山下達郎「クリスマス・イブ」時間という試練に耐え抜く真のマスターピース
時代や世代を超えたクリスマスソング
1980年代ならずとも、クリスマスソングを語る上で絶対に外せないマスターピース。それが山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」。松任谷由実の「恋人がサンタクロース」と並んで、この国のクリスマスソングの横綱、二大巨頭と言っていいでしょう。制作者本人が “もう語りつくした感がある” と言っているくらい、時代や世代を超えて多くの人に愛され続けている名曲です。
曲の初出は、1983年の初夏にリリースされたアルバム『MELODIES』。当時の山下達郎は、“夏だ、海だ、タツローだ!” といったイメージ満載で、リードシングルもANAの沖縄キャンペーンCMソング「高気圧ガール」。この冬曲はいくぶん地味な印象でした。さりとて、同年12月にはシングルカットされ、ラジオを中心にそれなりにオンエアされていたのも事実です。
それ以前のクリスマスソングといえば、ポピュラー歌手がスタンダードナンバーをカバーするパターンが主流でしたが、80年代に入ってからは様々なジャンルのミュージシャンがオリジナルのクリスマスソングを発表し始め、同時代のクリスマスソングが増えていきます。そのきっかけを作った作品のひとつでもあります。
1988年冬、JR東海のCMソングとして起用
1980年代はティーネイジャーの人口も多く、ファミリーよりも若者を狙ったクリスマスマーケットが次々と開拓され、ロマンチックでハッピーなムードが高まっていった時代。歌というものは世につれるものですから、例外こそあれ、クリスマスソングの多くは “恋人たちの一夜” を切り取った作品が主流となっていきます。
空気は整いました。機は熟し、さあ真打ちの登場です。周知の通り、初出から5年を経た1988年の冬、山下達郎の「クリスマス・イブ」は JR東海のCMソングに起用されるのです。当時15歳の深津絵里を起用した『ホームタウン・エクスプレス』、そして翌1989年には17歳の牧瀬里穂を大ブレイクに導いた『クリスマス・エクスプレス』。この2本のTV-CMによって、この曲の人気は不動のものになるのです(CM自体は1992年まで続く)。まったく、人生は何が起こるかわかりません。
それにしても、初出から40年が過ぎた今となっても、全く色褪せない濃密な声と濃厚なサウンド。山下達郎の音に賭ける執念たるや鬼気迫るものがあります。ここまでマニアックに作られた音楽が、時間という試練を耐え抜き、なぜ大衆の支持を得続けているのか? そんなことを考えてみると、未来への扉を開くきっかけが見つかるかもしれません。あの頃の気持ちのまま、大人としてちゃんとしなきゃなあっていつも思わせてくれるのです。
*2018年12月14日、2016年12月24日に掲載された記事をアップデート