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​【第173回直木賞候補作品から(6)完 柚月裕子さん「逃亡者は北へ向かう」】東日本大震災で検察がくだした苦渋の決断を物語に昇華。現実とフィクションの境目が見えない予言的小説

アットエス

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。7月16日発表の第173回直木賞の候補作品を紹介する不定期連載。最終の6回目は柚月裕子さん「逃亡者は北へ向かう」(新潮社)。
2011年の東日本大震災直後、仙台と福島の両地検は拘留中の容疑者計58人を釈放した。処分保留だけでなく、起訴猶予処分による釈放も含む。「震災の影響で、容疑者の身柄の安全確保や被害者からの聴取など捜査の遂行が困難になった」ためという。

「逃亡者は北へ向かう」は、平時ではありえないこの特殊な判断を糸口に組み立てられている。柚月さんは、狭い穴に両手を差し込み、ぐいぐいぐいっと押し広げるように心を震わせる物語をつくりあげた。現実とフィクションの境目が見えない。作家としての「腕力」を感じる。

拘留中の容疑者釈放という緊急事態については、福島県内の警察署の刑事第一課長と部下のやりとりが、ことの重要性を伝える。

「仕方がないだろう。この状況下では目撃者情報も得られなければ、供述の裏付けもできん。これ以上の捜査は難しいと、地検が判断したんだ」
「この状況下だからこそ、被疑者の確保が必要でしょう!」
(中略)
「俺だって、忸怩たる思いなんだ!」

東北の各署でそれぞれに、これに似たような対話があったのではないかと想像する。「逃亡者は北へ向かう」は、こうした事情で釈放された男が「気の毒な状況」の帰結として重大犯罪の当事者になる話である。災害時に起こりうる事象を、優れた作家は先んじて物語化する。本作は予言的な内容を含むと言ってもいい。遠からぬ未来の被災地でこうした事件と人間模様が発生しても、何ら不思議ではない。

福島県内の居住地から岩手県に向かう男。大震災で崩落した道路や山肌、倒壊した家屋を乗り越えて北へ北へと歩を進める。その理由は何か。物語はロードムービー的な色彩を帯びる。

途中、奇妙な同伴者が現れる。目的地が近づくにつれ、同伴者は男の心の欠落を満たす存在として大きくなっていく。この過程が、情緒に流されすぎない筆致で描かれていて、読み手の心を強く揺さぶる。

犯罪とは。加害者とは。本作はこの二つの問いを通じて、人間の在り方そのものを描き出している。

(は)

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