○○を見れば美術鑑賞がより楽しくなる!画家は身近な「あるもの」をどう描いてきたのか?
古くから画家を悩ませてきた、あるモチーフ。誰もが知っている「あるもの」ですが、多くの画家が描き方に悩み、模索してきました。 それは、人生? 愛? それとも死…? 画家を悩ませてきた「あるもの」とは何か。その答えは…… 意外にも、「雨」でした。
実は難しい「雨の描き方」
歌川広重《東都名所「日本橋の白雨」》
「雨なんて、斜めに傾いた直線をたくさん描けばいいんじゃないの?」
と思うのは、日本の文化が染みついている証拠かも。雨の描き方は意外と難しく、古今東西の画家がチャレンジして、さまざまな描き方を編み出してきました。
西洋絵画に描かれた雨
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》
たとえば、19世紀のイギリス風景画を代表する画家、ターナー。光の演出によって感情に訴えかけるのがうまく、印象派の先駆けとされています。
《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》は、ターナーの代表作のひとつ。ぼんやりと描かれた風景を突き破るかのように、スピードに乗った鉄道がキャンバスの奥から手前へと走ってきます。
天気は雨。水分をたっぷり含んだ大気のダイナミックな動きが感じられます。ターナーは渦を巻くように絵の具をのばし、横殴りの激しい雨を表現しました。
ターナーの活躍から30〜40年後、パリで印象派の画家たちが登場しました。移ろう光が魅せる一瞬の風景を一気呵成に描いた印象派は、ターナーからも影響を受けたのではないか…とする説もあります。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《雨傘》
印象派の巨匠ルノワールも、雨の日をテーマに絵を描きました。タイトルは《雨傘》。雨の日ならではの道具「傘」を使い、「雨が降っていますよ〜」という情報を絵画に持たせることで、雨を表現しました。
……いや、あの、待ってください。雨降ってるように見えます…?
雨粒で霞むはずの大気は割と澄んでいるし、傘も乾いているような…。画面左の女性のスカートをたくし上げる仕草などで、雨だとアピールしたいのはわかるのですが……
雨が降っているようには見えず、初見のときは皆が日傘を差しているのかと思いました(個人の感想です!)。雨を描くって、難しいんですね…。
同じように、傘を使って雨の日のパリを描いたカイユボットの作品も見てみましょう。カイユボットは印象派を支えたお金持ちの絵画収集家で、自身も画家として絵を描きました。
ギュスターヴ・カイユボット《パリの通り、雨》
《パリの通り、雨》は、なかなか雨らしさが感じられるのではないでしょうか。ポイントは、地面の濡れ感。石畳の濡れた質感や、水たまりの反射を丁寧に描写したことで、雨らしさがグッと強まりました。
カミーユ・ピサロ《テアトル・フランセ広場、雨の効果》
また、印象派の画家ピサロはテアトル・フランセ広場をテーマに、異なる季節や時間の風景を描きました。晴れの絵と雨の絵を比べると、雨の絵では鏡のように馬車を反射する濡れた地面を描いて、天気を描き分けていることがわかります。
カミーユ・ピサロ《テアトル・フランセ広場とオペラ大通り、陽光、冬の朝》
このように絵を比べてみると、雨の描き方にもいろいろあることがわかってきます。傘や濡れた地面を描くことで「雨が降っているんです」と間接的に伝えようとしている作例からは、雨そのものを描く難しさを感じられます。
そんな中、雨を直線で表す画家が登場しました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《雨の麦畑》
《ひまわり》や《星月夜》で知られる画家、フィンセント・ファン・ゴッホです。
日本の絵画に描かれた雨
針のように細くて硬い直線で雨を描く方法は、当時の西洋絵画にはない表現でした。にもかかわらず、なぜかファン・ゴッホは画面を直線で埋め尽くす大胆な方法を突然開拓します。
さらに、ファン・ゴッホの雨は私たちがよく知る雨の描き方でもあります。美術に限らず、漫画やアニメでもよく見かけますよね。
ファン・ゴッホはどうしてこの描き方を思いついたのか?
そして、なぜ私たちはファン・ゴッホの雨をすんなり受け入れられるのか?
この2つの謎を一気に解明するキーワードが、「浮世絵」です。
葛飾北斎《冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」》
浮世絵は、江戸時代に流行した風俗画。美女や役者、名所の風景など、市井の人々が好む題材が描かれました。
ここで注目したいのが、歌川広重による風景画です。まずは《名所江戸百景「大はしあたけの夕立」》を見てみましょう。
歌川広重《名所江戸百景「大はしあたけの夕立」》
来ました! 土砂降りの雨が大量の直線で表現されています!
広重をはじめとする浮世絵師たちは、雨の風景を描くときに直線を多用しました。日本では定着した描き方で、漫画やアニメでも同じように描かれるため、現代の日本人にとって親しみやすい雨の表現でもあります。
鈴木春信《雨夜の宮詣(見立蟻通図) 》
一方、ファン・ゴッホは主にパリとオランダで活動した画家。日本とは随分と距離がありますが、どうして浮世絵と同じ雨に辿り着いたのでしょう?
背景には、ヨーロッパで日本の文化が流行する「ジャポニスム」がありました。江戸から明治へと時代が変わり、鎖国を解いた日本は万国博覧会に自国の美術品を出品。これが主なきっかけとなり、ヨーロッパで日本趣味が爆発的に流行します。
クロード・モネ《ラ・ジャポネーズ》
日本の美術品や工芸品はヨーロッパに大量に輸出され、影響を受けた印象派の画家モネやドガ、ルノワールなどが、日本らしさを自作に取り入れるように。ファン・ゴッホも同じで、日本美術に感化され、こんな作品を残しています。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャポネズリー:雨の橋》
広重の作品にそっくり…! 2つの作品を並べてみましょう。
左:歌川広重《名所江戸百景「大はしあたけの夕立」》、右:フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャポネズリー:雨の橋》
ファン・ゴッホは浮世絵を気に入り、広重などの作品をたびたび模写していました。隅に書かれた漢字まで丁寧に模写されたファン・ゴッホ版の「大はしあたけの夕立」は、油彩のこってり感が独特な作品です。
実は、斜線で雨を描く日本特有の表現は、浮世絵の輸出によってヨーロッパに広まりました。それまでの西洋美術にはなかった表現のため、ヨーロッパの画家たちは広重の雨を見て、その新しさに驚いたそうです。
ポール・セリュジエ《にわか雨》
浮世絵の衝撃以来、西洋の画家たちも直線で雨を描く方法を取り入れるようになりました。
ファン・ゴッホの少しあとに活動したナビ派の画家ポール・セリュジエの《にわか雨》にも、斜線で表された雨が見て取れます。(浮世絵から直接影響を受けたのか、他の画家から間接的に学んだのかは、定かではありません)
なぜ日本の雨は直線、西洋の雨はもやもやで描かれたのか?
ヨーロッパの美術界に衝撃を与えた、直線による雨の表現。そもそも、なぜ日本の画家は雨を直線で表現したのかを考えてみると…「版画」でどうにかする必要があったから、ではないでしょうか?
歌川広景《江戸名所道外尽「二 両国の夕立」》
ここまでざっくり「浮世絵」と読んできたものをより正確に言うと、「浮世絵版画」となります。下絵のとおりに木の板を彫り、インクをつけて紙に押し付ける「木版画」です。小中学校の図工や美術の授業で、やったことがある人も多いのでは。
版を彫る工程をイメージすればわかるとおり、版画はシャープな線を得意とする一方、もやもやと色ムラを作る表現は苦手な傾向が(不可能ではないと思います)。パキッとした線でモチーフを描きたいため、雨は直線で描く手法が広がり、定着したのではないでしょうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチ《白貂を抱く貴婦人》
他方、西洋絵画では輪郭を線で描く表現は好まれませんでした。かのレオナルド・ダ・ヴィンチも「ものに輪郭線はない」と考え、モチーフを面で表現。この考えが浸透していたから、ターナーは大気を描き、ルノワールとカイユボットは傘や濡れた地面を描いたのでは。
クロード・モネ《雨のベリール》浮世絵の影響もあったのか、西洋と日本の中間のような雨
輪郭線を堂々と描いた西洋絵画が登場したのは、浮世絵の影響を受け、ファン・ゴッホなどが活躍した時代になってからです。
「輪郭"線"は存在しない」という主張は正しいと思います。しかし、「輪郭線を描いてはいけない」とまで縛りを設けると、描くのが難しくなるモチーフもあります。そのひとつが、「雨」だったのではないでしょうか?
とはいえ、私は「雨は直線で描くべき」と言いたいわけではありません。「輪郭」に対する考え方が、西洋と日本とで真逆になることが面白いと思うのです。
小林清親《東京新大橋雨中図》傘と濡れた地面で雨を表現した日本の画家もいます
「雨」という身近なモチーフには、西洋美術と日本美術の本質的な違いが現れています。美術館で雨の絵を見つけたら、どんな描き方をしているか注目すると、美術鑑賞がもっと楽しくなるのではないでしょうか?
【おまけ】雨の作例少ない問題
アンリ・ルソー《熱帯嵐の中のトラ》
はい、ここからは筆者の言い訳タイムです。今回は「雨」に注目して絵を見比べたら面白そうだと思いつき、軽率に編集部に提案したのですが、調べる段階になってある問題が浮上。それは、
雨の絵、少なくない?
という問題でした。私がイメージしていたよりも少なく、掲載できる作品を探すのが大変でした…。提案する前にわからなかった私が全部悪いです、はい。
どうして雨の絵は少ないのか想像してみると、「雨の日は外で絵を描けないから」ではないか、という至極単純な理由を思いつきました。風景画は外でのスケッチを基にアトリエで制作したり、印象派の画家たちのように戸外に絵の具を持ち出したりして描きますが、そもそも雨の日は「道具を持って外に出ることができなかった」のでは。
クロード・モネ《雨天、エトルタ》
風景画の画家たちは、雨の日はどんな風に過ごしていたのでしょうか? そんな目線で雨の絵を見るのも面白いなあ、と感じています。