にしおかすみこ。認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父を支える芸人生活。現在(いま)を語る。
「にしおか〜すみこだよっ!」というキャッチフレーズとともに、ボンテージ姿で鞭を振り回す「女王様」ネタが一世を風靡した女性ピン芸人・にしおかすみこさん。2021年にWebメディア『FRAU』で開始したエッセイ連載『ポンコツ一家』が注目され、連載は書籍化。現在は2刊目となる『ポンコツ一家2年目』が発売されています。
2020年より東京を離れ、認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父と実家で暮らすことになったきっかけと、それをエッセイとしてしたためることになった経緯について、話を伺いました。
認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父
「人気者になって一攫千金を狙いたい」と19歳でオーディションへ応募し、1994年にお笑いタレントとしてデビューしたにしおかさん。20代はバイトをしながらライブステージに立ち続け、30代は「女王様」キャラでブレイク。40代のにしおかさんを待ち受けていたのは「家族の介護」でした。
遡ること2020年。コロナ禍の影響で仕事が激減したにしおかさんが千葉の実家を訪れると、「ちょっと様子がおかしい」家族の姿がありました。
「当時の私は仕事も貯金もなく、住んでいたマンションの家賃が払えなくなって、都内の安い物件に引っ越しを決めていました。荷造りも終わり、ふと『そういえば実家はどうしてるかな、元気かな』と思いました。
様子を見がてら帰省すれば、母の手料理が食べられるかも。それに荷物を詰めたダンボールから食器を出さなくて済むしラッキー。それくらいの感覚だったんです。
でも戻ってみたら、実家の部屋中がちょっとしたゴミ屋敷に。びっくりしました」
ゴミだらけのリビングに佇むにしおかさんの母親。にしおかさんが窓を開けて部屋を片付けようとすると、母親は「勝手なことをするな!頭かち割って死んでやる!」と怒鳴りました。にしおかさんは「何が起きているのか分からなかった」と振り返ります。
「本来の母はネガティブな発言をするタイプではなかったです。まして『死ぬ』という言葉を使うのをこれまでに聞いたことがありませんでした。ウチは母が一家の大黒柱。父はサラリーマンでしたが昔から酒飲みで、給料をほぼ全部飲み代に使うので、母が看護師としてはたらき、姉と私を愛情深く育ててくれました。
そんな母が? 今、目の前で何が起きているのだろう? すぐに認知症と思ったかどうか……思ったとしても症状に対しての知識はほぼなかったです。
実家に戻るかは迷いました。母だけでなく、姉も父も3人抱えるなんて無理です。私の人生もあります。でも心配でした。全然帰りたくなかったのですが(笑)、私がいないよりはいたほうがマシだろうと、腹を括らないまま、都内の引っ越しをやめて実家暮らしを選択しました」
その後、にしおかさんは友人から「要介護認定を取ったほうがいいよ」というアドバイスを受けました。認定取得に必要なのは、医師の意見書。にしおかさんは嫌がる母親を精神科に連れて行くことを決心します。
当時の心境について、にしおかさんは「自分のやっていることは合っているのか?どうなの?必要なことだよね?」と自信が持てなかった、と振り返ります。
「1年に1度、お正月に実家に戻ることもあったし、母とメールや電話もときどきしていたんです。認知症って急にはならないので、どこかで母のSOSはあったのかもしれません。ただ、私は気付けませんでした。
一方で、母もきっと診断結果が不安で怖かったんじゃないですかねえ。私が説得するたびに『病院には絶対行かない』と言っていました。でもある日、母が『どこへでも連れてったらいいさあ!腹かっさばいて死んでやらあ!』と怒鳴ったんです。
ネガティブな発言ですが『病院に行くって言ってる!前向きだ!今だ!』と思って。このタイミングを逃しませんでした」
すぐさま病院に連れていった結果、診断されたのは「アルツハイマー型認知症の初期」。にしおかさんは、現実をどう受け止めたのでしょうか。
「病院から帰宅し、母は荒れました。でも、割とすぐに『自分が認知症じゃなかった』と母の中で記憶がすり替わったようです。私はそれを見て何となく『嫌なこと、しんどいことは忘れちゃえばいいじゃん』と思いました。楽しいことも忘れちゃうなら、それは私が覚えているよと。
しんどい思いをさせて、傷つけてごめん、とも感じました。でもそう思ったところで誰も幸せになりません。私が病んでもしょうがないから、自分のことも責めない。あくまで自分ファーストで、家族と向き合うことにしました」
「ポンコツ一家」との出来事を淡々と記録する
家族のサポートを始め、日々の積み重ねから「だんだん疲れていった」というにしおかさん。ハードな生活のなか、家族との生活をWebメディア『FRAU』での連載にて公開に踏み切った経緯については、次のように振り返ります。
「好きなことがしたいと思いました。母と毎日一緒に暮らしていると『頭と体、両方が元気な瞬間なんて、自分自身もどこまで続くか分からない』と考えるようになったんです。書くことは元々好きでした。でも今まで、仕事も少なくて時間もあるのに、しっかりそのことに向き合ってこなかったです。元気なうちに、今、やろうと決めました」
2021年に開始してから、2025年現在も続く連載「ポンコツ一家」。基本的に、テーマにするのは1年前に起きた家族との出来事です。細かに残された日々のメモを振り返るとき、にしおかさんはどんなことを考えているのでしょうか。
「日々の生活はスマホのメモアプリに入力するようにしています。よく『書き留めておくと、振り返ったときに心の整理整頓ができる』なんて聞くじゃないですか。でも私は1年前に腹の立ったときのメモを読んでも、当時と同じくらい腹が立ったりします(笑)。書いた当時に分からなかった気持ちは、今もやっぱりモヤモヤしたままだったりです。
でもきれいごとではないので、上手くまとめず、そのまま書きます。家族との会話はなるべく正確にメモに残し、そのまま使います。誇張もしません。生きている大事な家族を誤解されたくない、というのもありますし、『認知症の方や障がいのある方がこんなことを言ったりやったりするのか』と思われるのも嫌だからです」
ただ、にしおかさん自身が疲れてしまったときは「無理にメモを残さない」ことも。
「いろんな地味でしんどいことが起きますから。そういうときは私の健康のほうが大事なので、記録しないことも多々あります。自分の記憶だけでは曖昧ですし、無理にすべての事柄を連載に書こうともしていません。
家族の尊厳もあり、いまだにどこまで書くかは迷います。いったい私にどんな権利があって、母姉父のプライベートを晒すのか、とも考えます。正解、不正解は分かりませんが、一語一句、後悔のないようにと思っています」
「私でいられる」ことが楽になった
連載を準備していた時期は、ネガティブなことばかりを考えていたというにしおかさん。実際に連載がスタートした直後、寄せられたコメントを見て「びっくりした」と語ります。
「大前提として、家族のことは愛を持って『ポンコツ』と呼んでいます。でも、そうは捉えられない可能性だってあったわけです。最初は『批判されてしまうかも』と不安でしたが、皆さんの反応が優しくてホッとしました。
笑って欲しくて書いたので、読者の皆様から『笑った』『泣いた』とさまざまなコメントやお手紙をいただけて、私のほうが元気をいただいています」
また、実家で暮らし始めてからの4年間での自身の変化について尋ねると「図々しく、ふてぶてしくなったかな」とにしおかさん。
「私も含め家族皆、着々と老いていきます。でも、何故か母姉父の個性はどんどんパワーアップしています。それに対しての私の経験値は上がりました。そして図太く、ふてぶてしくなった気がします。
大概のことは『受け流す』ようになりました。素人なりに、以前よりは認知症の知識も増えましたし、症状の奥にある『母』という人が何を思っているのかが、実家に戻ったばかりのころよりは分かる気がします。
でも先日、あまりに母が同じことを繰り返し言うので、つい『なんで同じことばかり言うの!』って声を荒げたんです。すると母が『だって、あんたが受け流すから』と。バレてる。私、全然、母のことを分かってないと思いました(笑)」
家族をサポートする生活が始まってから約5年が経ち、現在も家族と向き合う日々が今も続くにしおかさん。テレビ東京『なないろ日和!』の番組リポーターや、NHKラジオ第一『まんまる』のパーソナリティをはじめとする芸能活動も継続しつつ、文芸誌や文庫の解説、そしてWeb連載も更新中。生活が一変したこの数年間について振り返ります。
「女王様キャラで活動をさせていただいたときから、余裕のなさには変わりありません。いつでも何かしらブレてます。自覚はあります。
ただ女王様のときは、たとえばトーク番組では、いつ『ブタヤロー!』って言おうとか、いつ他のゲストさんにお仕置きしに行こうとか、そんなことばかり考えていました。そんなタイミング、そもそもないんですけどね(笑)。
今のほうが、バカなりに自分の言葉で喋ってますかねえ。でも私がどう思うかとか、しがないウチの家族のことを書いたものを読んでいただけるのは、一発屋でテレビに出させていただいた過去があるからなんですよ。本当に感謝しかないです。
それと、書いているのは私ですが、連載も書籍もたくさんの方々のおかげで世に送り出せています。今、そういった方々とお仕事できている現状が、うれしくて、たまに一人で泣きます(笑)。重たい中年です。
日々のしんどい事とか、家族との先々を考えたら不安しかないですけど。起こるか分からない、将来の不安は考えません。だって私、ポンコツだもの。とりあえず、今、自分の好きなことはやれています。元気です。上出来な気がします」
(取材・文:高木 望 写真:鈴木 渉)