TBSバラエティ「UFOセブン大冒険」ピンク・レディーが忙しすぎて榊原郁恵が主役に抜擢!
1977年にスタートしたバラエティ番組「たまりまセブン大放送」
1977年に私、齋藤薫がTBSに入社して最初に配属された番組『みどころガンガン大放送』に関しては前回のコラムに記したので、今回は入社半年後に担当となった次の番組のことから書いてみようと思う。
1977年10月に放送が終了した『みどころガンガン大放送』に続いて始まったのが 『たまりまセブン大放送』。毎週水曜日19時から、30分の音楽コントバラエティ番組。出演は、ピンク・レディー、せんだみつお、ザ・ハンダース、新人の清水健太郎と榊原郁恵、小松みどり、元阪神タイガースの辻佳紀ほか。さらには毎回歌のゲストを迎え、歌やコントを繰り広げ、TBSのスタジオで収録していた。
入社半年の私は、この番組のADを担当したのだが、上司の無茶ぶりで、なんと毎回エキストラとして出演させられた。しかも着ぐるみを着せられたり、扮装させられたり。時には “たまりま学園” の校庭の二宮金次郎の銅像の役、コントの間は動いてはいけないので、あのポーズのままじっと我慢していた。
当時、更地だったお台場で開かれた宇宙博(宇宙科学博覧会)のロケでは、月面セットでピンク・レディーがUFOを歌う時、その後ろでうさぎの着ぐるみを着させられ、月面をピョンピョン跳ねていた。時代劇のコントでは、落ち武者のメイクでさらし首をやらされ、コントでせんだみつおやハンダースに胡椒をかけられ、生首がくしゃみをするというギャグをやらされた。
一番参ったのは、大磯ロングビーチのロケでプールでのコント、私はクラゲの怪獣の着ぐるみを着て、水の中から登場する設定。しかし水中で着ぐるみが水を吸ってとてつもなく重くなり、水面にあがることもできず、あやうく窒息して死にそうになった。こんなことをADにやらせるひどい上司が昔はいたものである。
番組のBGMや劇伴音楽は、宮川泰が担当
当時、番組の音楽を担当していたのが、作曲、編曲家の宮川泰(みやがわひろし)先生。宮川先生といえば、日本を代表する大巨匠。ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」や「ウナ・セラ・ディ東京」そして「宇宙戦艦ヤマト」などの大ヒットを放った大作曲家である。
そしてなんと、この番組のBGMや劇伴音楽は、宮川先生が毎週スコアを書いて、スタジオで先生の指揮のもとオーケストラで録音していた。宮川先生は、巨匠にもかかわらず、とても気さくで楽しい方で、私も非常に可愛がってもらっていた。ある日、録音の前の晩に宮川先生がぐでんぐでんに酔っぱらってTBSに現れたことがあった。ーー 先生に聞くと、翌日録音するスコアを1曲も書いてないという。
翌日は昼からオーケストラやコーラスを入れてのレコーディングだ。“こりゃえらいことだ。こんな先生の状態では間に合わない” ーー 私はタクシーを呼んで、フラフラの先生を代々木のマンションの仕事部屋まで運び、ベッドに寝かしつけ、その横で朝までじっと待ち続けた。そして朝6時に二日酔いで朦朧としている先生をたたき起こして机に座らせ、尻をたたいてスコアを書いてもらいどうにか録音に間に合わせたという忘れられない思い出がある。
元阪神タイガースの辻佳紀が歌う「宇宙よりのパンツマン」
ちなみに、宮川先生が作曲し、番組内で毎週歌われたのが「宇宙よりのパンツマン」である。これは、元阪神タイガースの名捕手、辻佳紀さんを宇宙から来たパンツマンという正義のヒーローに仕立て、衣装をつけ、歌って踊らせたもので、当時人気だったムキムキマンやポキポキマンの何匹目かのどじょうを狙ったものである。
これが大ヒットすれば番組も視聴率を上げ、世の中が変わるぞと思ったが、残念ながらほとんどヒットしなかった。しかし、番組は平均15%の視聴率を取り、そこそこの人気番組だった。当時超人気だった女子プロレスのビューティ・ペアがゲストで、ピンク・レディーとプロレスコントをやった回は2大人気ペアの競演ということで20%以上の高視聴率をたたき出した。
主役が榊原郁恵となった「UFOセブン大冒険」
そして1978年4月から、番組は『UFOセブン大冒険』に変わる。ピンク・レディーの大ヒット曲「UFO」をもじってタイトルにしたこの番組は、『たまりまセブン大放送』同様に歌とコントのバラエティだが、榊原郁恵が演じる少女、フェルメーテが、3978年の世界から1978年にタイムスリップして、姉のミーテ、ケーテ(ピンク・レディー)と別れ別れになってしまうというドラマ仕立てでもあった。出演は、榊原郁恵、ピンク・レディー、郷ひろみ、清水健太郎、荒井注、子役たちによるわんぱくセブン、島崎俊郎がヒップアップ結成前に組んでいたサンズンズなど。ピンク・レディーが忙しすぎて全編出演できないということで、榊原郁恵が主役だった。
榊原郁恵が過去や未来にタイムスリップしてドラマが繰り広げられるが、行く先々で登場するのが毎回のゲスト。沢田研二の織田信長、岩崎宏美のクレオパトラなどが華を添えた。今思えば、あの当時タイムスリップものは新鮮で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の7年も前のことだった。ここでも私は番組のADとして同じように仕事をしていたが、着ぐるみのエキストラも変わらずやらされていた。苦い思い出もあるが、今思えば夢と希望に満ちた楽しい日々だった。
そういえば、大磯ロングビーチでのロケで榊原郁恵が「夏のお嬢さん」を歌うシーン。歌詞に「♪アイスクリーム」というフレーズがあるのでソフトクリームを持ちながら歌うという設定だったが、真夏の炎天下、歌ってる途中でアイスがドロドロに溶けて何回もやり直し。その都度ADの私が何度もソフトクリームを用意して、うまくいくまでやらされた。私も大変だったが、何度も歌う郁恵ちゃんも気の毒だった。
まあ、こんな下積み時代があったからこそ、何があってもめげない体質が身について、後々ディレクター、プロデューサー時代にどんな大変なことがあっても乗り越えることができたのだと思う。そして、この時代、一緒に戦ってきた制作の仲間やプロダクションの人たち、タレントさんたちとは50年近く経った今でもよき友人でいられるのは何よりの財産である。