2つの新連載からひもとくイタリアの世界文化遺産 ヴェネツィア【しあわせ気分のイタリア語】
10月から新開講の『しあわせ気分のイタリア語』では、イタリアの世界文化遺産を毎月1か所ピックアップし、2つの連載で同時に紹介する企画が始まりました。
「ぐるっとイタリア・スケッチ旅」は、イタリア在住の鈴木奈月さんがすてきなイラストと文でガイドブック風に。「もう一歩奥へ! Un passo avanti!」は、イタリア建築史・都市史が専門の法政大学江戸東京研究センター特任教授の陣内秀信さんが専門家の目線から世界文化遺産をご紹介しています。
第1回は、ヴェネツィアです(イラストは一部抜粋しています)。
ぐるっとイタリア・スケッチ旅
アドリア海の女王ヴェネツィア
5~6世紀、異民族の襲来から逃れる為に、海岸沿いに住んでいた人々が新たに選んだ土地は陸地ではなく、水と魚と湿地帯しかなかったラグーナ(laguna 潟)。人々は何本もの杭を打ち込んで地盤を造り家を建て、決死の思いで町を築き上げていきました。
唯一の交通手段は船。ビザンツ帝国の下では徐々に海軍力をつけエーゲ海に進出し、やがてヴェネツィアは、商人の活躍で東西貿易の中継地となり、押しも押されもせぬ海洋都市に発展。14~15世紀の黄金期には「アドリア海の女王」と謳われ、15世紀以降は陸地にも勢力を拡大していきます。1797年ナポレオンによってその幕を閉じるまで、ヴェネツィア共和国は1000年以上もの歴史を刻んでいきました。
そんな水の都は、ヴェネツィアングラスで有名なムラーノ島やレース編みのブラーノ島なども併せて、世界遺産に登録されています。
鈴木奈月(すずき・なつき)
1989年よりイタリア在住。フィレンツェ、ミラノ、カタンザーロに暮らし、現在はローマ近郊の海辺の街、オスティアに住まう。子育て期間中にやむなく中断していたイタリア各地へのスケッチ旅行を再開。変化に富んだイタリアの街のすばらしさと、その歴史の魅力を再確認しながら、スケッチ画をインスタグラムにて発信中。Instagram:natsuki_sketchbook
もう一歩奥へ! Un passo avanti!
水上の迷宮都市ヴェネツィアを読む
ヴェネツィアは私のイタリア研究の出発点となった都市である。半世紀以上前の1973年11月初旬、霧にすっぽり包まれたこの水都に到着し、かの地での暮らしが始まった。
水の上に浮かぶこの魅力あふれる迷宮都市がどうやって作られたのか。それを解き明かしたいと考えての留学だった。当時のヴェネツィアは古くからの住民が大勢暮らし、生活感に溢れていたから、調査のため古地図とカメラとスケッチブックを手にヴェネツィアを徘徊するのは、実に楽しい経験だった。
車が侵入しないこの水都では、町全体が人間のために開放されている。機能性、経済性ばかりを求めて車中心に計画的に造られた近代の味気ない都市とは対照的に、島の形態や運河の流れに合わせ、身体寸法で丁寧に作られたヴェネツィアの迷宮的な都市空間は、町を歩く楽しさを存分に体験させてくれる。
では何故こんな複雑で不思議な、だけど居心地の良い都市空間が生まれたのか? それを解くにはこの水都の原風景を思い描く必要がある。ラグーナ(laguna 潟)の水上に小さな島が数多くバラバラに集まるアーキペラゴ(arcipelago 群島)がそれだ。異民族の侵入からも安全なこうした島のひとつひとつに、9~11世紀頃、有力家を中心に人々が移住して教会を建設し、素朴なコミュニティが誕生した。隣の島に行くにも小舟を使うしかなかった。
周りに広がる浅い水面を埋立て、土地を拡大する際に、船が通れる水路を残しリオ(rio 小運河)として整備したことで、独特の水網都市が出来上がった。やがて煉瓦や石での住宅建設が進み、島の中心にはコミュニティのための公共空地としてカンポ(campo広場)が確保された。同時に島と島との間が橋で結ばれ、都市全体の歩くネットワークが出来た。
技術力も経済力も乏しい古い時代に出来た中心部ほど、運河はラグーナの微妙な自然条件に合わせ、緩やかに曲線を描く。カッレ(calle)と呼ばれる小道は短い距離で折れ曲がり見通しが効かない。こうしてヴェネツィアの中心部には、複雑に織りなされる水路網と道路網の両方が重なる摩訶不思議な水上の迷宮都市が誕生したのだ。
ただ、中世も時代が少し後の13~14世紀頃になると、周辺部には小運河に沿ってフォンダメンタ、(fondamenta 真っ直ぐな岸辺の道)を配する構成が見られるようになり、これもまたヴェネツィアに新たな魅力を加えた。
古今東西の都市は普通、中心から徐々に外側に連続的に市域を広げていく。多くの場合、計画的に全体の形態や重要施設の配置を決めて都市づくりを進めた。ところがヴェネツィアはいささか特殊な歩みをたどった。島ごとに部分、部分で環境形成を押し進めた。だから不都合なことが起こる。こちらの島と向こうの島の小道が運河に出る位置がずれるのは当たり前だった。それらを無理やり結んだ結果「捻れた橋」が誕生した。ポンテ・ストルト(ponte storto)と呼ばれる。
町を歩いて、迷宮に潜むこうした意外性のある風景に時折巡り会えるのが何とも嬉しい。この「捻れた橋」こそが、ヴェネツィアに都市の全体計画が不在だったことを物語る。上から押し付けられたイタリア本土の計画都市とは異なり、部分からの発想を重んじたヴェネツィアは、どの街角も生命体の一部として豊かな表情をもつ。まさに有機的都市であり、小さな建物がどれも魅力的だ。ヴェネツィアの居心地の良さはそこから生まれているに違いない。
この水上の迷宮都市にも実は、独特の空間秩序を生む重要な要素がある。人の歩く道筋の所々に祀られた小さな祠でカピテッロ(capitello)と呼ばれる。幼子イエスを抱いた聖母マリアの像が圧倒的に多いが、キリスト像、または隣町のパドヴァの守護聖人である聖アントニオの像も見かける。
この存在の大切さに一度気づくと、そればかりに目が行ってしまうほど面白い研究対象だ。陣内ゼミの学生が卒業論文で徹底調査をした結果、全体で320個確認できた。
こうした聖像を飾る小祠の位置が、歩く人の目をキャッチすべく巧みに計算されており、幾つかの特徴あるタイプに分類できることがわかった。まず王道を行くのは、カッレが折れ曲がるその突き当たりの壁に置かれるタイプ。次は、路上に建物が被さりトンネル状になったソトポルテゴ(sotoportego)と呼ばれる空間の内部の壁に設置されるタイプ。この2つを組み合わせ、運河沿いのトンネル(ソトポルテゴ)の視線の先、折れて橋に登る手前の突き当たりの壁にもしばしば祠が置かれる。
更には橋の上である。前述のように後から「捻れた橋」が架けられると、そこを渡る人の目線の先の正面の壁に祠を効果的に置けることになる。最後はやはり水都らしく、大運河の渡し船の船着場の壁に置かれるタイプだ。
歩く人の視覚体験を知り尽くし、その心理を考え抜いて選ばれた場所で、聖母マリアが見守ってくれている。歴史の中で育まれた知恵と言えるだろう。
陣内秀信(じんない・ひでのぶ)
法政大学江戸東京研究センター 特任教授。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学、ユネスコのローマ・センターで研修。専門はイタリア建築史・都市史。パレルモ大学、トレント大学等の契約教授を務めた。国交省都市景観大賞審査委員長他。受賞歴:地中海学会賞、イタリア共和国功労勲章、ローマ大学名誉学士号、アマルフィ名誉市民他。著書:『東京の空間人類学』(1992、筑摩書房、サントリー学芸賞受賞)、『ヴェネツィア-水上の迷宮都市』(1992、講談社)、『都市のルネサンス-イタリア社会の底力』(2021、古小烏舎)他多数。
◆『しあわせ気分のイタリア語』2024年10月号
◆「ぐるっとイタリア・スケッチ旅」イラスト・文 鈴木奈月
◆「もう一歩奥へ! Un passo avanti!」文 陣内秀信/イラスト 鈴木奈月