伝説の殺し屋がドラマで復活!『ジャッカルの日』エディ・レッドメインが語る「スイス時計みたいに緻密」な暗殺スキル
あの『ジャッカルの日』がエディ・レッドメイン主演で蘇る
英作家フレデリック・フォーサイスのベストセラーにして、1973年にはフレッド・ジンネマン監督により映画化され世界的ヒットとなった『ジャッカルの日』が、新たにドラマシリーズとなって蘇った。ジャッカルに扮するのは、『博士と彼女のセオリー』や『ファンタスティック・ビースト』でお馴染みの演技派、エディ・レッドメインだ。
もっとも本作は、オリジナルと時代設定を変え、現代を舞台に、「IT企業の億万長者が世界のパワーバランスを揺るがす」という極めて今風のテーマを扱うとともに、プロの殺し屋として七変化を繰り返すジャッカルの、最新の特殊メーク技術を用いたみごとな変身ぶりが披露される。自身で製作総指揮も務めた渾身の本作について、レッドメインに訊いた。
「興味深いと思ったのは、道徳的な曖昧さ」
――フレデリック・フォーサイス原作の『ジャッカルの日』は以前にも映画化されていますが、まず本作に惹かれた理由を教えてください。
僕の仕事の選び方は、実を言うといつも直感的なものなんだ。でもエドワード・フォックスが演じた映画版『ジャッカルの日』(フレッド・ジンネマン監督/1973年)は父のお気に入りで、僕も子供の頃に彼の映画を観ていた。まだ子供だったにも拘らず、何か魅了されるものがあったのを覚えている。たぶん時代がかった感じが響いたのかもしれない。スパイ活動とか暗殺とか。あと綿密な計画や理論があって、それが展開されたときの一種のカタルシスみたいなものも感じた。
今回、最初の3話分の脚本が送られてきたのを読んでみて、とても新鮮で強い魅力を感じた。読む前は少し不安もあったよ。好きだったものを台無しにしたくなかったから。でも本シリーズは現代が舞台だったのと同時に、オリジナルのエッセンスもあるように感じられた。要は早く先が読みたいと、虜になったんだ。
――オリジナルを知っていたことは、この役を演じる上でインスピレーションになりましたか。
うん、というのもロナン・ベネット監督は、原作やジンネマン版に大きな愛と敬意を持っていたから。原作にとても忠実な引用もあるし、映画版のショットのレプリカのようなところもある。たとえば僕が個人的にも興味をそそられたのは、フォックスが映画のなかで木にロープをかけて結び目を作る場面。僕らも同じシーンを撮ったのだけど、このすごく簡単そうに見える行為が実際やってみるととても難しくて、そのために何ヶ月も練習しなければならなかった。それでフォックスの労力がすごくよく理解できたよ。
――一方、原作やジンネマン版は、ド・ゴール首相暗殺がテーマでしたが、現代が舞台の本作は、IT起業やマネーロンダリングの問題といった現代的なトピックです。だれが善で誰が悪か単純に割り切れない要素が強調されているように感じました。
オリジナルの映画と原作では、善と悪の二項対立があった。ド・ゴールが善であり、ジャッカルはカリスマ的だけど悪であるという。でもロナンが本作でやろうとしたことは、僕らが生きている現代の社会を反映したもので、世界がもはや二元的ではなくなり、すべてが一直線上にある。
僕が興味深いと思ったのは、その道徳的な曖昧さだ。そして本作に出てくるUDC(ウレ・ダグ・チャールズ)のような人物、ハイテク大富豪で彼が行使する権力とその政治的能力。政治家はこういった人々に操られ、もはや誰が本当の権力者であるかわからない。それは実際、現実の世界で起こっていることだ。
「ジャッカルはスイス時計のように緻密なキャラクター」
――あなたが演じるジャッカルはまた、妻と子供がいて家族をとても大切にしています。かなり複雑なキャラクターですが、あなたの目からみて、彼は本当に家族を愛しているのでしょうか。それは殺し屋にとって可能だと思いますか。
僕は彼が妻と子供を深く愛していると信じているよ。彼には反社会的とも言える何かがあって、僕はそこに魅力を感じた。彼は一匹狼で孤独な存在。長らくそれが自分の人生だと思っていた。でも、ある女性と出会って彼の気持ちが変わる。ただし彼のアキレス腱は、二つの異なる人生を両立させることができると思っていたこと。もちろん彼が家族を愛しているからといって、彼のおこないを正当化できるわけではないけれど。
僕は以前、『グッド・ナース』(2022年)という映画で実在のシリアルキラーを演じたことがあるけれど、あの作品ではなぜ彼があのような恐ろしい行動をとったのかは説明されていない。僕らはつねに人間として理由を探し、その心情を理解しようとするけれど、それは必ずしも理解できるものだと思わない。その人の資質、育ち、トラウマ、いろいろなものが混ざり合った曖昧な領域だ。ジャッカルも同じで、その曖昧さこそもっとも興味深いものだと思う。
――殺人鬼のような人物と、ふつうの人物を演じる場合、俳優としての心構えは異なりますか。
不思議なことに、あまり違いはないと思う。演技に関して奇妙なのは、演じている人物をジャッジしないこと。もっと瞬間瞬間、即興演奏をするようなところがある。僕は準備のプロセスが大好きで、自分のやり方は十分時間をかけて緻密に準備すること。とくにジャッカルはスイス時計のように緻密なキャラクターで、いつも細心の注意を払っているから、それらを考えるのは面白かった。でも最終的に撮影現場ではそういうことはあまり考えないし、パフォーマンスを面白くするのはカオスだと思う。まるで何かが計画通りに行かなかったとき、即興でそれに対処するジャッカルのようにね。
――準備に関して言えば、ジャッカルはまるで俳優のようにコロコロと違う人間になるゆえ、変装という点でも準備が大変だったのではないでしょうか。
たしかに撮影全体が、俳優のプレイグラウンドのように感じた。準備に関して、僕が初めてインスピレーションを得たのは、『マリリン 7日間の恋』(2011年)で、マリリン・モンローを演じたミシェル・ウィリアムズから。声音や動作など、あらゆるコーチに就きながら、彼女が徐々にマリリンになっていく様子に感嘆した。特に今回はメークアップ・アーティスト、衣装デザイナー、プロップ製作部などとのチームワークが不可欠だった。本作では、ジャッカルがマスクを被って徐々に変身していく過程を見せる場面もあるけれど、そこに彼のマニアックぶりを象徴させるというのもロナンの意図だった。
「僕の妻はすべての台本を読んでいる(笑)」
――本作の新しい要素として、彼を執拗に追う英国秘密情報部の捜査官ビアンカ(ラシャーナ・リンチ)の存在があります。宿敵が女性である点にも現代性を感じました。
それも僕がこの脚本に強く惹かれた要素だった。ラシャーナはビアンカのキャラクターを鮮烈にしてくれたね。ビアンカもジャッカルもお互い一歩も譲らないほどに粘り強く、高い技術を持ち、情熱的だ。でも最終的にそれが彼らに危険な倫理観をもたらしている。ふたりは似た者同士でありながら、その道は一方通行で、対決しか残されていない。
――ところで、あなたの奥様はあなたの台本に目を通していらっしゃると聞きました。ドラマシリーズのように長い期間でこれほど旅が多い企画の場合、ご家族への負担も大きいと思いますが、企画を受けるときに相談されたりするのですか。
お察しの通り、僕の妻はすべての台本を読んでいる(笑)。たしかにロンドンに家族を置いて、ヨーロッパを回りながら8ヶ月も滞在することは、僕にとって人生の大きな選択だ。でも妻も脚本をすごく面白がってくれて、僕の情熱を理解してくれた。
もちろん、なるべく家族に会えるように週末に帰ったり、ロケ地に来てもらったりと努力しているよ。妻の誕生日には、初めて子供たちと一緒に、ヴェネチアで過ごした。妻と娘はヴェネチアのブティックをまわって、僕と息子は広場にいて、息子はスポーツに夢中なので、広場でサッカーをしていた。ジャッカルからの飛躍が奇妙な感じだったけれど(笑)、とても美しい思い出になったね。
取材・文:佐藤久理子
ドラマ『ジャッカルの日』は2月22日(土)よりWOWOWで放送(全10話)
2月21日(金)よりWOWOWオンデマンドで1~3話先行配信
期間限定の第1話無料配信あり
放送情報:https://www.wowow.co.jp/detail/202770/
配信情報:https://wod.wowow.co.jp/program/202770