深谷通信所の過去・未来【1】 動き出した時計の針 「どんな花を咲かせるか」この連載では深谷通信所跡地の過去・未来について関係者の話を紹介します
戸塚区に隣接し、泉区の中田町・和泉町にまたがる約77万平方メートル・直径約1キロの円形の原っぱ=「深谷通信所跡地」。その名の通り、かつて軍の通信施設があった場所だ。戦時中には旧日本海軍の通信施設「東京海軍通信隊戸塚分遣隊」があり、これが地元では「深谷通信隊」と呼ばれていたこともあって、今なおこの場所をそう呼ぶ人も多い。
戦後、米軍に通信用地として接収され、利用されてきたが、2014年6月30日に返還。「それは突然のことだった」と泉区深谷通信所返還対策協議会のメンバーだった日並勇さん(84)は振り返る。
「地元として返還運動をしないといけないねと、連合町内会長らで協議会が発足したのが2010年。意見交換をして13年に跡地利用計画案をまとめてすぐのタイミングと重なったのはたまたまだった」
「富士山の見える温泉」
跡地を巡っては当時、スポーツスタジアムやコンサートホール、ゴルフの練習場、「富士山の見える温泉」など、さまざまな未来図が意見として挙がったという。そんな中、日並さんは「計画案を作っていたのは11年の東日本大震災もあった頃。防災面でも有効活用するのは大きなテーマだった」と語る。
参考にしたのが厚木市「ぼうさいの丘公園」。同園は「防災公園」として飲料水を確保するための耐震性貯水槽や資機材を保管する備蓄倉庫、非常用トイレを備えている。現地を視察し、深谷の計画にも盛り込んだ。
防災機能を重視
ただ実際には、返還後の土地は国有地となっており、市として利活用する上では莫大な整備費用が課題となる。そんな中「墓地であれば、駐車場整備も含めて、国は無料でやってくれる。周辺町内会の了解も得て、それを盛り込む案が現実的な落としどころだった」。
住民意見を取りまとめ、行政を動かすのは一筋縄ではいかず、日並さんも「かつて、この土地の所有者は日本海軍に安く買い上げられた。それを取り戻したい思いもわかるし、墓地ができることにうれしくない人がいるのも事実」と語る。
18年に取りまとめられた深谷通信所跡地利用基本計画では38年頃の完成を見込んでいた。だが今年2月に行われた説明会では27年に都市計画決定、そこから約19年後の46年頃完成としている。日並さんは「どうにかして土台は作った。あとはどんな花を咲かせるか」と未来に思いを馳せる。