【ラーメンを日本で初めて食べた人は?】歴史上で超有名な●●●●だった! #もやもや解決ゼミ
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今回は、「日本で初めてラーメンを食べたのは誰」がテーマです。
日本の国民食といえるラーメンですが、「日本人で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門」だという説があります。これは本当なのでしょうか? またそれ以前にラーメンを食べた人はいないのでしょうか? ラーメン文化に詳しい『新横浜ラーメン博物館』の中野正博さんに教えてもらいました。
水戸黄門がラーメンを食べた記録はあるのか
文献上、日本で最初にラーメンを食べたのは「水戸黄門」こと徳川光圀公というのは有名な話です。ただし、厳密には中国の麺料理であり、今のラーメンとはかなり異なったものだったようです。
儒学に関心のあった光圀は、明国が滅んだ際に日本に亡命し、長崎に滞在していた儒学者・朱舜水の存在を知り、1年がかりで水戸に招聘しました。1665年に、光圀は歓迎の宴席において手製の「うどん」で朱舜水をもてなしました。そのお礼として、朱舜水は光圀に中国式の麺料理を振る舞ったといわれています。
光圀の実生活や当時の世相、生活を書き綴った日記「日乗上人日記」には、1697年(元禄10年)6月16日に、光圀が朱舜水が伝授したと思われる麵を自ら作って家臣に振る舞ったと残されています。その麺料理については、「うんどん(うどん)のごとくにていろいろの子(薬味)をかけたるものなり」と表現しています。
また、水戸黄門で登場する格さんこと、安積覚が朱瞬水の記録をまとめ編集した「舜水朱氏談綺」には、朱瞬水が中国から取り寄せて、光圀に献上した食材が書かれています。そこから推測すると、麺にはレンコンのでんぷんが使われ、スープは豚肉の塩漬けを乾燥熟成させたハムからダシを取り、具材は「五辛」と呼ばれる山椒、葉ニンニク、黄ニラの若芽、白からし、香菜の5種の薬味が使われたのではないかと推測されます。
水戸黄門以前に「ラーメンを食べた人」はいるのか
ラーメンには定義はありませんが、中華麺には定義があります。それは「かん水」を使っているということです。「かん水」とはアルカリ塩水溶液で、小麦粉に混ぜることで柔らかさや弾力性をもたせるものです。簡単に言えば中華麺から「かん水」を抜くと「うどん」の麺になります(厳密には小麦の種類などの違いがあります)。
この中華麺が、なんと室町時代に食べられていたという記述が「蔭涼軒日録」に残っています。「蔭涼軒日録」は、蔭涼軒(足利義満が創建した相国寺鹿苑院内にあった寮舎)に住する僧侶が記録した日記です。
「蔭涼軒日録」には、蔭涼軒に住む僧侶が、1485年(文明17年)5月17日に中国書籍「居家必要事類」文中のお酒や麵食部(水滑麵・索麵・経帯麺・托掌麵・紅絲麵・翠縷麵等)を調べ、その3年後の1488年(長享2年)2月1日および5月16日に、経帯麺を来客に振る舞ったと記されています。
この経帯麺は「居家必要事類」にレシピが残っており、最上小麦粉2斤≒1193.64g、碱(炭酸ソーダ)1両≒37.3g、塩2両≒72.6gと書かれています。この作り方を見ると、この麺は中華麺だといえます。「かけ汁は任意である」とスープの作り方に関しては書かれていませんが、現存する資料の中では、蔭涼軒に住む僧侶が振る舞った「経帯麺」が、日本で最初の中華麺と考えられます。
◇けつろん!
「水戸黄門が日本人で最初にラーメンを食べた」といわれていますが、なんとそれよりも前の室町時代に、すでにラーメンらしきものを食べた人がいたようです。1488年ですから、今よりも536年も前。そんなにも昔に、日本にラーメンのようなものがあったというのは驚きですね。
◇答えてくれた先生
中野正博
新横浜ラーメン博物館・広報担当
1974年生まれ。オーストラリア留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に興味を持ち、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。以降、日本の食文化のひとつであるラーメンを世界に広げる活動に注力している。
新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/
文:大西トタン@dcp
編集:学生の窓口編集部
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