第9回【東宝映画スタア☆パレード】久我美子&平田昭彦 三船敏郎と『ゴジラ』映画が繋いだ夫婦の絆
今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。
2024年6月、九十三歳で死去した久我美子。晩年はほとんど表舞台に出ず、ひっそりとお暮らしになっていた伝説の女優である。
元〝華族〟という出自を持つも、家計を助けるため東宝ニューフェイスに応募し、俳優を始めた経緯については、今さら紹介するまでもないだろう。
久我の本名は小野田美子(はるこ)。東宝男優・平田昭彦=小野田昭彦(1984年、五十六歳で没)の妻でもあった。
二人の結婚は平田の熱い求愛によるものだが、結婚前の共演作は久我が早々に東宝を離れたこともあり、『柳生武芸帳』(57)くらいしか見当たらない。
久我の本作出演は、監督の稲垣浩が大の〈久我推し〉だったことで実現。さらに稲垣は、61年の『大阪城物語』にも久我(当時「にんじんくらぶ」所属)を配役する。二人の恋愛は当作出演中に始まったというから、稲垣は恋のキューピッドだったことになる。
同年10月9日、帝国ホテルで行われた二人の結婚式の媒酌人を務めたのは、当の稲垣浩(世話人代表は藤本真澄、司会は小林桂樹)。結婚までの半年間、映画界にも週刊誌にも気づかれなかった周到さは、「さすが東大出身と元侯爵令嬢(女子学習院)だけある」と評されている(※1)。
▲二人の結婚を伝える「週刊平凡」61年10月25日号。「会場はさながらスター・パレードのよう」と紹介されている(寺島映画資料文庫所蔵)
次に久我が平田昭彦と共演したのは、やはり稲垣浩監督の『士魂魔道 大竜巻』(64)。二人は『風林火山』(69)でも夫婦共演を果たすが、すべて久我と第1回東宝ニューフェイスで同期だった三船敏郎の出演作というのが興味深い。この時代劇大作で佐久間良子が演じた「由布姫」役には、そもそも久我が想定されていたというから、稲垣の久我への強い執着がうかがえる。
三船との共演作なら、何といっても『酔いどれ天使』(48)である。昨今、笠置シヅ子の「ジャングルブギー」ばかりが取り沙汰される本作において、最も印象に残った俳優はと問われれば、筆者は真っ先に久我美子の名前を挙げる。
この黒澤映画で久我は、稲垣が指摘した「丸い顔、太い眉、八重歯と特徴のある声」を武器に、結核から立ち直る健気な少女を好演する。しんみりとしたラストシーンに希望を感じるのは、久我の存在があってこそ。まさに〝天使〟のごとき、はちきれんばかりの可憐さに、当時の観客は皆、救われる思いで劇場をあとにしたに違いない。
谷口千吉の『ジャコ萬と鉄』(49)でも〝天使〟的役柄をこなした久我。黒澤が松竹で撮った『白痴』(51)では、やはり元侯爵を感じさせる役柄(自身でも「やっと私の役柄にめぐり会えた」と振り返る)を演じ、大いにその存在感を示した(※2)。
久我の東宝での代表作といえば、やはり『また逢う日まで』(50)にとどめを刺すだろう。
キネマ旬報ベストテンで第1位を得た、今井正によるこの〝悲恋もの〟は、今なお岡田英次との「ガラス越しのキスシーン」ばかりが語り継がれるが、実は直に接吻しているシーンも(それも三度も四度も!)ある。
どちらにしても、この時代に見た方のショックは相当なものだったはずで、これで久我美子は永遠の存在となる。
戦時真っ只中の若者の実らぬ恋を描き、声高なメッセージはなくとも、淡々と二人のささやかな夢を描くことで、見事な反戦映画となり得た本作。ここで久我が岡田に見せた〝おどけ顔〟も、ラストの哀切さを一層募らせる効果を生んでいる。久我自身、未熟さを認める発言を残しているが、今の目で見てもなかなかの名演である。
51年から久我は大映に所属。木下惠介に気に入られた『女の園』(54/松竹※3)以降の、「にんじんくらぶ」時代の活動については本稿では触れないが、その後も久我はゆったりとしたペースで、気品さを失わずに女優業を継続。のちに『ゴジラVSビオランテ』(89)に官房長官役で出演した折には、亡夫・平田昭彦の遺志を継いだものとして、特撮マニアを歓喜させている。
▲『また逢う日まで』での可憐な久我と「ウルトラQ」出演時の平田 イラスト:Produce any Colour TaIZ/岡本和泉
平田昭彦は『ゴジラ』(54)の芹沢博士役で、特撮マニアに崇め奉られる存在となった俳優である。兄の小野田嘉幹が助監督をする新東宝でアルバイトをした経験が忘れられなかったか、東京大学法学部を卒業後、貿易会社で仕事をしていたにもかかわらず俳優になったという変わり種。東宝では「学士俳優第一号」の中村彰に次ぐ東大卒俳優だった。
ちなみに怪優・天本英世は東大中退、東宝ではないが山村聰(文)、神田隆(文)、渡辺文雄(経)などが東大出として知られる。
『ゴジラ』の本多猪四郎監督が創り出した特撮作品『空の大怪獣ラドン』(56)、『地球防衛軍』(57)、『キングコング対ゴジラ』(62)などでは、その出自や理知的な風貌から博士や学者役が振り当てられた平田。しかし、筆者には〝暗黒街〟ものなどで演じたにニヒルな殺し屋の印象が圧倒的に強い。実際、平田の全出演作品中、特撮・怪獣ものの割合は二割ほどに過ぎない。
痛快無比の岡本喜八作『暗黒街の対決』、鈴木英夫のノワール『非情都市』、三船と池部良の競演作『男対男』(以上60)、福田純によるアクション『情無用の罠』、大藪春彦原作の『顔役暁に死す』、夏木陽介主演の宝塚活劇『断崖の決闘』等々、『暗黒街の弾痕』(捜査主任役/以上61)などのわずかな例外を除き、平田が演じたのはどれもこれも〈悪人〉役ばかり。本多作品ですら、『海底軍艦』(63)ではムウ帝国の工作員役を振られたほどだ。
逆に言えば、『大番』シリース(57)で演じた原節子の夫=伯爵役や『電送人間』(60)での警部役などはサッパリ印象に残らず、子供時代の筆者には「平田昭彦は悪い人」というイメージしかなかった。
そんな平田が、一度だけ出演した黒澤映画が『椿三十郎』(62)である。
黒澤明という監督は、ある特定の俳優に照準を定めて、徹底的にしごく(周りの取り方によってはイジメる)演出手法をとることで知られる。それは例えば、『七人の侍』(54)の稲葉義男だったり、『天国と地獄』(63)の石山健次郎だったりする。『影武者』(80)で萩原健一や大滝秀治が、しばしば強烈な雷を落とされた話もよく聞くところだ。
この黒澤時代劇で平田は、三船=三十郎が見るに見かねて手助けする若侍のリーダー格に扮している。しかし、よく眺めれば、平田一人だけ浮いているような気がしないだろうか。
実は、この役には当初、佐原健二が予定されていたという。佐原は黒澤と親しい本多猪四郎監督の秘蔵っ子である。ところが、そのとき佐原が出演していた『南の島に雪が降る』(61)の撮影が延びに延び、黒澤は使うのを楽しみにしていた佐原の配役を断念。代わりにキャスティングされたのが平田昭彦だったのだ。
ある日、平田は黒澤と親しい土屋嘉男(やはり若侍の一人)から、夕食の誘いを受ける。黒澤が親しい役者やスタッフと夕食を共にするのは日常茶飯事。ところが、元々平田を「虫が好かない」黒澤は、助監督に命じて〝闖入者〟である平田を食事会場から締め出すという挙に出る。これには、さすがの土屋も「黒澤を恨んだ」(土屋嘉男著『クロサワさ~ん! 黒澤明との素晴らしき日々』新潮文庫)と語っているが、当の平田の胸中は果たしていかばかりであったか(※4)。
平田が妻の久我美子に「今日も監督に絞られちゃったよ」と愚痴をこぼしていた様子は当時の婦人雑誌にも載っており、平田が黒澤の標的にされていたことは間違いない。
後年、平田は佐原健二対し「やっぱり僕は、科学者とかそういう役回りが一番似合っているのかなぁ」と自らのキャリアを振り返るとともに、「万城目淳の役が欲しかったんだよね」と本音も漏らしたという(佐原健二著『素晴らしき特撮人生』小学館※5)。
「ウルトラマン」では科学者・岩本博士に扮し、遺作の『さよならジュピター』(84)でも小松左京の熱いリクエストに応え天文学者を演じた平田。たとえ本人が過去の役に満足していなかろうと、クールでスマートな悪役をさらりとこなす平田昭彦は、東宝には欠くべからざる俳優であった(※6)。
※1 東宝の俳優同士で結婚した例は、児玉清と北川町子、Bホーム(いわゆる大部屋)の岡豊と記平佳枝など、極めて少数。
※2 久我自身が選ぶベスト3は『また逢う日まで』『白痴』『挽歌』の三作。
※3 54年に久我が組んだ監督は、木下の他、溝口健二、千葉泰樹、市川崑、小林正樹など錚々たる顔ぶれ。
※4 土屋嘉男は自著で、他にも「Y」が黒澤に無視されていたと明かしている。
※5 本多猪四郎監督は佐原を〈陽〉、平田を〈陰〉と種別し、陽の佐原を「ウルトラQ」の主役・万城目淳に配した。
※6 成瀬作品にも縁がなかった平田だが、クレージー時代劇での〈大政〉役は意外にもお似合いだった。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。