船橋市にかつて存在した一大レジャーランド「船橋ヘルスセンター」
ららぽーとTokyo‐Bay、IKEAがある千葉県湾岸地域に1955(昭和30)年から22年間、東洋一の巨大なレジャーランド「船橋ヘルスセンター」がありました。
埋め立て事業から夢の娯楽施設誕生
戦後復興がいまだ道半ばの1950(昭和25)年、船橋港の航路幅員拡張と延長のため、千葉県と船橋市は東京湾の埋め立て工事を始めました。
政界と経済界を挙げての一大事業です。
船橋の漁業従事者や住民と合意の上で、約11万坪(東京ドーム約16個分)を埋め立てていきました。
1年後の1951(昭和26)年、掘削工事を行うと天然ガスと湯温23~24度の温泉が湧き出します。
船橋市の動きは素早く、1953(昭和28)年に大衆温泉施設建設を決め、社団法人船橋ヘルスセンターを開設。
2年後の1955年11月3日にオープン、入場料は120円でした(当時はキャラメル1箱20円)。
「東洋一大きい、楽しい、安い。温泉プラス海の娯楽の巨大デパート」をテーマに大衆温泉、遊園地、プールに、海水浴場ゴールデンビーチ、ホテル、大コマ館劇場、遊覧船、アイススケート場、ゴルフ場、ボウリング場、サーキット場、飛行場、人工スキー場など、あらゆる娯楽設備が整えられていきました。
押し寄せた10万人。CMソングで超人気
家族で出かけるレジャーがまだまだ一般的でなかった昭和20年代。
東京湾にできた夢の国に県内だけでなく関東各地から家族連れ、アベック(当時は恋人同士をこう呼んだ)が押し寄せました。
1日で船橋市民とほぼ同数の10万人を動員することも珍しくなかったとか。
人気を揺るぎないものにしたのはCⅯソング「長生きチョンパ」(三木トリロー・作詞作曲、楠トシエ・歌)の大ヒットでした。
4階建ての大コマ館ではTBS系「8時だョ!全員集合」の公開放送や、人気絶頂の「ザ・タイガース」のショーが行われ、警察が出動する騒ぎにもなったそうです。
最寄り駅の京成本線「船橋競馬場前」を「センター競馬場前」に駅名を変更させるほどの勢いがありました。
しかし、急転直下の出来事が。
1971年に東京湾岸の地盤沈下が分かり、それに伴って温泉と地下水くみ上げ差し止め命令を受けたのです。
そして6年後の1977年5月5日、閉園しました。
船橋ヘルスセンターは、私たちに多くの財産を残してくれました。
センターには専属で募集した約60人の超人気少女音楽隊がいましたが、舞台上で楽器片手に踊り歌う彼女たちはガールズアイドルグループの走りだったかもしれません。
農業と漁業中心だった千葉県は、レジャーによって第三次産業を大きく進展させることになりました。
埋め立てからレジャーランドの構図は、後に浦安に誕生するテーマパークまで引き継がれていきます。(取材・執筆/マット)
ヒストリー
1952年7月 船橋沖の埋め立て地に天然ガス掘り当てる
同 社団法人船橋ヘルスセンター設立
1953年4月 朝日土地興業と契約
1955年2月 船橋ヘルスセンター起工
同11月 船橋ヘルセンター落成、開業
1956年4月 京成本線「大神宮下」駅からの浜町橋完成
同5月 遊園地開場
同7月 海の家開場
同8月 埋め立て工事終了
同9月 ゴルフ場9ホールオープン
同11月 50万坪埋立て工事認可
同12月 商店街落成
1957年8月 市内で井戸枯れ現象起こる
1958年1月 大コマ館、大滝風呂開場
同4月 遊覧飛行開始
1959年10月 旅館営業認可
1962年12月 ハイランドスキー場開場
1965年7月 ゴールデンビーチオープン
1969年8月 ザ・タイガースショーに観客殺到
【参考資料】
「船橋ヘルスセンター年表」朝日土地興業、(株)船橋ヘルスセンター編、船橋西図書館所蔵
「ヘルスセンター発祥時の想い出」森谷五郎著、船橋西図書館所蔵
「昭和『娯楽の殿堂』の時代」三浦展著、柏書店