五重塔は釈迦のお墓だった?お寺に塔がある理由とは?【眠れなくなるほど面白い 図解 仏教】
塔は釈迦のお墓だから
「え?うちの菩提寺には塔なんてないよ」と思われた方、すみません、飛鳥・奈良時代の話です(でも、たぶんそのようなお寺でも塔はあると思います。そのことは、これから述べます)。さて、クシナガラで亡くなられた釈迦の遺骨(仏舎利は、信者たちによって8つに分割され、墓に納められました。これがストゥーパです。ストゥーパのことを日本語では仏塔と呼びますが、塔〈*〉のイメージとはほど遠く、巨大な土饅頭そのものです。
これが中国に伝わって石やレンガの層塔となり、さらに木造の塔へと変貌したのです。そして、それが日本に伝えられました。法隆寺の五重塔(国宝)は、日本に塔が伝えられて間もない時期に建てられたものです。形は変わりましたが、釈迦の墓としての性格は受け継がれましたので、塔は寺院でも中心に建てられていました。しかし、時代が下がると仏舎利ではなく、経典などを納めるようになりました(教えを釈迦の精神的な遺骨とみることから、これを法舎利と呼びます)。それにともなって寺院の中心から周辺へと建てられる場所もしだいに変わっていきました。
一方、中世になると貴族や武士などが墓標として塔を建てるようになりました。塔といっても五重塔を建てるわけにはいきませんので、五輪塔という形のものを石造で作りました。この習俗は庶民にも広がっていったのですが、庶民は石造も高嶺の花だったので木の柱や板の上部を五輪塔形に削ったものが使われました。これが卒塔婆です。なお、卒塔婆はストゥーパを漢字で写したものです。