなっているのか? とか考えがちなんですけど、実際に大事なのは、父親という存在がどんな影響力があって、どんな主張をするのか? といったところなんですよね。ニコニコとみんなの話を聞くし、人生を経た人間としての発言もあるし、ついカッとして、みんなの前で奥さんを罵倒してしまったりもするし、その後で、悪いと思ったのか「おやすみ」と取り繕ったり…(笑)。
自分もたまに子どもと会うと、やっぱり“父親”という存在となるんですよね。また、一度は愛して付き合った人間に対して「このやろう」と怒りを表す時に声が裏返ってしまったり……そういった、人間でありながらの動物的な生理とか、そういういろんなことを考える時間があったのはとてもありがたかったなと思います。
――最後にみなさんから本作への意気込み、こういうところを楽しみにしてほしいというメッセージをお願いできればと思います。
蓬莱 それが温かい話なのか? 怖い話なのか? それは見た人によって変わってくると思います。少なくとも、家族の話というのは、この家族に限らず、どこかでスリリングなものだと思っていて、それは本音を言っているのか? 言っていないのか? 虚勢を張っているのか? 張ってないのか? とか、いろんなことがあって、家族の間でもいろんな駆け引きがあります。そういう意味で、この作品を通してスリリングな体験をしてもらうことはできるんじゃないかなと思いますので、そこは楽しみにしていただいていいと思います。
関口 とても人間的なお話だと思うし、家族っていう共感しやすい入口の作品です。終わった後にどうなっているのか――? 僕も全然わかんないんですけど(笑)。手放しで「あぁ、面白かった!」というものではないかもしれません。でも、帰り道で、作品の余韻で、思わず電車をひと駅乗り過ごしちゃうくらいの作品にしたいと思うので、期待していただければと思います。
大谷 やはり僕として父親――他の方が父親だと思って芝居できるようにそこを頑張りたいと思います。それこそ、いまはあんまり家族や親戚が集まって……みたいなことはあまりないのかもしれないよね、家も昔みたいに大きな家に住んでる人もいないのかもしれないし。
蓬莱 でもそういうのを大事にしたいと思っているお父さんもいるでしょうね。
大谷 そうだよね。この作品のお父さんの世代だとそういうふうだと思うし、ある意味で家族の象徴のような存在のお父さんで、でもそうやって象徴的になっているからこそ、兄弟のこととかいろいろ問題もあったり、奥さんもおそらく耐えられないようなこともあったんだと思うんですよね。ご主人の気持ちもよくわかるけど、僕自身の人生を振り返ってみると、奥さんも気の毒だなと…。
蓬莱 何の話をしてるんですか(苦笑)。自分の話だね。これ、もう締めのコメントですからね(笑)。
大谷 いやいや、(演じる上で)自分のことを考えないとね。
――我が身を振り返って、身につまされる部分がある作品になっているということですね。
大谷 そうですね(笑)。
取材・文=黒豆直樹
撮影=引地信彦