筋肉好きにはたまらない、岐阜県新平湯温泉『田島館』。大好きな「筋肉と自然」推しで“沁みる”温泉宿に
お着き菓子は大豆プロテインバー、記念写真はお客さんと一緒にマッチョポーズ。岐阜県新平湯温泉にある『田島館』は、筋トレ好きな若旦那が「筋肉」にこだわった“筋泊”プランでお客さんを出迎える。
今回の“会いに行きたい!”
若旦那の「たじまっちょ」こと島岬正剛(しまみさきまさたか)さん
最悪の口コミ点数に落ち込む日々から脱却
北アルプスの麓、新平湯温泉の一角に佇む『田島館』。「たじまっちょ」こと若旦那の島岬正剛さんが笑顔で出迎えてくれた。宿のコンセプトは「筋肉と自然と遊ぶ宿」。
公式ホームページには、お客さんとマッチョポーズで撮った記念写真を載せ、郷土料理「朴葉味噌」は自慢の筋肉で「約1万回愛情込めて練り上げたお味噌です」と紹介する。
「お客さんはホームページを見ているので、『ああ、あの子ね』みたいなかんじで、車を降りた瞬間にクスッと笑ってくれます」と、たじまっちょ。
『田島館』は昭和62年(1987)、大阪から移住した祖父が始め、奥飛騨観光ブームにのって、12室から一時は45室まで大きくなった。
高校球児だったたじまっちょは、大学生で健康運動指導士の資格を取得。「ベストボディジャパン」フレッシャーズクラス大阪大会3位になり、スポーツクラブのトレーナーやパーソナルトレーナーの経験を積んだ。
祖父が亡くなったのをきっかけに宿に戻ったのは、大学を卒業した2018年の秋。当時はまだ団体旅行のお客さんが多く、「わーっと来て、一気に去っていくかんじで、お客さんと会話もできなかった」と振り返る。
口コミ点数は尋常じゃないほど低く、「どうしたらいいんだろう?」とプレッシャーに押しつぶされそうになる日々。設備の古い自館を誇れず、寝ても覚めても常に何かに追われているような強迫観念で、休みの日でも気持ちは安まらなかった。
自分が楽しむからこそ、お客さんにも伝わるんだ
「自分の宿なんだから、好きなようにやってみよう」と方向転換ができたきっかけは、とある広報プロデューサーとの出会いだった。
「自分らしく好きなことをしたらいい。自分が楽しまないと、心に届かないよ」。そんな言葉のお陰で、心にゆとりができ、周囲の恵まれた自然に目を向けられるようになった。
自分の好きなこと=「筋肉と自然」を深掘りしてみよう!
そう決めると、出会いの質が変わり、人を大事にするような人とばかり出会うようになった。
「自分の心が動かないと、人にも伝わらない。子どもの頃のような純粋な気持ちを届けよう」「自分の趣味趣向に共感してくれる人が来てくれればいい」と、ホームページでも温かみが伝わる文を心がけ、心の内をストレートに綴った。
まずはお金をかけずできることを、と客室名を筋肉に関連した名前に変えた。
基本の和室10室には、体の軸を支える筋肉である「腹横筋」にちなんだ名前を、焼岳を望む一番大きな客室には「大胸筋」、ベッドルームの客室には、ベッドに乗り降りするときに必要な「大腿直筋(だいたいちょっきん)」の名前をつけた。
お着き菓子の大豆プロテインバーは市販のものではなく、山仲間の友人が大豆たんぱくに玄米甘酒、てんさい糖、オーツ麦など体によいもので手作りしてくれた。
箸置きは腕立てや腹筋ポーズ形のものを。記念撮影用に子どもでも持ち上げられる軽いバーベルを作り、館内のあちこちに「筋肉」推しグッズが増えていった。一緒にマッチョポーズで撮影したお客さんは900組を超えるほどに。
さらに2023年12月にはスナックだったスペースをトレーニングルームに改装し、1時間の筋トレをつけた“筋泊”プランを売り出した。トレーニングルームは実質無料。普段から筋トレをするお客さんからは「旅先で筋トレして、温泉に入れるなんて幸せ」と好反応だ。
「やさしいはおいしい」。未経験から、包丁を握る
夕食は、飛騨牛のローストビーフ、朴葉味噌焼きのほか、飛騨サーモンのカルパッチョ、飛騨産シイタケの茶碗蒸し、飛騨なめこ入り茶そば、飛騨牛乳のパンナコッタなど、飛騨らしさ全開で筋肉作りをあと押しする。
料理を作るのは、たじまっちょ。調理師学校に通ったわけではなく、包丁すら握ったことがない経験からの挑戦で、厨房を預かるようになったのは2019年から。そこからお客さんの笑顔を思い浮かべながら、料理人としての道を一歩ずつ歩み始めた。
トレーナー時代にお世話になった飲食店の経営者から、「やさしいはおいしいに変わる」とアドバイスを受けたことにも背中を押された。
相手を思う気持ちさえあれば、おいしいもの作りができると知り、仕事をするようにしたのだ。
女将である母、幸代さんと二人で受けられる範囲で宿泊客をとるが、ピーク時には朝2時から仕込みをすることもある。しかし、「筋肉がしぼむと、気持ちもしぼんでしまう」と、日々のトレーニングは欠かさない。
時間ができれば、奥飛騨の山に出かける。笠ヶ岳や焼岳などの北アルプスの山々に登り、冬はお隣・長野県松本市にある上高地にも足を延ばす。
それらの自然は、言葉にならないほどの感動を与えてくれるという。心に響く風景を一眼レフカメラに収め、ポストカードにして売店で販売している。
「山登りをしている人はわかる感覚だと思いますが、筋トレ後のご飯はとてもおいしいし、温泉も沁みる。筋トレと温泉、そして自然が好きな人に、ぜひお越しいただきたいです」
たじまっちょおすすめ。登ってみたい周辺の山
地球の息吹を感じる日本百名山の一つ「焼岳」(標高2455m)
温泉はこの活火山の恵み。「『ここに登りたい』と思い続けていた憧れの山で、当館からも眺められますよ」。
宿からも近く、初心者も歩きやすい「福地山」(標高1671m)
宿の玄関前にそびえる山。「道中、森の音や香りなどを感じながら歩くのが好き」と、たじまっちょ。
田島館
住所:岐阜県高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根1934/アクセス:JR高山本線高山駅からバス1時間10分の上地ヶ根高原下車、徒歩2分
取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2024年9月号より
野添ちかこ
温泉と宿のライター/旅行作家
神奈川県生まれ、千葉県在住。心も体もあったかくなる旅をテーマに執筆。著書に『千葉の湯めぐり』(幹書房)、『旅行ライターになろう!』(青弓社)。最近ハマっているのは手しごと、植物、蕎麦、癒しの音。