アンゼルム・キーファーの作品って?歴史、哲学、宗教の巨匠の人生を解説
「新表現主義」「重厚かつ壮大なスケール」などの言葉で表現される現代美術の巨匠、アンゼルム・キーファー。この記事ではアート初心者に向けて「アンゼルム・キーファーの人生」を解説します。
アンゼルム・キーファーとは?
アンゼルム・キーファー『七つの天の宮殿』, The Seven Heavenly Palaces (3679)
アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer、1945年3月8日~ )は、20世紀〜21世紀のドイツの画家で、戦後ドイツを代表する芸術家です。
キーファーは、ドイツの歴史、ナチス、大戦、リヒャルト・ワーグナー、ギリシャ神話、聖書、カバラなどを題材にした重厚かつ壮大なスケールの巨大な画面に描き出すのが特色です。
彼の作品は戦争の記憶や神話、哲学、宗教といったテーマを扱い、人間の在り方と歴史に迫る深い洞察を示しています。
アンゼルム・キーファーの価値観 - 戦後直後のドイツの状況が影響
アンゼルム・キーファーが取り上げるテーマは深く、ときには重くもあります。なぜそのような題材を取り上げるのかというと、彼の幼少期の体験が影響しているそうです。
当時のドイツはアメリカに占領されていた
第二次世界大戦が終わった1945年に生まれたキーファーは、今年2025年の3月で80歳を迎えました。彼は戦争の傷跡が生々しく残る戦後ドイツで幼少期を過ごし、廃墟や瓦礫を遊び場にして育ちます。
「ご存じのように、日本とドイツの共通点として、戦後アメリカによって占領され、国の力が削がれました。ドイツは『モーゲンソー計画』のもと、産業大国ではなく農業国にされようとしました」とキーファーは過去に話しています。
戦争を繰り返したくない気持ちが表れている
アンゼルム・キーファー・ホール アート財団, 2013 Mass MoCA Anselm Kiefer Hall Art Foundation
このモーゲンソー計画は、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国の財務長官ヘンリー・モーゲンソーによって立案されました。この計画はドイツの分割、重工業の解体、農業国への転換などを含んでいました。
キーファーは『モーゲンソー計画』と題した、小麦が室内一面に広がるインスタレーションを展開する作品を制作したことがあります。
この小麦畑は実り豊かで穏やかな田園風景の美しさを表現すると同時に、戦争がもたらした苦痛や歴史的トラウマ、作家が過ごした戦後の心理的風景などを暗示しています。
キーファーの芸術は、ドイツの歴史や戦争の記憶を扱ったものが多く点が特徴です。第二次世界大戦終結および広島・長崎への原爆投下から80年の節目の年に開催される今回の展覧会を通じて、「人類は同じ悲劇的な歴史を繰り返すのか」と問いかけています。
実は法律専攻から美術に転向した
アンゼルム・キーファーは幼少期から芸術家を目指していたかというと、そうではないようです。
フライブルク大学に進学したとき、キーファーは最初は法律を学びました。美術を学ぶようになったのは途中からです。カールスルーエの大学とデュッセルドルフ芸術アカデミーで絵画を学び、ヨーゼフ・ボイスやピーター・ドレイファーに師事して腕を磨きました。
アンゼルム・キーファー1960年代の作品 ~ナチスを扱う(大丈夫だったの!?)
ナチス賛美ではないが、物議をかもした
アンゼルム・キーファーは、1960年代の末からナチスを主題とした作品を発表するようになりました。
とくに1969年にヨーロッパ各地でナチス式敬礼をする画家自身を撮影した一連の写真作品『占領』を発表し、物議をかもします。(このときはまだ終戦から20年しかたっていませんでした。作品を見た人はナチスの記憶が蘇ったであろうことは想像できます)
その後も、ナチスの無謀なイギリス侵略計画を取り上げた『あしか作戦』(1975)などの写真作品で、ドイツの歴史上の記憶を揺り起こしています。
キーファーの作品は、古代の神話からナチス・ドイツのいまわしい時代まで含めたドイツの歴史をテーマとし、第二次大戦後のドイツが忘れようと努めていた暗い過去ですら表舞台にひっぱりだそうとしました。(当時のドイツ国民の中でも賛否両論ありました)
日用品、草や藁を素材に使った
アンゼルム・キーファー『A.E.I.O.U.』モロッコのトゲブシの枝と鉛板から作られた60冊の本の棚。ザルツブルク、フルトヴェングラー公園、2013年, Kiefer AEIOU 2013-8
アンゼルム・キーファーはヨーゼフ・ボイスの下で学ぶ間に、日用品を作品に取り入れるボイスの手法に影響を受けました。草や藁など損傷しやすいものを絵画に使うようになったのはこの頃からです。
また、画家として先行していたゲオルグ・バゼリッツのスタイルに接近するようになりました。
ヨーゼフ・ボイス
ドイツの現代美術家・彫刻家・教育者・音楽家・政治活動家。初期のフルクサスに関わり、パフォーマンスアート、ハプニングの数々を演じ名を馳せたほか、彫刻、インスタレーション、ドローイングなどの作品も数多く残している。脂肪や蜜蝋、フェルト、銅、鉄、玄武岩など独特な素材を使った立体作品を制作した。
(出典元:
" rel="noopener noreferrer" target="_blank">Wikipedia)
ゲオルク・バーゼリッツ
ドイツの画家、彫刻家、グラフィックアーティスト。1960年代に、彼は比喩的で表現力豊かな絵画で有名になりました。
(出典元:Wikpedia 英語版)
1980年代以降は、物質性を強調したアンゼルム・キーファー
テーマが神話や宗教に変った
アンゼルム・キーファーは1980年に第39回ヴェネチア・ビエンナーレにおいて西ドイツ館で個展を開催し、大好評を得ました。
この頃から、キーファーは神話や宗教といった普遍的なテーマで作品を作るようになり、わらをキャンバスに付着させた絵画シリーズを制作するようになります。1982年には鉛を素材に用い、物質感を感じさせる叙情的な大作を手がけるようになりました。
1980年代以降は、巨大な画面(縦横ともに3メートル以上の作品が珍しくない)に実物の藁が塗り込めらたり、あるいは鉛のオブジェが貼り付けられたりするなど、素材の物質性を強調した作品が多くなります
主題(テーマ)の重要性がさらに増した
アンゼルム・キーファー『信仰に支えられなかった失われた者たちに心を打たれ、川で太鼓が鳴り響く。』, Anselm Kiefer - Von den Verlorenen gerührt, die der Glaube nicht trug...
1980年代以降のキーファーの作品には、ワーグナーの作品名や古代の神話などにちなんだ題名が付けられました。作品の題名は画面に直接書き込まれることもあり、作品における「主題」の重要性が更に増しました。
彼はユダヤ系詩人パウル・ツェランの言葉を参照したり、植物と星の運行に関係があると考えた神秘家ロバート・フラッドに捧げた作品を制作したりして、宇宙にも関心を寄せています。
2010年代から金を活用
アンゼルム・キーファーは、2012年頃からは作品に金を用いるようになりました。2022年にキーファーのスタジオを訪れたマカフリーは、キーファーの平板な構図や豊かな金地と黒インクのコントラストから狩野派の作品を連想し、日本の伝統的な金碧障壁画について尋ねました。
しかしキーファーは金碧障壁画を知らなかったため、マカフリーは狩野派に関する本を贈ったそうです。キーファーはそれらに興味を示し、日本の美術に感銘を受けて金箔の使い方の探究がさらに進みます。
美術史上の位置づけ(新表現主義)- 主題を大切にする
アンゼルム・キーファーは美術史上ではどのように分類され、どのような評価をされているのでしょうか?
キーファーは現代美術家の中でも作品における「主題」「意味」を特に重視する作家です。
グループ分けをすると、「新表現主義」の一人に位置づけられます。
新表現主義(Neo-expressionism)
1970年代後半から1980年代中ごろまで美術市場を支配した現代美術の様式。ニュー・ペインティングとも。それまでのコンセプチュアル・アートやミニマル・アートの難解さにうんざりしていた美術界に熱狂的に受け入れられた。乱暴な筆触、原色の使用、対比配色など、技法的には抽象表現主義の影響も受けている。
(出典元:Wikipedia)
キーファーはアメリカのジュリアン・シュナーベルらとともに、新表現主義の代表的作家と見なされています。
国内で見られる作品 / 美術展
国内の美術館に収蔵されている作品
豊田市美術館
重い水 (1987年)
飛べ!フキコガネ (1990年)
高知県立美術館
アタノール(Athanor)(1988-91年)
名古屋市美術館
シベリアの王女(Princess of Siberia) (1988年)
国立国際美術館
星空 (1995年)
まとめ
重厚かつ壮大なスケールな作品で知られる現代美術界の巨匠、アンゼルム・キーファー。彼の作品の奥には、戦争の辛い記憶と過ちを繰り返さないための強い意志が込められていました。
ダイナミックな作品な視覚的に興味深いだけではなく、観る人に歴史を振り返る機会を与えます。以上、アンゼルム・キーファーの人生についてでした!