【釣り人のためのヒグマ対策】絶対にやってはいけないNG行動&命を守るための4つの鉄則
2023年の釣り人死亡事故以降、ヒグマへの危機感がかつてなく高まっている。北海道の釣りではヒグマ対策が必須。専門家が語るセミナーから、遭遇しない努力、万が一の際の心構え、そして釣り人が絶対にすべきでないことまで、命を守るための知識を解説する。
北海道の釣りではヒグマ対策が必須
2023年5月、幌加内町の朱鞠内湖で、ヒグマの襲撃による釣り人の死亡事故が発生した。釣りにおけるヒグマの事故例はこれまで、山菜採りなどと比べて少なめとされてきた。それだけに、釣り人の間では重く受け止められ、ヒグマとの遭遇への危機感がかつてないほど高まっている。
道内のヒグマの動向をみると、かつて行なわれていた『春グマ駆除』が1990年に廃止されて以降、個体数は明らかな増加傾向にある。近年の調査で、同年の推定生息数は5200頭だったが、2014年には1万500頭と倍増。その後も増え続け、2020年は1万1700頭と推定されている。
これを受け、2023年度から道の許可により市町村や狩猟関連団体が行なう『春季管理捕獲』が始まった。とはいえ、状況は急には変わらないと予想され、フィールドに身をおく釣り人は、ヒグマについて知識を持ち、高い警戒心を維持していくことが求められる。
そうしたなか2024年に旭川市内で、釣り人をメインの対象にしたクマセミナー『ヒグマ最前線~相手を知って身を守る~』が開かれた。(公財)日本釣振興会北海道地区支部と旭川市の共催。全道各地から約70人が集まり、ヒグマの基礎知識から最新事情まで、熱心に耳を傾けた。
ヒグマの行動を理解することが重要
講師を務めたのは『もりネット』代表、『ヒグマの会』副会長の山本牧さん。道や旭川市のヒグマ対策、朱鞠内湖の事故では関係者の要請を受け、現地の捜索やヒグマの捕獲に専門家として携わっている。
講演の冒頭、来場者に、釣りをするかしないか、ヒグマを見たことがあるかの2点をたずねた。すると、来場者71人中、42人が釣り人で、ヒグマの目撃については、56人もの手が挙がった。関心が高い釣り人が多かったとはいえ、ヒグマがかなり身近なものになっていることがうかがえる。
山本さんは、「出没というのはあまり好きな言葉ではないんです」と語り始めた。「ヒグマは出たり消えたり、わいて出るものではなく、クマなりの目的があって歩いている。たとえば、食べたい、怖いものから逃げたい、繁殖行動をしたいなど。クマ対策においては、その一連のものを理解すること、〝どんなクマがなぜ?〞を念頭におくことが重要になる」。
講演では、そのために役立つ基礎知識が紹介された。以下、その要旨を紹介する。
釣り人をメインの対象にしたヒグマのセミナーが開かれた。短めの告知期間、積雪期の開催だったが、全道各地から多くの釣り人が集まった
朱鞠内湖の釣り人が襲われた事故について
朱鞠内湖の事故現場は、水際から背後の森まで100m近く距離がある、開けた空間だった。このため、バッタリ遭遇したわけではなく、ヒグマの側から接近した可能性が高い。最初に襲われたと思われる現場から少し離れた場所にネットが落ちていた。これらの状況から、ランディングの最中、しゃがんで夢中になっていたところを接近、ヒグマに驚き、逃げた。その際、つい走ってしまい、それが次の攻撃を誘発してしまったと考えられる。
ではなぜヒグマは接近したのか?好奇心、エサに惹かれて、攻撃など、さまざまな理由が考えられる。朱鞠内湖はマナーのよい釣り人が多いが、ウグイを陸に捨てるなどの行為が事故以前にあった可能性を指摘する声も。そんな行為があれば、釣り人が来れば魚が置いてある、というふうに学習してしまう。リリースの失敗も同様、ヒグマの誘引につながりかねない。さらに、しゃがんでいる人間を積極的に襲った可能性もある。事故の数日前や前年の秋にも、釣り人に接近するヒグマがいた。
現場付近に現れるクマは、遺体のそばにあった足跡と個体のサイズが似ていたこと、現場に執着している、人を恐れないなどの行動から、問題のある個体と判断。赤外線カメラを積んだドローンで居場所を確認しつつ、ハンターに情報を伝えながら駆除に至った。ドローンを使った駆除はおそらく国内では初の事例。
事故後の2023年秋、命とフィールドを守る対策『朱鞠内湖ルール』が作られた。ルールは単独行動は原則禁止、必須の携行装備品(スマートフォン、撃退スプレー、発炎筒など)、カップラーメンを含む調理の禁止などがある。
朱鞠内湖で2023年5月、ヒグマによる釣り人の死亡事故が起きてしまった。釣り人の危機感はかつてないほど高まっている
人間の事情、ヒグマの変化
札幌市のヒグマの目撃情報を見ると、山すそに多い。目撃されるのは、若いクマと親子グマ。クマ社会では弱い立場のクマが多い。これは、安定したところには大型のオスグマがいて、人間よりおじさんグマのほうが怖い。それで山すそに住みついている。これが札幌の状況。
今、人とクマの距離感が非常に縮まっている。その理由のひとつは緩衝帯の喪失。農村が過疎高齢化で人が減っている。次に、捕獲圧の低下。クマを撃つハンターが少なくなっている。その結果として、警戒心が薄く能天気な、畑の作物に依存するクマが増えている。つまり、クマの数が増えただけでなく行動が変わり、その理由はクマの側ではなく、人間社会の変化にある。そこにクマが入り込んでいる。
クマの生息域の拡大には3つの段階がある。最初は、若いクマがうろちょろする。2番目は、オスグマがメスを捜し、用心深い大型のクマが歩き出す。第3段階になると、メスグマが定着し、子育てをし始める。札幌は第3段階まできている。これは特殊かつ危険な状態で、それなりの対策が必要。しかし、その対策を単純に全道に広げるのはクマにとって過剰な圧力になる。地域それぞれの状況をみて考える必要がある。
現在クマは、1990年から2倍ちょっとくらいになっている。でも実感は2倍どころではない。おそらく数が2倍、行動も2倍くらいおかしくなって、2×2で4倍くらい、とんでもないことが起きている。
ヒグマの食性と生きるカタチ
ヒグマはかつて、サケやエゾシカを自由に食べていたはず。それが食べられなくなって100年くらい経っている。エゾシカについてはかつて、「シカなんか見たことない」という時代があった。シカやサケという栄養価の高い越冬前の貴重な食料を食べられなくなったクマが生き延びたのは、野生動物界では希有なこと。そういう意味では、主要な食物の柱を2つ失っても生き延び、人間の弱みにつけ込んで繁栄しているヒグマは、なかなか手ごわい生きものといえる。
動物は頭蓋骨から生きるカタチ、つまり食性や行動が見えてくる。ヒグマの頭骨をみると、鼻面が長い。鼻が大きいというのがひとつのポイント。雑食で〝探す動物〞。学習能力と食べ物の柔軟性、記憶力をもつ。春は山菜、夏に穀物、秋に木の実、ときどきサケもいただいて……。その暮らしぶりや、臼歯をもっている点も人間に近い
匂いは食べ物を探すのに非常に大事。トウキビが熟れてきた、海岸にイルカが打ち上げられた、サケが上ってホッチャレになっているとか、それは、何kmも先から匂いが情報を運んでくれる。目や耳より鼻にたよることが、雑食の生活を支えている。そうした学習能力が今、畑荒らしにつながっている。
近年、冬眠しないクマ、シカを追うクマ、それに伴い、ここ10年くらい、銃声に近寄るクマが現われている。鉄砲の音は、自分をねらう危険な音ではなく、おいしいシカの切れ端を置いていってくれる音になっている。このため、爆竹を鳴らすとよってくるケースもあるという。
ヒグマに襲われる4つのケース
ヒグマ事故の発生状況で多いのは、「狩猟・駆除」(41%)、「山菜きのこ採り」(38%)が多く、「山林作業」(8%)と続く。「釣り」と「登山」はそれぞれ3%と比較的少ない。釣りや登山は決まったところを歩くことが多く、ヒグマにすればある程度予測がつく。山菜採りにおける、ランダムに歩き、下を向いて地べたに集中しているような状態ではリスクが高い。
また、事故が起きたケースは、主に4つに分類される。最も多いのは「バッタリ遭遇」。山菜採りでヤブのなかを歩くときなど。釣りでも、渓流で釣り上がっているときなどはあるかもしれない。出遭ったとき、心の準備ができておらず思わず叫んだり、逃げたりすることで事故に繋がる。
2番目は「子グマを守る」という行動。これは非常に厄介。3番目は「好奇心で接近からの攻撃」。朱鞠内湖の事故は、これに近い状況だったのかもしれない。4番目は「積極的な攻撃」。ケースとしては、シカを埋めた土まんじゅうに近づくと、何もしていなくても攻撃を受けることがある。臭い匂いがしたら行くのはやめておこうと考えたほうがよい。
具体的な釣り人のヒグマ対策
ここからは講演だけでなく、ヒグマ研究の第一人者である北海道野生動物研究所の門崎允昭(かどさき まさあき)さんから過去に聞いた知見も交えて、釣り人が実践すべき具体的なヒグマ対策をまとめた。
ヒグマと遭遇しないための努力を
人々がヒグマを恐れるように、ヒグマにとっても人間は恐ろしい存在。基本的にはヒグマも人の気配を察知すると危険を回避しようと離れていく。
「クマに自分が見つけられる前に、先にクマを見つけるような歩き方、進み方をするべきです。クマがいるかもしれない場所、背丈の高い草が密集している場所などでは歩みを停めて周囲を確認する。渓流釣りに入る場合にはホイッスルを携行するといいでしょう」と門崎さんは語る。
クマ鈴もクマ対策としてはお馴染みのアイテムだが、川沿いなど流れの音がある場所、あるいは風の強い日は聞こえづらい。ホイッスルを5分か10分に2〜3回でも吹いて歩くほうが効果的だという。
遭遇してしまったら
万が一ヒグマに遭遇してしまっときのNG行為は3つ。走って逃げる、騒ぐ、荷物を残す。ヒグマから距離を取ることは重要だが、ヒグマには逃げる対象を追いかける傾向がある、距離が離れていれば足早に離れてもよいが、背中を見せて走って逃げるのは絶対にやめよう。
また、近い距離で大きな声を出せば、ヒグマが興奮して攻撃的になってしまう恐れがある。荷物を残さないのは、自分を守るだけでなく、次に来た人を守るため。人に近づけばエサが手に入ると学習してしまう。
積極的に襲ってくるクマには…
基本的には人の存在を認識すればヒグマも離れていくことが多い。しかし、ヒグマの行動理由次第では積極的に近寄ってきたり、攻撃してくる可能性もゼロではない。そんなときの保険として持っておきたいのはクマ避けスプレーだ。
知床財団では、ヒグマに対してクマ撃退スプレーを何度も使用し、効果的に追い払っているという実績もある。しかし、クマ避けスプレーは、風向きを考慮した上で噴射しなければならず、ヒグマに当てるには比較的近距離で使わなければいけないなど使い方が難しい面も。正確に噴射するために、商品の説明をよく読み、事前にイメージトレーニングをしておきたい。
また、最終手段としてナタも有効だと門崎さんは言う。ご自身も調査の際には必ず携行しているようだ。
「ナタを持って反撃したことで助かった事例が複数あります。哺乳類は全身の皮膚に痛覚神経があるため、ナタで反撃すると痛いと思ってそれ以上攻撃してこなくなります。」
複数人行動のほうが事故率が低い
事故の際、複数と単独で、事故率と死亡率に大きな違いがある。単独だと事故率、死亡率とも高い。複数だと事故発生件数が少なく、死亡率も低い。これはヒグマへのアピール、お互いの助け合い、レスキューを行なえるため。朱鞠内湖で「単独行動は原則禁止」というローカルルールが設けられたのは、こうした理由による。
また、仲間がいれば手をつなぐのも効果的。これは一人が逃げ出してヒグマを興奮させるのを防ぐほか、人間が二人いるとクマには大きな生きものに見える。手をつないでいる状態での事故はほとんどないという。
いずれにしてもヒグマが出る領域へ入るときは事前の情報収集を怠らず、「ヒグマに遭遇しないための最大限の努力」と「万が一遭遇した場合の心構え」の両方を持つことが大事。また、当たり前だがヒグマのエサとなるゴミを残していくのは絶対にやめよう。リリース時に魚を弱らせてしまうのも、魚が岸に打ち上がりヒグマを釣り場に寄せる原因になるので気をつけたい。
最後に講演での山本さんの言葉を紹介して、この記事の締めくくりとしたい。
「野山に入る釣り人や登山者は、役所も守ってくれず、自分と仲間で守るのが基本。幸いクマはむやみに攻撃的な生きものではない。そのなかで、自分たちで距離を取るのが大事ではないかと思っています。」
ヒグマ<写真提供:門崎允昭さん>
※このページは『North Angler’s 2024年6月号』を再編集したものです