牛乳配達の少女が演歌の女王になるまで~石川さゆりさん
ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。
石川さゆりさん(Part 2)
熊本県出身。1973年3月25日にシングル「かくれんぼ」でデビューし、「津軽海峡・冬景色」「波止場しぐれ」「天城越え」など数々のヒット曲を世に送り出してきた、日本を代表する歌手。紅白歌合戦では47回出場という最多記録を更新中です。
JK:子どものころからどんな歌を歌いました?
石川:やはり島倉千代子さんとか。母が大好きだったんです。家の前がバス停だったんですけど、窓からバスに並ぶ人に切符を売ったりタバコ売ったりしてたんですね。おばあちゃんが店番してて、私はおばあちゃんの膝の上にちょんと座って。そうするとちょうど煙草を売る窓がTVのブラウン管みたいで、お客さんに向かって「歌います!」と言って歌ってましたね。
JK:あっら~考えたわね! 立体TV!
石川:「あら可愛いわね~」っておだてられて、いい気になって(^^) 「小指と小指からませて♪」って。それが3つぐらいです。
JK:想像できるわぁ~。それは家でレコード聞く環境だったの?
石川:いやぁ、ラジオなのか・・・おばあちゃんがすごく芸事が大好きで、日本舞踊を習ってたんですって。帰ってくると、私の母やおじさんのお嫁さんたちに踊りを教えるんですって。
JK:だから演歌につながるのね。
石川:でも私デビューした時はかわいい歌で。それがどこでどうなったんですか・・・
JK:演歌の女王!
石川:だから私はこぶしとかビブラートはもともと持ってないんです。作ったものなんです。だから取り外し自由なんです(笑)
出水:(爆笑)
石川:演歌をずーっとやってらっしゃる方って、何を歌ってもこぶし、何でもビブラート。でも私は後から作ったものだから、「ウィスキーがお好きでしょ」とかけっこうjazzyな感じで好きですよ。でも歌によって必要があればビブラートもこぶしもいれるし、ノンビブラートにもできる。でも歌ってそういうものじゃないかしら。
出水:子どものころのお話に戻りますが、石川さんが芸能の世界に足を踏み入れることになった時、ご両親は後押ししてくださったんですか?
石川:なんにもしてくれませんでした! 熊本の生まれで、父の仕事で10歳の時に横浜に。それで「歌のお稽古に通いたい」って両親に言ったんです。そしたら「うちは普通のサラリーマン家庭だから、塾に通うお金は出してあげるけど、歌のお稽古に行かせるお金はない」って言われて。でも5000円かかるんですよ! どうしようかなあと思って、牛乳配達やりました。
出水:えーっ! 何時ごろ起きて??
石川:朝4時半とか5時とか。中学校の時です。だって牛乳配達か新聞しかないんですよ、中学生ができるの。私は公団とか団地をずっと回ってたんだけど、階段をあがったり下りたりしながら。
JK:まぁジムみたいなもんね(^^) でもエライねぇ! 意志が強いというか。
石川:でも時々ずるっこしました。「チラシを撒いてください」って言われて、みなさんが見ればいいんだなと思ったんで、お肉屋さんと八百屋さんのところに持って行って「おばちゃん、これお客さんにあげてください」ってドンドンッ!と置いて行って(笑)
出水:考えましたね(^^) そうやってお稽古に通っているうちに、先生からご推薦していただいた?
石川:そういうんじゃなくて、夏休みにTV局のコンクールがあって、お友だちがそこに応募した。
JK:よくある話よね。友だちについていく。
石川:違う、違うの。返信のハガキが来て、オーディションの日にちが「おばあちゃんちに帰る日になっちゃった!」っていうんで、「もったいないから私が行ってみる」って。
JK:その人の代わりに?!
石川:ハガキを持って、オーディション会場で名前を書き換えて、歌ったらTVに出ることになっちゃった。それで4週勝ち抜いてしまって・・・優勝してしまって。9月になってすぐTV局から「ちょっと来てください」って言われて母と一緒に行ったら、「10月からスタートするドラマの収録があるので出てください」って。「いや、私は歌手になりたいんです」「いろんな意味で勉強になるから、まずはレギュラーでやりなさい」って。それで石坂洋二郎さんの「光る海」という番組で半年間。
JK:うわぁ~! ラッキーというか、まるでストーリーができあがってるわね!
石川:だから本当に下積みも何もなくって。半年もドラマをやらせていただくと、それなりにファンの方もついてくださって、次の年の3月25日にデビューした時にはもうコンサート。コンサートから幕開けなんです!
JK:いきなりコンサート(@w@)そんな人あんまりいないですよ。
石川:みなさんいろんな苦労なさっているのに、本当にお恥ずかしいくらい私にはそういう苦労がないんです(-_-;)
JK:今までに、マサカこんなことになるなんて!っていう出来事は?
石川:マサカ・・・何でしょうねぇ。すっごい疲れて疲れて、どこからどういう風に働いたのか分からないぐらい疲れて。気が付いたらオーストラリアにいたんですよ。オペラハウス。
出水:ええっ!
JK:あそこで歌ったんですかー?!
石川:いや、聞いてくださいよ(^^)あそこに行かなきゃいけないんだけど、時間が間に合わない! どうしたらいいの! 私は船に乗ってるのよ! もうここから泳いでいく!・・・って言って飛び込んで、ワアっとステージに行くんですよ。行ったら支度をする間もなく「さゆりさん幕を開けます! 時間です!」って幕がバーン!と開いて、「みなさんすみません、私は何もできてません!」・・・って夢を見て目が覚めたんです(^^)
JK:あ~よかった! 悪夢ね。
石川:こんなに疲れる夢ってあるかなあって! 疲れすぎちゃって、朝起きた時にはグッタリです(^^;) 何がマサカかもわからない。そういうことってないですか?
JK:そこまで疲れないわ(笑)私忘れっぽいから。前しかないんです。後ろは忘れちゃう(^^)
石川:でもちっちゃなチャンスをつかむことが上手ですよね。前にNYのどこか、美術館かでショウをやる話を聞いたことがある。お掃除のおばちゃんか誰かと話をして・・・
JK:メトロポリタンでショウをやりたいんだけど、たまたまパリのブティックのカタログを持ってて、入り口の切符切るおばちゃんに見せて「ここでショウやれない?」って。そんな人に言っても意味ないって言われたんだけど、見せたら「ちょっと待ってて」って。結構待たされたら「2週間後に返事します」って言われて。
石川:そのおばちゃんは何者だったんでしょうね?? やっぱり、自分がこういうことをやってみたいと思ったら、無理って言った時点で無理なんですよね。
出水:石川さんがこれからやりたいことは?
石川:いろいろ思うことはありますけどねぇ・・・今はおっきなステージ、小さなステージ、いろんなものをやってみたい。あとはやはり歌をどういう風に作っていくか。もちろんヒットする歌を作るのは素敵なことだと思うけど、今自分は何をみなさんにお伝えしたいのか。今何が日本で起きていて、どういうことを歌にしていきたいのか。
出水:「弥栄ヤッサイ」は能登の曲ですが、今これを聞かせるべきだという思いから発想して?
石川:とにかく日本中が元気になればいいな、そして能登のみなさんとつながっていく。そう思ってこの曲を作りました。
JK:これは皆さんの力になるかもしれない。ちょっとしたことで気持ちが前向きになるから。それからもうひとつ「棉の花」っていうのは? 「綿」じゃなくて「棉」?
石川:摘む前が「棉」。大阪の河内木綿っていうのが明治の中頃まであったそうなんです。それが安価な洋綿が入ってきて、政府も全然補助してくれなかったので作れなくなっちゃった。河内木綿を作れなくなったお父さんは肉体労働に出ていく。お母さんは大変な仕事をする。子どもたちは9歳まで子守奉公に出て、19歳になると、悲しいけれど、新地に行って身体を売ったりしてたっていうことがあったんですって。「姉ちゃんに手紙を書いてみた」っていうそういうやり取りの歌です。
JK:ジャケットのお着物も素敵ですね。お着物はどのぐらい持ってるんですか? 置くとこないくらい?
石川:廊下の向こう側を着物部屋にしまして、下から上まで引き出し。スタッフの女性2人をつけて、全部写真撮って、番号で管理してます。同じ着物を同じ番組で着ないように。
JK:そうですよねぇ。でも着物ってずっと長く使えるから、そういう意味ではいいですよね。
石川:今から30年くらい前の着物も、帯とか変えたりして・・・私も着物がこんなに好きでなかったら、ビルくらい建てられたかなぁって(笑) 以前は三越とかで展示させていただいたり。
JK:石川さゆりミュージアムね!
(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)