世界の歌姫 マライア・キャリー!1999年のトレンドを真空パックした「レインボー」
通算19曲のナンバーワンヒットを保持するマライア・キャリー
1990年代の10年間で最も多くのメガヒットソングを世に送り出したアーティストといえば、それはもうマライア・キャリーということで決まりだ。マライアは1990年代の『ビルボード Hot 100』において20曲のトップ10ヒットを放ち、うち15曲がナンバーワンを獲得、他を寄せつけない圧倒的実績を残している。
1990年代10年間のチャート実績をアーティストごとに集計したランキングから見ても、マライア・キャリーが2位を大きく引き離してのダントツ1位に輝いている。ちなみに、2位ジャネット・ジャクソン、3位マドンナ、4位ボーイズ II メン、5位ホイットニー・ヒューストン。
そう、ビルボード歴代2位となる通算19曲のナンバーワンヒットを保持するマライア・キャリーの、いわゆる最盛期が1990年代というのは紛れもない事実である。1990年代のマライアは、1960年代のビートルズ、1970年代のエルトン・ジョン、1980年代のマイケル・ジャクソンらスーパースターに匹敵するほどの実績を残していると言っていいのではないだろうか。
マライアは1990年代にクリスマスアルバムを含む7枚のアルバムを残している。そして2024年、90年代最後のアルバム『レインボー』(1999年)から四半世紀もの歳月が流れ、発売25周年ということで28曲入りのデラックス盤がリリースされている。日本においては10億回以上ストリーミング再生されているという『レインボー』、作品の魅力をあらためて探ってみよう。
ヒップホップ・ソウルの流れを汲むナンバーワンヒット「ハートブレイカー」
1990年代の10年間は、ざっくり言うと “ヒップホップ・ソウル” の10年間ともいえる。それはメアリー・J・ブライジ、TLC、SWV、アン・ヴォーグ等の女性R&Bアーティストたちを中心として形成されていたが、マライア・キャリーも「ファンタジー」「ハニー」等のナンバーワンヒットをもって、その重要な一角を担っていた。
少なからずアフロ・アメリカンの血が流れるマライア本人がヒップホップ・ソウル志向が強かったというのもあるだろうが、1990年代半ば以降の重要なシングル作品にはブラックミュージック系のソングライター / プロデューサーを起用する傾向が出てきている。
マライアはデビューからトップクラスのポップアイコンとして君臨していたので、常に旬のプロデューサーを迎え入れるというのは当然な流れで、90年代の大きなトレンドがヒップホップ・ソウルだったということだ。もちろん、『レインボー』から輩出されたシングルには、旬のブラックミュージック系プロデューサーが起用されている。
▶︎「ハートブレイカー」(全米1位):DJクルー(当時人気のヒップホップ・ソウル系のDJ)
▶︎「サンク・ゴッド・アイ・ファウンド・ユー」(全米1位):ジミー・ジャム&テリー・ルイス
▶︎「クライベイビー」(全米28位):ダミザ(ヒップホップ系プロデューサー / DJ)
▶︎「キャント・テイク・アウェイ」(クライベイビーと両A面):ジミー・ジャム&テリー・ルイス
▶︎「アゲインスト・オール・オッズ」:ジミー・ジャム&テリー・ルイス
『レインボー』から2曲が全米ナンバーワンとなったのは、マライア本人のアーティストパワーがあったということもあるが、トレンディなヒップホップ・ソウルの流れを汲む「ハートブレイカー」、エバーグリーンな名曲然としたバラード「サンク・ゴッド・アイ・ファウンド・ユー」のトラックを制作したプロデューサー陣の手腕に拠るところも大きい。また、フィル・コリンズの全米ナンバーワンソングのカバーとなる「アゲインスト・オール・オッズ」は、ほどなくして英国人気ボーイズグループ、ウェストライフとのデュエット・バージョンが欧州ヒットとなった。
1999年のブラックミュージックのトレンド空気感をパッケージした作品
アルバム曲でいうと、当時主流だったプロデューサー、ティンバランドを彷彿とさせるジャーメイン・デュプリの仕事「ハウ・マッチ」、TLCやデスティニーズ・チャイルドのヒットで一躍脚光を浴びた新進プロデューサー、シェイクスピア手掛ける「エックス・ガールフレンド」。
そしてノー・リミット旋風吹き荒れる中、主催者マスターPをプロデュースとラッパーに迎えたサウス・ヒップホップ「ディド・アイ・ドゥ・ザット?」あたりは、ノンシングルながら実に1999年のブラックミュージックの空気感をパッケージした白眉といえる作品。ジミー・ジャム&テリー・ルイスの数作含め、このような楽曲が収録されていることが『レインボー』再評価のキモとなるポイントではないだろうか。
また、デビューから二人三脚でタッグを組んでいたウォルター・アファナシエフは不在ながらも、その代役たる鉄板プロデューサー、デヴィッド・フォスター手掛ける、R&Bとは対極な「アフター・トゥナイト」という最大公約数的バラードも収録されている。
全世界800万枚超のセールスを記録した「レインボー」
ところで、『レインボー』のリリースは1999年。実はマライアが、米ソニーミュージックの社長だったトミー・モトーラと離婚した翌年だった。90年代のアルバムーー
『マライア・キャリー』(1990年)
『エモーションズ』(1991年)
『ミュージック・ボックス』(1993年)
『メリークリスマス』(1994年)
『デイドリーム』(1995年)
『バタフライ』(1997年)
といった『レインボー』以前の作品は、モトーラとの蜜月時代の作品。ちなみに『バタフライ』リリース時は別居状態だった。そう、『レインボー』はトミー・モトーラとの離婚後初のアルバムだったわけで、気持ちが直接的に表出しがちな “歌声” に離婚が何かしらの影響を及ぼすのだろうか、という一抹の不安がつきまとっていた作品だったのだ。
もちろんプロの歌手、しかも世界を代表するトップシンガーの座に君臨するようなマライアだったので、歴然とその歌声に差異が表出するようなことがなかったのは、全世界800万枚超のセールスを記録した実績が物語っている。
時代の空気を吸収した1990年代コンテンポラリーの名盤
振り返ってみると、『レインボー』は全盛期のソニーレーベル最後の作品にして第2期マライアへの過渡期的アルバムとなったわけだが、あらためて聴いてみると、当時以上にアルバムへの愛おしさが増してくるのは、なんというか不思議な現象としかいいようがない。
いずれにしろ、ことごとく1,000万枚超を記録した90年代に残された数々のベストセラーアルバムと較べても遜色ない実績を誇る。次作『グリッター』以降、ルックスに依存した雰囲気が “売り” になっているともいえるが、その兆候がすでにアルバムのジャケットからもうかがい知れる点はご愛敬。『レインボー』は時代の空気感をしっかりと吸収した1990年代コンテンポラリーの名盤のひとつであることは間違いない。