【横浜・関内/Antibody(アンチボディ)】響きの中に溶けながら、心をほどくリスニングバー
「音楽」に深いこだわりを持つ飲食店を紹介するこのコーナー。今回は2024年7月にオープンした、関内(横浜市中区)のリスニングバー『Antibody(アンチボディ)』を訪問。自作のスピーカーから流れる歪みのない音に酔いしれているうちに、いつの間にかフィルムの世界にトリップしてしまうような不思議空間でした。
古くからそこに存在していたかのような店内
JR根岸線または横浜市営地下鉄の関内駅から徒歩約6分、みなとみらい線の馬車道駅から徒歩約8分。ピンク色の雑居ビル3Fにある『Listening Bar Antibody(アンチボディ)』。関内周辺は歴史的建造物の官公庁や企業が多くあるビジネス街であり、横浜スタジアムがあることでも知られる。近年は大規模な再開発が進行中で、歴史と現代が融合したエリアとして魅力が高まっている。
雑居ビルの細い階段を登り、防音扉によくあるグレモンハンドルを引き上げると現れる薄暗いBAR。『Antibody』はオープンして一年も経っていないというのに、すでに何十年も前から存在していたような落ち着きがあるから不思議だ。
「東京には似たような形態のお店もあるので、わざわざそこでやるのもなって。あと、なんだかんだこのエリアにはちぐさ時代の仲間がいますし、関内は野毛のお隣ですけどほとんど知らなくて。そのほうがワクワクするじゃないですか」。そう語るのは店主の島さん。
『Antibody』を検索すると「ジャズ喫茶ちぐさの元店長」というワードが飛び込んでくるが、そのイメージだけでお店の雰囲気を理解するのはもったいない。ちなみに、ちぐさとは現存する日本最古のジャズ喫茶であり、現在は『ジャズミュージアム・ちぐさ』として生まれ変わるべく建て替えが進行中だ。
ロンドン生活から日本のアングラ演劇サークルへ
1986年生まれの島さんは、親の仕事で幼稚園からドイツに渡り、小学6年から中学1年の前半まで一時帰国。その後は高校卒業までイギリス(ロンドン)で過ごした。ラジオからはバックストリート・ボーイズやエミネム、レッチリ、オアシスなどが流れていたが、音楽はBGMの領域を出なかったという。
「高校卒業間近というときに、オランダ人の友だちからキングクリムゾンの<21st Century Schizoid Man>を聴かせてもらって、脳天をかち割られるような衝撃を受けたんです」
そこからプログレやイタリアン・プログレッシブを掘り始め、帰国して日本の大学に進学。吸い寄せられるようにアングラ系の演劇サークルに入った。
「部室に行くと黒い布が張り巡らせてあって、アート系の裸体のポスターが貼ってあったり、煙草もモクモクでヘンな外国人がいたり・・・・。なんか面白そうだなって」
先輩の家に遊びに行くとCDやレコードが何千枚とあり、そういうスタイルに憧れをもったという。フランス文学やドイツ文学を読み耽るなど、1960~70年代の日本のアングラを彷彿とさせる生き方に傾倒していった。
「大学2年生から、ダンサーの田中泯さんがやっていた “ダンス白州”のスタッフを始めたんです。そのときに即興音楽のプロの演奏家とかダンサーに触れ合う経験をして、即興やノイズにも惹かれるようになりました」
何も知らず始まった、ジャズ喫茶ちぐさ時代
大学卒業後、フリーランスの照明や脚本家として活動。そんな折、「ダンス白州」時代の知り合いから一本の電話が鳴る。
「アルバイトを探してるけどどう? って。ジャズ喫茶というものを知らなかったんですけど、行ってみたらみんな黙ってコルトレーンを聴きながら耽溺してて、最高かよと思いました(笑)」
週3日のアルバイトからスタートし、約一年後に店長に。そこから約6年間、ちぐさを切り盛りしていった。ジャズや音響に関する知識を高められたのも、ここでの日々があったからだ。その後、自分の店を持つべく約7年の会社員勤めをスタートさせる。
サロン空間を目指し、自作スピーカーづくりからスタート
「自分のお店を開くにあたって最初に考えたのは、いい音を出したいということでした。そこに人が集まって、ある種のサロン的な場をつくりたかったんです」
会社員時代からスタートさせたのが自作のスピーカーづくり。平面バッフル(オープンバッフル)と呼ばれる、板一枚にスピーカーユニットを貼り付けるシンプルな形態を選んだ。箱鳴りがしないため、歪みのないクリアで繊細なサウンドを楽しむことができる。
「ちぐさはスピーカーもアンプもプレイヤーもオリジナルだったので、自作することに違和感がなかったんです。あと、天邪鬼な性格なので、定番の音響システム以外に何かないかなと探していたら自作になったということもあります」
メインのユニットは、幅広い周波数帯域をカバーできるRCAのLC-1B。そこをサポートするように、スーパーツイーターにグッドマンズのDLM-2、サブウーファーにデイトンオーディオのRSS315HF-4を装備。スピーカーをひとつずつ増幅させるマルチアンプ方式で駆動しているため、パワーアンプは計6台ある。
また、テクニクスSL-1200 Mk5(ターンテーブル)は免震板やアーム内のケーブルを改造済み。ミキサーは真空管を搭載したマスターサウンズのRadius Two Valveという構成だ。スピーカーのフロント板も試行錯誤を重ね、現在はMDF(中密度繊維板)の裏側にマホガニーの板を挟むことで、美しい響きが生まれるよう工夫している。
「どこまで行っても素人ですし、何が正解かよくわからなくなってくるのですごく大変ですね。トライ&エラーを重ねながら毎日調整しています」
音の中にある景色に、人が溶け込む世界を目指して
『Antibody』の音響システムから流れるサウンドは、どこまでも素直で誇張がなく細やかだ。ゆえに、かけるレコードによって景色が変化していく。
「音楽の年代とかジャンルは関係ないなと思っていて。お客様がいる空間に音が馴染んでいるかどうかを大切にしています。音の中にある景色に、人が溶け込むような・・・・、そこを追求していくと結果的にリアルな音に近づいていくんです」
店内のレコードの約8割がジャズ。1960年代のハード・バップや近年のUKジャズがかかる傾向はあるが、それがすべてではない。あくまでもお客さんを含む、その場の空気をとらえた選盤がされていく。気づけばリラックスした状態でお酒や会話が進み、自分が映画の脇役として佇んでいるような気分になっていく。
お酒は国産・洋酒問わず、この15~20年くらいに誕生したブランドのシングルモルトを中心に集めている。周辺にはクラシカルなモルトを多数揃えるBARが多いからというのが理由のひとつだ。
「月に2~3回程度、土日に音楽ライブや演劇、ダンサーなどのパフォーマンスができたらと思っています。あくまでもBARなので、それ以上増やすつもりはありません。将来的にはここに不思議な人たちが集まってきて、縁が広がって、何かが生まれるような場所になるのが目標です。そのためにも、大前提としてリラックスできる場所にしていきたい。そのために、できる限り音響のクオリティをあげていきたいと思っています」
歴史的なジャズバーのような風情だが、その裏側に演劇などのアンダーグラウンドカルチャーが息づく『Antibody』。観光客にとっては横浜らしく、地元民にとっては横浜らしくない新たなスポットが出現した。
取材・文/富山英三郎
撮影/高瀬竜弥
・店舗名 リスニングバー アンチボディ
・住所 神奈川県横浜市中区相生町2丁目34−2 梅原ビル3F
・電話番号 045-264-6112
・営業時間:18:00〜26:00(平日)、16:00〜24:00(土曜・日曜)
・定休日:月曜