「東日本大震災を機に人生が大きく変わった」 福島県伊達市出身 FC琉球 佐藤未勇選手(24)
J2返り咲きを目指し新シーズンを戦うFC琉球。 今季、いわてグルージャ盛岡から新たに加入したのが、FW佐藤未勇(みゆう)24歳。 182cmの高さが武器で昨季までの2季でJ3・41試合に出場し5得点をあげたストライカーだ。
福島県出身で父の影響で小学校1年生からサッカーを始めた。地元福島県の伊達FCでプレーしていたが小学5年生の時、宮城県の吉成ウイングスへと移った。なぜ地元を離れ他県のチームに移籍したのか。キッカケは2011年3月11日に起きた“東日本大震災”だった。
外でサッカーができなかった
2011年3月11日14時46分。 当時小学4年生だった佐藤は学校の教室で授業を受けていた。急いで外に避難すると雪が降りだした光景を今でも覚えているという。 「揺れはめちゃくちゃ感じましたね。震度6だったので。家族は皆無事だったんですが家に帰ると家具がグチャグチャになっていたり、家の壁も割れていました」 生まれ育ちは福島県伊達市。 「震災が起きてすぐ後に原発事故が起きました。地元の伊達市の一部は原発から40キロ圏内に入っていたので、避難区域に入っていました」 佐藤は家族で宮城県仙台市の祖母の家に避難。4月に小学校が再開されると福島に戻ったが、環境は一変していた。 「放射能の影響で外で遊べない、学校でも絶対に窓を開けてはいけない、そんな状況だったのでサッカーができるような環境ではありませんでした。親も転勤を決めて、家族で祖母のいる宮城県仙台市に引っ越しました。」
「東北のために」夢を叶えて踏み出したJリーガーの道
仙台では吉成ウイングスに加入しサッカーを続けた。小学校4年生で震災を経験、大きな環境の変化もあったがサッカーがしたいという想いはより強くなった。 「東日本震災を機に人生が大きく変わったと思います。むしろ宮城県に行かなかったらサッカー選手になってないかもしれませんね。中学受験をしていなかったらプロにはなれていないと思いますし、色々な縁が繋がってここまで来ていると思います」 小学校卒業後は受験で東北学院中学・高校に進学。 人口芝の練習環境が整った強豪サッカー部で汗を流し、中高の6年間で4度の全国大会出場を果たした。 「プロを意識したのは大学2年生でした。神奈川大学に入学して、初年度は県リーグだったんですが先輩方のおかげで2年生の時からは関東リーグ2部でプレーできるようになって、試合にも出場できるようになりました。その際は琉球の平松昇選手とも戦いましたね(笑)。2年生のリーグ戦ではかなり得点も獲れるようになって、夢だったJリーガーへの道が現実味を帯びてきました」 プロキャリアをスタートさせたのは、岩手県の“いわてグルージャ盛岡” 「東北出身なので東北でプレーしたいという想いがあって、東北のクラブはほとんど練習参加に行きましたね。その中で唯一引っかかったのがいわてでした」 佐藤には震災を経験したスポーツ選手として、胸に秘めている想いがある。 「震災を経験したひとたちは、ひとつ大きな出来事を乗り越えている。だからこその人の温かさを感じます。福島に帰った時はいつも感じますね。その人たちのためにも頑張ろうと思えるんです。自分が東北を盛り上げたいんだという想いでいわて時代も頑張っていましたし、この想いは大事にしたいと思っています」
優勝するチームには得点王が必要
プロになってから2季をいわてで過ごし、今回プロとして初めての移籍で沖縄へと戦いの舞台を移した。 今季ここまで3試合にいずれも途中出場。3月8日の奈良戦ではシュートも放った。 攻撃的サッカーの進化を掲げるFC琉球にとって高さのある佐藤は貴重な攻撃のピースだ。 「前戦でタメを作れるのが自分の強みです。その中でどんな形でもいいから得点を獲って結果にこだわる姿勢が大事だと思います。二桁得点、優勝するチームには得点王が必要だと思うので。そこは狙っていきたいです」 これまでの自分自身の選択、人との出会い、すべてが繋がって今があると語る佐藤。 地元福島から遠く離れたここ沖縄で、東北出身のJリーガーとしての想いを形にする。 取材・執筆:植草凜(沖縄テレビアナウンサー)