1000号記念特別インタビュー 鎌倉から世界へ「飛躍」 バレリーナ 上野水香さん
タウンニュース鎌倉版が、2003年10月3日に発行した創刊号から、2025年3月28日号で1000号を数えた。節目を記念して発行するこの1000号記念特別号では、鎌倉から世界へ羽ばたいたバレリーナ上野水香(みずか)さん(47)を取材。本紙、さらには鎌倉のさらなる発展を願い、「飛躍」をテーマに話を聞いた。
大船で育った上野さんは、15歳でローザンヌ国際バレエコンクール入賞。17歳からプロとして活動し、『白鳥の湖』『ジゼル』などを国内外で披露する世界的バレリーナへと成長していった。20世紀を代表する名振付家の故モーリス・ベジャール氏から踊ることを許された『ボレロ』は、彼女の代名詞に。2023年秋には紫綬褒章受章。現在も東京バレエ団のゲスト・プリンシパル(最高位のダンサー)として、多くのファンを魅了し続けている。
練習は本番さながら
日本を代表する踊り手にまで登り詰めた上野さんは、母の薦めで5歳から藤沢のバレエ教室へ通い始めた。「練習をたくさんできない子だったんです。周りの子たちは何度も反復練習するところ、私も同じようにすると次の日にどこかが痛み、休まなきゃいけなくなっていた」。バレエが好きで、何よりも楽しかった少女は考えた。
集中して、1回だけ踊る。「コンクールや発表会の曲を、練習から真剣に通しで踊る。徹底して1回」。指導者から受けたアドバイスは、翌日の練習までに修正。その際、上野さんは独自にノートをつけていた。「今日は〇とか、×、△とか。注意されたことをいつも書いていた」と懐古する。
子どもの頃の思いは、今にも通じているという。「舞台を重ねていく中で、舞台で上手くいくことがどれほど大切なのかを学んだ。すごく集中して踊らないと、観ている人は喜ばない。上手くいくと、周りは喜んでくれる。絶対に上手くいかせるという強い意志を持って舞台に出ていくようになりました」
身長170センチ。すらりと長い手脚で美しいラインを生み出し、大きな瞳は舞台上での表現を一層映えさせる。世界的な振付家から『ボレロ』を授かったのは26歳の頃。実はそれ以前から、片思いを募らせていた。
「喜んでほしいから」
18歳の頃にボレロの公演を初めて観賞した際、「超ステキって。感動して、憧れて...」。プロの道をスタートしたものの、配役はなく苦悩の時期を経験。そこで考えたのが"勝手に"上野水香オン・ステージだ。鎌倉芸術館のホールを借り、観客は家族らわずか7人。「手書きのプログラムを作り、それっぽい衣装を着て。ラジカセで音楽を流してボレロを踊ったんです(笑)」。上野さんの初ボレロに、客席では祖父母が熱狂していた。「自分の踊りによって人を喜ばせたいという気持ちは、あの頃から変わっていません」
所属する東京バレエ団は45歳が定年。ファンからの熱望もあり、バレエ団がゲスト・プリンシパルという地位を設け、上野さんは団員として舞台に立ち続ける。「いつ引退するか、いつ次の道に進むのか。じゃあ次は何をするのか、今は何もわからない」。ただ、こうも話す。「求めてもらえるから踊る。踊るから生きている。喜んでもらえるから踊る、だから生きている」。今後も、4月下旬に「PasdeTrois上野水香×町田樹×高岸直樹」、6月には東京バレエ団「ザ・カブキ」の公演が控える。
100年ほど前、エリアナ・パブロワによって日本初のバレエスクールが誕生した鎌倉。日本バレエ発祥の鎌倉から世界へ飛躍した上野さんは、「市民の方がもっとバレエに親しむきっかけに、私がなれたらうれしい。鎌倉でまたオン・ステージができたらいいですね」と目を輝かせた。