Yahoo! JAPAN

非業の死を遂げた遊女を弔う玉菊燈籠…ほか吉原三景容を紹介【べらぼう】

草の実堂

歌川豊国「中万字屋玉菊」その2

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第9回放送は「玉菊燈籠(たまぎくどうろう)恋の地獄」。

蔦重(横浜流星)は瀬川(小芝風花)の身請け話を耳にして、初めて瀬川を思う気持ちに気づく。新之助(井之脇海)はうつせみ(小野花梨)と吉原を抜け出す計画を立てるが…

※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。

どうやら、松葉屋のうつせみと小田新之助が駆け落ちしてしまうようです。

恐らく物語の展開上、二人は早々に捕まり、文字通り地獄を見せられることでしょう。

ところでサブタイトルになっている玉菊燈籠とはなんでしょうか。

今回は、玉菊燈籠の由来となった遊女・玉菊(たまぎく)を紹介したいと思います。

25歳の短い生涯

歌川豊国「古今名婦傳 中万字の玉菊」

玉菊は、元禄15年(1702年)生まれですが、出身地や出自について詳しいことはよくわかっていません。

ただし吉原遊廓へ売られるくらいですから、貧しい家庭に育ったのは間違いないでしょう。

吉原遊廓へ売られてからは、角町(すみちょう)にある中万字屋勘兵衛(なかまんじや かんべゑ)抱えの遊女となりました。

吉原遊廓へ売られた時期は不明ながら、多くの少女は概ね10~13歳ごろには売られるため、玉菊も正徳元年(1711年)~正徳4年(1714年)ごろには吉原遊廓へやって来たものと考えられます。

遊女となった玉菊は才色兼備で知られ、茶の湯・生け花・俳諧・楽器などに長じました。

中でも河東節(かとうぶし。浄瑠璃の一種)の三味線は達者だったそうで、加えて気立てもよかったとなれば、もう言うことありません。

そんな玉菊は、いいところの旦那に身請けされるのだろう、と誰もが思った(妬んだ?)ことでしょう。

しかし玉菊は大酒飲みが玉に瑕。あまりの酒量に身体を壊し、享保11年(1726年)3月29日に亡くなってしまいます。
まだ25歳という若さでした。

慰霊の燈籠が、お盆の風物詩に

歌川豊国「中万字屋玉菊」。よほど酒が好きだったらしい。

人々から愛されながら、若くして世を去ってしまった玉菊。この年の7月、盂蘭盆会(お盆)になると吉原遊廓の茶屋では軒ごとに燈籠を掲げ、彼女の霊を祀ったそうです。

それだけ慕われていたのか、あるいは単なる美談ではなく、非業の死を遂げた(怨霊による祟りを恐れた)のかも知れません。

ともあれ、以来毎年お盆になると吉原じゅうで燈籠が掲げられ、これを「玉菊燈籠」と呼ぶようになったのでした。

街灯なんて満足になかった時代ですから、軒々を照らす燈籠の灯りは幻想的だったことでしょう。

また、玉菊の三回忌となる享保13年(1728年)7月、二代目十寸見蘭洲(ますみ らんしゅう)が追善供養として河東節「水調子(みずぢょうし。傾城水調子)」を披露したところ、玉菊の霊が現れたと言います。

名演奏を喜んでくれたのか、あるいは何か怨みを訴えたかったのか……実際のところはどうだったのでしょうね。

吉原三景容とは

歌川広重「吉原夜桜ノ図」

かくして吉原三景容(~さんけいよう。三つのよい風景)に数えられた玉菊燈籠の風習。

せっかくなので、ほか二つも紹介しましょう。

吉原三景容の一:大通りの夜桜

吉原遊廓の大通りには、春が近づくと桜の木が植えられ、雪洞(ぼんぼり)でライトアップされました。

下草には山吹(やまぶき)の花が添えられ、桜と合わせて大通りを彩ります。

日が暮れると桜並木の下を艶やかに着飾った遊女たちが練り歩き、その光景は吉原遊廓でしか見られないものでした。

ちなみにこの桜は、花の盛りが過ぎるとすべて抜かれてしまいます。

夏の葉桜や冬の枯枝なんかは見たくない、ということでしょう。掃除も大変だからでしょうが、随分とカネも手間もかかる演出でした。

吉原三景容の一:俄(にわか)

現代でも「にわかファン」などと言うように、通人の対語かと思ったらさにあらず。そんなもの、別に見たって気分よくありませんからね。

吉原遊廓で言う俄とは、素人が路上で演じる狂言(俄狂言)のこと。

素人が演じるのだから別に見モノでもなかったのでしょうが、こういうカルチャーは次第に洗練されていくのがお約束。例えば徳島の阿波踊りなんかがそうですね。

おなじく俄狂言も面白がる人が技術を競い合うようになり、ついには吉原名物「吉原俄」と発展したのでした。

その名が示すとおり、突然始まった吉原俄に芸者や幇間(ほうかん。太鼓持ち)も加わり、大層賑やかに演じられたそうです。

遊女玉菊のプロフィール

歌川豊国「中万字屋玉菊」その2

生没:元禄15年(1702年)生~享保11年(1726年)3月29日没(享年25歳)
本名:不詳(たま?きく?)
出身:不詳
家族:不詳
身分:吉原遊女(太夫)
所属:角町・中万字屋
主人:中万字屋勘兵衛
特技:茶の湯・生け花・俳諧・楽器など
性格:温厚?
死因:不詳(酒が原因と言われる)
墓所:不詳(投げ込み寺・浄閑寺?)

終わりに

春の夜桜、お盆の玉菊燈籠そして突発的に始まる俄狂言。これらは吉原三景容として、遊び人たちに愛され続けたのでした。

果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では玉菊燈籠の光が、吉原遊廓の闇をどのように照らすのでしょうか。

そして吉原三景容がどのように描かれるのかについても、今から楽しみにしています。

参考文献:永井義男『図説 吉原事典』朝日文庫、2015年9月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

【関連記事】

おすすめの記事