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『日本各地に伝わる河童伝説』河童 vs ペルシャ河童の戦争があった?

草の実堂

『日本各地に伝わる河童伝説』河童 vs ペルシャ河童の戦争があった?
画像 : 河童 public domain

河童(かっぱ)といえば、日本を代表する妖怪の一つである。

その姿は猿や爬虫類のようだとされ、背中には亀のような甲羅を持ち、頭頂部に皿があるといったイメージが一般的だ。

家畜や人間を溺死させたり、肛門に手を突っ込んで尻子玉(魂や内臓)を抜き取るなど、恐ろしい怪物として語られる。

河童の伝承は日本各地で言い伝えられており、その話の数は膨大である。

今回はそんな河童たちの中でも、特に印象深い4種をピックアップし、解説を行っていく。

1. 猿猴

画像 : 妖怪絵巻『絵本集艸』より、天保7年(1836年)に新改川で子供を襲ったといわれる猿猴 public domain

数多くいる河童の中でも、もっとも忌まわしきものの一つに挙げられるのが、中国・四国地方に伝わる猿猴(えんこう)である。

全身が毛に覆われており、その姿はまるで猿のようだという。

腕を自在に伸ばすことができ、関節を自由に回転させることができる。
猿猴はこの腕を人間の肛門に突き刺し、腸や内臓を引きずり出して食べる、恐ろしい生態を持つとされる。

また、人間の女性を襲って、孕ませることもある。
生まれてくる子供は例外なく異形であり、忌み子として即座に殺されるのが常だったそうだ。

まさに危険極まりない、害獣のような存在といえよう。

しかし、猿猴は金属を嫌う性質を持つため、水に入る際は金物を身に付けることで、被害を避けられるとのことだ。

2. ヒョウズンボ

画像 : 佐脇嵩之『百怪図巻』より「へうすへ」(ひょうすべ) public domain

河童は屁をこいた勢いで、空を飛ぶという俗信がある。

しかし、腸内のガスが尽きれば飛ぶことはできなくなり、何よりその屁は強烈な悪臭を放つため、周囲に甚大な被害をもたらすとされる。

一方、宮崎県に伝わるヒョウズンボは、屁を使わずに空を飛ぶ不思議な力を持つ河童だという。

ヒョウズンボは、春は川辺に生息し、秋は山中に生息する。
春と秋のお彼岸の雨が降る夜に、ヒョウズンボたちは一斉に飛び立つ。
そして鳥のような声を上げながら、川と山を行き来すると伝えられている。

宮崎県の北部では、ヒョウズンボは「ヒョウスボ」と呼ばれ、大層イタズラ好きな河童として知られていたそうだ。
そこでこの地域の子供たちは、川で遊ぶ際に「ひょうすぼ。ひょうすぼ。金丸どんの一党じゃ。わるさすんなよ」という呪文を唱え、ヒョウスボに水中へ引きずり込まれないようにしていたとされる。

その昔、大蛇に食われ絶滅の危機に瀕していたヒョウスボの一族が、「金丸どん」という神主に助けを求めたという。
金丸どんはこれを快諾し、大蛇を一刀のもとに斬り伏せ退治した。

ヒョウスボはお礼に、今後、金丸どんの子孫には一切危害を加えないという約束をしたとされる。

そのため、「金丸どんの一党」と名乗れば、誰でもヒョウスボの災いを退けられると伝えられている。

3. ミントゥチカムイ

画像 : ミントゥチカムイ 草の実堂作成(AI)

ミントゥチカムイまたはミンツチは、北海道のアイヌ民族に伝わる、河童のような精霊である。

通常の河童と違い頭頂部に皿はなく、髪が生えているか、もしくはハゲ頭だとされる。

水辺で人間に災いをもたらす悪しき側面も持つが、敬意を払えば豊漁をもたらすなど、神のような存在としてアイヌの人々から畏敬の念を集めていたという。

伝承によれば、「オキクルミ」という英雄が、沖から攻めてきた疫病神と対峙した際、ヨモギで作った61体の人形に命を与え戦わせたと伝えられている。
ヨモギ人形たちは疫病神と激しい争いの末、わずか1体を残して壊滅。
死体はそのまま水中に沈んだという。
これら戦死したヨモギ人形たちの生まれ変わりが、ミントゥチカムイだとされている。

日本には古来より、川に流した藁人形が河童へと変化したという言い伝えが存在する。

その話がいつしか北海道へと伝わり、上記の伝説が生まれたとの説がある。

4. ペルシャ河童

画像 : ペルシャ河童 草の実堂作成(AI)

ペルシャ河童とは、遠いペルシャ(現在のイラン)の地から日本へとやって来た、河童の一群のことを指す。

福岡県の久留米市には、以下のような伝承がある。

(意訳・要約)

これは建久5年(1194年)、筑後国(現在の福岡県南部)においての出来事である。

草野永平という人物が就寝中、何者かの気配を感じ飛び起きると、何匹もの河童が枕元で平伏していた。
その内の一匹である「権三河童」が、口を開いてこう言った。

「我々は筑後川の支流、巨瀬川の三九瀬渕に住む河童の一族でございます。

近頃、異国からシルクロードを通り、外来の河童どもが筑後川に攻め入ってきました。
奴らはペルシャ河童といい、茶色い髪と皮膚を持つ、目が緑色の異形の河童であります。
奴らは不敵にも、我々の大切な食料である蟹を食い漁り、川の水を汚してきました。

許せぬと思い戦いを挑みましたが、奴らの物量に押され、もはや我々は壊滅状態。
その上、謎の疫病まで蔓延し出し、まさに泣きっ面にハチとはこのこと。
そこで貴方様にお願いがあります。我々に瓜を少しばかり恵んでほしいのです。
瓜の汁は病気を治し、食べれば一騎当千の力が湧き、ペルシャ河童どもにも後れを取ることはないでしょう」

永平はこれを快諾し、後日、大量に手配した瓜を、次々と三九瀬渕に投げ入れた。
それから数日後、無数のペルシャ河童の死体が、筑後川から有明海に向かって流れていった。
わずかに生き残ったペルシャ河童たちは岩場に張り付き、イソギンチャクへと姿を変えたという。

以来、筑後川の河童たちは、草野家の守護霊となり、子孫の繁栄を見守り続けていると伝えられている。

参考 : 『河童なんでも入門』『続日本妖怪大全』『九州の河童』他
文 / 草の実堂編集部

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