溝端淳平「下手なのに怒られなくて…」葛藤と出会い
個性豊かな様々なゲストをお迎えして、幼少期のターニングポイントや、やる気スイッチの入った瞬間を深掘りしていく番組。
メインパーソナリティの佐藤隆太さんと佐々木舞音アナウンサーの2人でお送りします。
2月3日(月)放送のゲストには、俳優の溝端淳平さんが登場!ジュノンボーイを皮切りに、多くのドラマや映画などで活躍してきた溝端さん。デビューのきっかけや、若手時代の経験についてお話を聞いてみました!
佐藤:瑞バター!
溝端:伸ばさない!そのやり取りも、もう散々やったでしょ!
佐藤:あれ、取ったんですか、横棒は。
溝端:元々ないでしょ!(笑)日本の感じでバターって入ってる名字ないですよ。溝端。止めるの!
佐藤:今年は止めていくと。
溝端:ずっと止めてるわ!(笑)
姉の応募でまさかのジュノンボーイグランプリに輝くも、実力に見合わない仕事量に葛藤した日々
佐藤:改めてよろしくお願いします!「失恋ショコラティエ」「どうする家康」「スカーレット」とかで共演してますね。
溝端:そうですね。
佐藤:その前にも、映画もそうだし。ドラマでも(共演)本当に多いですね。やっぱ縁なんだなと思いますね。改めてジュノンスーパーボーイでグランプリでしょ。これ、受けようと思ったきっかけは何だったんですか。
溝端:きっかけは、僕ずっとジャッキーチェンとかの映画見るのが好きで。その後に中学校ぐらいに窪塚洋介さん主演の「GO」って映画があって、自分のアイデンティティを尊重しようと国境を越えたりとか自分の将来を自由に羽ばたけっていうメッセージの、そういう話なんですけど山崎努さんが窪塚くんを海に連れてって「広い世界を見ろ、そして自分で考えろ」みたいなセリフを受けて、僕もなんか「和歌山にいるのもいいけど、ちょっと広い世界を見たいな」と思ったのが、最初のきっかけで。
佐藤:そうなんだ!
溝端:でも田舎だからもう…みんなに馬鹿にされるってわけじゃないですけど、姉には「あんたな!近所で男前やな~言われたぐらいで調子乗るな!」って言われて。うちみんな公務員なんすけど、高2ぐらいの頃に進路そろそろ考えなあかんでって言ってるときに、僕はまだ俳優になりたいって言ってるから。「わかった。お姉ちゃんがもう応募するから、あかんかったらもう諦めや!絶対無理やからな。現実見ぃ!」みたいな感じで、怒られながら応募されたんですよ。
佐藤:面白いね!でもきっかけはでもお姉さんが作ってくれてるってことか。「合格したよ」って言ったら、びっくりしてた?
溝端:いやもうだから、めちゃくちゃびっくりしましたし、なんかもう信じられない!みたいな感じでしたね。ただちょっと姉貴としては、悔しい…じゃないけど思ってたのと違うと思ったのかと。もともと諦めさせるために応募したのに。
佐藤:ご両親の反応はどうだったんですか!そういったご家庭の環境の中で、こっちの道に行ったときは応援はしてくれたの?
溝端:もう姉2人で僕末っ子なんですよ、歳離れてて。2人はずっと真面目に歩んできてて、僕は結構親の言う事をほぼ聞かずに自由に生きちゃって。(笑)もうはなから親は諦めてました。すぐ仕事したいから、もう「高校もやめる!」って言ったんですけど、「それだけはやめなさい!」と言われ。
佐藤:なるほど!
溝端:もう仕事していいけど、高校卒業の資格だけは取って!って言われて、それだけの条件でもうすぐ上京しました。
佐々木:でも自分としては、もう今すぐにでも上京したい、今すぐ働きたいとい気持ちが?
溝端:そうですね。
佐々木:でも結構俳優としてデビューしてからも最初のほうからどんどんドラマとかにも出演されてますよね?
溝端:最初は、ジュノンボーイっていう、看板?をね。(笑)その看板のおかげで、結構たくさんお仕事をいただいてた時期ありましたけど、なんだろうな…お芝居の楽しさとか経験とか…実力もないけどお仕事が大きいのが決まっていく、っていう状況がちょっと自分の中で消化しきれない、モヤッとしたものはありましたね。
佐藤:僕も持論とか、全くそういうことじゃないですけど、縁に恵まれてて、やっぱ最初っからだって初の連ドラが「池袋ウエストゲートパーク」ですし。なかなか、あんなにすぐ与えてもらえる役じゃないと思うんだけど、ちょっとどこか自分が「追い付いてないまま進んでいっちゃってるかな」っていうなんか若干の焦りというか、自問自答というかね。
蜷川幸雄の稽古ですべてが吹っ切れた20代!“誤魔化しの効かない場所”で、現在も技術を磨く
溝端:結構20代半ばぐらいから舞台をたくさんやろうっていうふうにちょっとシフトチェンジしたわけじゃないですけども。
佐藤:でもそれは意図的に?
溝端:そう。下手だな~って思ってたし、でもだんだん20代で「ブザービート」とか「BOSS」とか出て、俺に対して何か思ってるだろうけど、直接言ってくれる人ってなかなかいないんですよ。「下手くそだ」って周りも思ってるだろうなと思いながらやりながら、そしたら蜷川さんの舞台に出たときは「やめちまえ!」って。(笑)「お前なんて、お前の感情なんてコンビニに売ってんだよ!どこでも誰でも買えるような感性で芝居してんじゃねよ」「ただ目でかいだけか!」って言われて。
佐藤:めちゃめちゃ長い尺で覚えてるじゃん!(笑)
溝端:いやもう毎日それを聞いてたので…。(笑)僕の一言のセリフが気に入らなくてそれで1日やってその日稽古終わるって言う事もありました。申し訳ないし、なんかでもそれってすっきりしますよ。なんか、「そうだよな~、もともと俺こうだよな」って。もうゼロからのスタートだったので、何も失うものも逆にないじゃんみたいな。こっから頑張っていこうって、何か吹っ切れた時期が23~24歳ぐらいであったんですよね。
佐々木:ズバっと言ってくれる蜷川さんの言葉があって、より頑張っていこうっていうようなスイッチが入って。
溝端:何だろうな、舞台って誤魔化しがきかないっていうか。言い方はあれなんですけど、「映像は猫でも人を泣かすことができる」という言葉があるんですけど、編集して編集して、ここで猫が鳴けば、物語とかそれまでの編集で流すことができる。でも猫が毎日舞台に立って「お芝居しなさい」っても無理でしょっていう。それと同じで、やっぱりもちろん映像でもテクニックも技術も必要だけども、本当の役者の技量が試されるのは舞台なんじゃないかっていうふうに僕も思ってる節があって。まぐれのホームランがないんですよね、舞台は。誤魔化しきかないから、そこでちょっとずつ評価される、目に見える反応とか、自分の足跡みたいなものをたどりたいなと思って舞台をやり始めたっていうのありますね。それがやる気スイッチなのかな。
佐藤:全部もうその人間が透けて見えちゃうっていうか、「この人どういうテンションで、どういう向き合い方して、そこに立ってるのかな」っていうのがすぐバレちゃうからね、だからめちゃくちゃ怖いんですよね。僕も本当舞台好きなんですけど本当にね、これデビュー時からずっと同じなんですけど、公演初日の1週間前ぐらいになると、「劇場なくなっちゃえ」と思うんですよ。本気で一瞬怖くて。でもなんか、一方通行じゃないんですよね。なんか思うのは、テレビとかってやっぱりもう制作して、お客さんが一方通行だけど、やっぱりお客さんからのエネルギーももらって一緒になってその作品を作っていくから、やっぱり豊かで贅沢な時間だなって思うし、怖いけど、僕も同じようにずっと今後も挑戦し続けたいなっていうふうに思ってるかな。
溝端:デビューはドラマですよね?
佐藤:最初の一番のデビューは宮本亜門さんのミュージカル。それで大学生のときに一般応募で受けてそこでご縁をいただいて、その講演の直後が「池袋ウエストゲートパーク」ですね。
溝端:役者佐藤隆太が最初に世に出て「池袋ウエストゲートパーク」やり始めてくると、結構ドラマが多かったですか?
佐藤:そうだね~。デビューして舞台やドラマが続いてたかなとは言いながらも、でも映像の方が多かったかな。
溝端:そっかそっか。映像で入った身からすると舞台への憧れというか、尊敬も強いしね。今でも毎年、年に最低1本はやろうとはしてるんですけど。
佐々木:そうなんですね!自分からそういう場を作るっていう。
佐藤:結構いっぱいね、共演させてもらってるけど、舞台でも何かご一緒したいっすよね。
溝端:そうですね。
(TBSラジオ『やる気スイッチラヂオ アストルム』より抜粋)