【糸島・三雲、井原】築山古墳、端山古墳、井原1号墳を訪ねる
このところ、私は糸島の遺跡や古墳を紹介しています。今回は糸島市三雲の「築山古墳(つきやまこふん)」と「端山古墳(はやまこふん)」、糸島市井原の「井原1号墳(いわらいちごうふん)」の3カ所を訪ねました。
いずれも4世紀ごろの古墳です。前回紹介した狐塚古墳(きつねづかこふん)など5~6の世紀の3古墳より古いですが、それらより大型です。時代が進むにつれ古墳は小型化したのでしょうか。
さっそく歴史の旅に出かけましょう。
初期ヤマト政権と関係の深い有力者の古墳と思われる築山古墳、端山古墳。水田の中にポツンとある「井原1号墳」
まずは築山古墳を見る
築山古墳へのルートを紹介します。
国道202号バイパスの飯氏(いいじ)信号から県道56号を南に向かいます。3.5キロほど進み、福丸橋という橋を渡ると、「伊都国歴史博物館(いとこくれきしはくぶつかん)へは右折」という看板があるので右に曲がります。
500メートルほど行くと伊都国歴史博物館が左手に見えてきますが、まだ直進します。
さらに350メートルほど進んで右折し、200メートルほど行って左折すると築山古墳に着きます。
こんもりとした小山です。案内板を見てみましょう。
中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にも載っている伊都国の王都、三雲・井原遺跡の中央部に築かれた4世紀末の前方後円墳です。
墳丘の全長は60メートル。後円部は直径49メートルで高さ8メートル。前方部は長さ15メートル、幅25メートル。前方部が短いので「帆立型」と呼ばれているそうです。面白いですね。
伊都国歴史博物館発行の「糸島古墳図鑑」によりますと、前方部の墳丘は、今ではほとんど削られていて、くびれ部分がかろうじて残っているとのこと。前方部と推定される範囲に家や道路があるため詳細は不明といいます。前方部は15メートルより長い可能性もあるそうです。
周囲には、上空から見ると盾のような形で周壕が巡らされていたと考えられています。壕の中からは、円筒や壷型の埴輪(はにわ)の破片が出土したそうです。周壕を含んだ全長は105メートルもの大きさになると推定されています。
築山古墳のたもとには三雲東公民館があります。古墳は古代から、地域の人たちのよりどころだったのだろうかと感慨深い思いがしました。以前紹介した西堂古賀崎古墳の上にもお堂がありましたね。
古墳の上に登れる石段がありました。上がってみましょう。
上に着くと、ここにも神社のような建物がありました。
古墳は、地域の信仰の場でもあるのでしょうね。現在の神社や神道も、弥生時代や古墳時代から連綿と続いている風習なのだろうか、と思いを巡らせました。
次は近くの瑞山古墳へ
築山古墳から細い路地を北に向かうとすぐ近くに瑞山古墳があります。
田畑の中にあるので近づけません。心理的にも近づきにくいですね。少し離れた場所から眺めました。
古墳の上部にたくさん木が生えています。
古墳北側の道沿いに古墳を説明する看板が立っています。風雨にさらされだいぶ古びています。
4世紀初めごろに造られたとみられる前方後円墳です。先ほどの築山古墳より古いですね。
「糸島古墳図鑑」の説明では、今は円墳のように見えますが、これは1965年に前方部の墳丘が削られてしまったためだそうです。1973年の発掘調査で、全長78.5メートル。後円部は直径42メートルで高さ8.1メートル。周囲に張り巡らされた盾形の周壕を加えると、墓域は全長100メートルにも達することが分かった、といいます。
上の写真は、平原遺跡(ひらばるいせき)にあった説明パネルです。築山古墳と瑞山古墳の位置関係が分かりやすいですね。
瑞山古墳は、古墳時代前期前葉の築造で、怡土平野(いとへいや)では最古の前方後円墳だそうです。
奈良県の桜井茶臼山古墳に極めて似ているため、瑞山古墳の被葬者と初期ヤマト政権の深い関係がうかがわれるといいます。
伊都国繁栄期の集落の中心に突如、大型の前方後円墳が築かれているため、何らかの政治的な契機があったと考えるべきだと、糸島古墳図鑑には書いてあります。伊都国の一族から、大和政権につながりが深い勢力に、権力が移行したのでしょうか。
田んぼの中にポツンとある井原1号墳
端山古墳の南方約2キロに井原1号墳があります。県道49号の井原東信号から南に入り、約350メートル進んで左折。200メートル余り先、田んぼの真ん中にポツンと小高い古墳が見えてきます。
上部にお墓のような石が見えます。草が生い茂っていて、登るのは無理でした。
回り込んで反対側から見てみました。
一見しても古墳とは分かりませんね。
こちらでも案内板を見てみましょう。
糸島古墳図鑑によると、4世紀中ごろに築造された前方後円墳です。全長43メートル、高さ3.6メートル、後円部の直径は25メートルです。
江戸時代から近くの集落の共同墓地として利用されていたため、現在も墓石が散乱しているそうです。下から見えた石も、その一部かもしれません。
後円部の中央に、大型の箱式石棺が納められていたことが確認されました。下の図はその想像図です。
下の写真は出土物です。石材や鉄器が見つかったのですね。
伊都国歴史博物館には、井原1号墳の出土物が展示されていました。
鉄剣、矢じりの鉄鏃(てつぞく)、鉄鋸(てつのこ)。
鉄斧(てっぷ)、鉄ヤリガンナ、鉄鑚(てつきり)。いろいろありますね。装飾品ではなく実用品ばかりです。
糸島古墳図鑑では、いずれの副葬品も黄色粘土で覆われていて、葬送や、不吉な兆しを避ける辟邪(へきじゃ)の儀礼だと考えられる、と説明されていました。
今回も歴史ロマンを堪能
今回は、4世紀にできた3古墳を紹介しました。
実際に現地で古墳を確かめると、その大きさや高さ、位置関係を実感できます。その上で、説明板や糸島古墳図鑑を読み、伊都国歴史博物館の展示物を見ることで、歴史の中で古墳がどう意義づけられるかが分かります。
また一つ、糸島の歴史を知ることができ、知的好奇心が満たされる1日となりました。
INFORMATION
店名:
築山古墳
住所:
福岡県糸島市三雲207
※記事内の情報は記事執筆時点のものです。正確な情報とは異なる可能性がございますので、最新の情報は直接店舗にお問い合わせください。
INFORMATION
店名:
端山古墳
住所:
福岡県糸島市三雲12-5-318
※記事内の情報は記事執筆時点のものです。正確な情報とは異なる可能性がございますので、最新の情報は直接店舗にお問い合わせください。
INFORMATION
店名:
井原1号墳
住所:
福岡県糸島市井原
※記事内の情報は記事執筆時点のものです。正確な情報とは異なる可能性がございますので、最新の情報は直接店舗にお問い合わせください。
INFORMATION
店名:
伊都国歴史博物館
住所:
糸島市井原916
営業時間:
9:00~17:00
※入館は16:30まで
月曜日
※月曜が祝日の場合は、その翌平日がお休み
Web:
https://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/
※記事内の情報は記事執筆時点のものです。正確な情報とは異なる可能性がございますので、最新の情報は直接店舗にお問い合わせください。