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『古代中国』夫婦の寝室に侍女がいた理由とは?~ただの世話係じゃなかった

草の実堂

画像 : 夫婦の寝室に付き添う侍女イメージ 草の実堂作成

夫婦の寝室に侍女 奇妙な風習の理由

画像 : 夫婦の寝室に付き添う侍女イメージ 草の実堂作成

現代の感覚では理解しがたいが、古代の中国において、夫婦の寝室に侍女が付き添うことは珍しいことではなかった。

特に富裕層や貴族の家庭では、家族と召使いの関係は単なる雇用関係ではなく、主従関係そのものであった。
侍女は、主人の私生活を支える存在であり、寝室での付き添いもその延長線上だったのだ。

特に夜間は、灯りや医療が発達していなかった時代であり、緊急時の対応を担うために侍女が寝室に控えるのは、ごく自然なこととされていた。

これは特に、宮廷や大貴族の屋敷で顕著であり、皇帝や王族の寝所には複数の宮女が仕えるのが常であった。

夜中でも呼び出し 侍女が果たした驚きの役割

夜間の世話の中でも、特に求められたのは寝具の調整や温度管理である。

中国の古い建築様式では、冬の冷え込みが厳しく、夏は蒸し暑さが厳しかった。
そのため、寒い季節には暖を用意し、主人が目を覚ますたびに布団を整え、暑い季節には扇を使って寝室の空気を入れ替えるなど、快適な環境を維持することが求められた。
また、夜中にのどが渇いたときの飲み水を用意したり、体調が優れない場合には薬を取りに行ったりすることもあった。

緊急時の対応も、侍女の重要な役割のひとつであった。

夜間に主人の具合が急に悪くなった場合、侍女は即座に医師を呼びに行く必要があった。宮廷や大貴族の屋敷では、侍医が常駐していることもあったが、それでも侍女が素早く伝令役を果たさなければならなかった。

また、盗賊や火事などの突発的な危険に備え、侍女は常に主人の近くで待機し、異変があればすぐに知らせる役割も果たしていた。

主人の気まぐれによる呼び出しも多かった。特に貴族や富裕層の家庭では、夜中に読書をしたり、談話をしたりするために侍女を呼び出すこともあった。

こうした夜間業務は、侍女にとって過酷なものであったろう。昼間の家事に加え、夜間も気を抜くことができなかったのだ。

ただの世話係じゃない?通房丫鬟とは

画像 : 通房丫鬟イメージ 草の実堂作成

侍女の中には「通房丫鬟(つうぼうようはん)」という特別な立場の者がいた。

彼女たちは、単なる世話係ではなく、主人の寝室に仕え、場合によっては側室に近い役割を果たすこともあった。

通房丫鬟がいた理由は、大きく二つある。

・夫が外で愛人を作らないようにするため

古代中国の儒教社会では家族の秩序を重んじ、「家の中で満足させれば外に出て行かない」という風潮があり、正妻が信頼する侍女を夫に与えることもあった。

実際、中国四大名著の一つ『※紅楼夢(こうろうむ)』では、名門貴族の女性・王熙鳳(おう きほう)の侍女・平児(へいじ)が、夫の通房丫鬟となり、夫婦の寝室に仕えていた。
これは、正妻が夫の気を外に向けさせないための手段の一つだった。

※『紅楼夢』とは、清朝中期(乾隆帝時代)の小説であり、史実ではないが、貴族社会の生活や侍女制度を詳細に描写している。特に「家生子」などの侍女の出自に関する記述は歴史資料とも一致し、通房丫鬟の存在についても一定の信憑性があるとされる。

・家の後継ぎとなる男子に、大人の教育をするため

特に貴族の家では、息子がある年齢に達すると、年上の侍女がそばにつけられ、身の回りの世話をしながら大人の教育を施すことがあった。

『紅楼夢』の主人公である貴公子・賈宝玉(か ほうぎょく)の侍女・襲人(しゅうじん)は、彼の祖母によって通房丫鬟として与えられ、宝玉の生活全般を世話するだけでなく、大人の教育を促したとされる。

画像 : 紅楼夢 挿絵 public domain

通房丫鬟の具体的な仕事としては、夜間は主人夫婦の寝室に付き添い、寝具の準備や水の用意をするだけでなく、夫婦の行為が終わった後の片付けも担当した。また、正妻が妊娠中や体調が悪いときには、「代役」を務めることもあった。

しかし、通房丫鬟の立場は決して安泰ではなかった。主人に気に入られれば妾(側室)に昇格することもあったが、正妻の嫉妬を買えば遠ざけられたり、他家に売られたりすることもあった。

さらに、通房丫鬟が主人の子を産んだ場合、その子の扱いによって彼女の運命も大きく変わった。正妻がその子を認めれば妾に昇格することもあったが、認められなければ母子ともに追放されることも珍しくなかった。

このように、通房丫鬟はただの侍女ではなく、寝室に深く関わる特別な存在だった。しかし、その立場は常に危うく不安定な人生を送ることが多かったのである。

おわりに

通房丫鬟や侍女制度は、清朝の滅亡(1912年)とともに表向きには消えたが、一部の地主階級や都市部の裕福な家庭では、類似した慣習が20世紀半ばまで続いた。その背景には、儒教的な価値観の根強さや経済的要因があった。

中華民国時代(1912~1949年)には、人身売買が法的に禁止されたものの、「養女」として引き取られた少女が実質的に侍女のように扱われるケースがあった。戦前の上海など都市部では、裕福な家庭が「妹仔(メイド)」を雇う習慣があり、旧来の主従関係は完全には消えていなかった。

1949年の中華人民共和国成立後、1950年の婚姻法により妾制度や人身売買が法的に禁止され、封建的な家族制度の解体が進められた。しかし、一部の農村や華僑社会では、封建的な家族観が残り、女性の自由が制限されるケースが1970年代頃まで続いたとされる。

このような慣習は、時代の変遷とともに徐々に姿を消していった。

参考 :『紅楼夢』曹雪芹(著)『唐律疏議』他
文 / 草の実堂編集部

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