好きな人と好きになってくれた人 結局どっちと付き合うべきなんや
「なあなあ、相談に乗ってほしいんやけど。好きな男と好きになってくれた男、どっちと付き合った方がいいと思う?」
もうずいぶんと昔、学生時代に何度も聞いた、酒の席でのヨタ話のひとつだ。
汎用性のある答えなどあるわけがないので、何度聞かれても何と言えば良いのか、全くわからない。
「そうやなあ…どっちにもメリット、デメリットがあると思うんやけど。そんなにモテるん?」
「ちゃうねん。告白されたんやけど私、その人のこと友達としか思ってなかったんよ。好きかどうかで言えばすごく普通」
「そうなんや、まあ今フリーなんやろ?お試しで付き合ってみたらええんちゃうかな」
「そんな簡単に言わんといてよ!私かて好きな人くらいいるねん。中途半端に付き合うって、好きな人を諦めることと同じ意味なんやで?」
全くもってどうでもいい逆ギレに困り、適当に相槌を打って言葉を濁す。
だからオレはモテないのだろうなと思っていたが、性分なので仕方がない。
結局、そういう話はモテモテのアイツに相談してくれとイケメンを指差し逃亡するのが、そういう時の常だった。
しかしそれから30年以上も経ってオッサンになった今、思うことがある。
もしあの時に戻れるなら、きっと相談を持ちかけてきた女性にこうアドバイスするはずだ。
「好きになってくれた男じゃないかな。迷ってるなら付き合っちゃえよ」
「間違った思い込み」
話は変わるが先日、出張先でパラパラと地方紙を眺めていた時のこと。
陸上自衛隊への入隊が決まり、親子で自衛官になることが決まった家族が記事になっているのを見掛けることがあった。その記事で娘さんは、インタビューにこう答えている。
「東日本大震災で、自衛隊に助けて頂いて感動したんです。だから私も、いざという時に人を助けられる強い人になりたいと思い、自衛官を志しました」
高潔な想い、国防に人生を捧げる決意に、心からの敬意を感じずにはいられない。
しかしその上で、少し気になることがある。
自衛隊・自衛官の本来任務は、災害派遣ではないからだ。
あまり知られていない事実だが、自衛官は災派(災害派遣)で被災地に行ったからといって、その間に予定されていた訓練や本来任務が無くなるわけではない。当然のことだが。
そして災派が終われば、予定されていた訓練や本来任務が待っておりなんとか消化しようとするのだが、その心身への過重な負担は計り知れない。
さらに時間は有限なので、その内容はどうしても質・量ともに調整せざるを得ないということになる。
そんなことが気になりある日、元陸将との飲み会で、こんな質問をした。
「以前、『練度は生もの』という言葉を教えて頂きました。訓練の質・量を確保できないと戦闘能力は簡単に落ちてしまい、それを取り戻すのは容易ではないという趣旨だったと記憶しています」
「はい、そのとおりです」
「しかし最近、災派での活躍を見て自衛官を志した、という若者のニュースを多くみる気がするんです。曹士(下士官・兵)なら良いと思うのですが、幹部自衛官でその志望動機は危ういのではないかと、危惧しています」
すると元陸将は少しだけ考え、しかしすぐにこう断言した。
「桃野さん、きっかけは何でもいいと私は考えます。幹部でも曹士でも、興味を持って門を叩いて下さった若者に、自衛隊は素晴らしいやりがいを提供できる場であると思っています」
「…動機はそれほど重要ではないのですか?」
「はい。しかしその上で幹部でも曹士でもひとつだけ、長続きしない志望動機があると思っています」
「どういったものでしょう」
「間違った思い込みです。どんな仕事でもそうですが、イメージで想像するやりがいと、実際の仕事の大変さには、少なからぬ乖離があるものです」
「わかります。一般企業での“志望動機”でも、同じような問題を感じます」
「現実的ではないイメージで国防を志し、その思い込みに従った使命感を持つ人は長続きしません。そういった意味で、災派で良いイメージを持ち自衛隊を志してくれる若者は、大歓迎です」
そして、入隊のきっかけなど大した問題ではなく、やりがいのある場を提供する責任は、受け入れ側にあること。
入ってきてくれた若者を育て、“正しい使命感”を持ってもらうよう尽力することこそ、リーダーや組織の責務であること。
だからこそ、思い込みや誤解に基づいた使命感に固定化してしまっている若者は、現実に適応できずに長続きしにくいと話す。
確かにそのとおりだ。
例えば、三つ星ホテルのレストランシェフを考えてみてほしい。
厨房に立つ人は皆、華麗で独創的な天才というような思い込みがあるかもしれないが、決してそんな世界ではない。
料理長は別として、大量調理をルーティン通りの流れでこなす体力と精神力の世界であり、属人的なテクニックや独創性などとは無縁の、過酷な現場である。
基礎知識や基礎動作を何万回も繰り返し叩き込まれてこそ守破離を踏破でき、属人的な技術や独創性が生きる世界に到達できる。
「驚くような調理技術・調理技法で、すぐに料理長に昇り詰めてみせる」
そんな使命感や誤った職業イメージに凝り固まって鼻息荒く飛び込んでも、皿洗いや下ごしらえの段階で脱落するだろう。
そういえば、戦闘機パイロットとして活躍し、航空自衛隊のトップに昇りつめた丸茂吉成・元航空幕僚長も、自衛隊を志したきっかけを聞かれた時に、こう答えている。
「友だちに誘われて防衛大学校を受けたら合格したんで、なんとなくそのまま自衛官になりました」
さらに初級幹部時代、厳しいパイロット訓練のさなかにも、ずっとこんな事ばかり考えていたそうだ。
「この仕事、あまり長くやらないだろうな…」
そんな想いが変わるきっかけになったのが、第6航空団(石川)時代の昭和61年8月。
戦闘機パイロットとして連日、ロシア相手にスクランブル発進を繰り返し厳しい国際情勢を実感したときだった。
「国防は、誰かがやらなければならない重要な任務だ。だったら、俺がやってやろうじゃないか」
日本海上空、戦闘機のコクピットから見える美しい海と国土を見つめ、そう決意したそうだ。
どんな仕事でもそうだが、下手な思い込みを持って現場に飛び込むほどに、現実とのギャップに苦しむ。
逆に、白紙のような思いで任務に忠実であろうとすれば、驚くほど自然に、使命感が生まれてくるのかもしれない。
そんなことを改めて思った元陸将の話であり、丸茂吉成・元航空幕僚長のエピソードだった。
“天職”とは何か
話は冒頭の、学生時代のヨタ話についてだ。
なぜ今は、好きな男よりも、好きになってくれた男と付き合えばいいとアドバイスするのか。
どんな人間関係でもそうだが、人と人は親しくなり時間を長く共有するほどに、気が合う面と合わない面の両方について、解像度が上がっていくものだ。
そして多くの場合、好みが一致するからといってどうしても許せない一面を受け入れることはかなり難しい。
趣味が合うからといって好きになった男性と付き合ってみたら、自宅トイレは床がベチョベチョ、フタは開きっぱなしなどという光景を見たら、もう逃げ帰りたくなるだろう。
そのような時、頑張って直してもらおうと小言を言い続けたら、きっと相手も許せない一面について反撃し、やがて関係は破綻する。
「好き」が強ければ強いほど相手を直したい思いが先鋭化してしまいがちだが、そう簡単に人が変わるわけがないのだから。
だからこそ、「許せない」の価値観が合う人の方が、人間関係は続きやすい。
なおかつ、それほど好きでもない相手であれば、無理をしてでも何とか直してもらおうという動機が先鋭化しにくい。
そうやって時間をかけて、「相手のために何ができるか」を考える時間を十分に共有し、育てられるのはきっと、「好きになった人より、好きになってくれた人」だと、考えているということだ。
元陸将や丸茂元航空幕僚長の話もそうだが、強固な固定観念で「やりたい仕事」を持って自衛隊に入隊しても、きっと現実との折り合いなどつかない。これは一般企業でも、同じことだ。
それならば、緩い憧れと志望動機で入社しつつ、「自分にできること」を探したほうが、確実に仕事は良い方向に向かう。
そしてきっと、天職とは“やりたい仕事”ではなく“できる仕事”から生まれる。
できる仕事は必ず楽しくなり、仕事が楽しいとますます成果が出るようになるからだ。
どんなことでもそうだが、好きという感情が昂じると人は、客観性を欠いてものごとを冷静に見られなくなってしまう。
そういったものは趣味の距離感に留め、眺めて楽しむだけにしておいた方が良いのかもしれない。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
こんなコラムを書いておいてなんですが、私は妻とラブラブです。
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