日々の食卓も、適当さを分かち合えるほうが無理がなく心地よいはず。──自炊料理家・山口祐加さんエッセイ「自炊の風景」
自炊料理家・山口祐加さんの「料理に心が動いた時」
自炊料理家として多方面で活躍中の山口祐加さんが、日々疑問に思っていることや、料理や他者との関わりの中でふと気づいたことや発見したことなどを、飾らず、そのままに綴ったエッセイ「自炊の風景」。
山口さんが自炊の片鱗に触れ、「料理に心が動いた時」はどんな瞬間か。山口さんがパートナーとの二人暮らしで感じる「ちゃんとした食卓」にしなければ……という気持ち。そうした気持ちはなぜわき起こるのでしょうか――。
※NHK出版公式note「本がひらく」より。「本がひらく」では連載最新回を公開中。
未完成の食卓
一人暮らしと二人暮らし、二つの生活を経験したことがある人なら、きっと誰しもが共感してくれるであろうこと。それは、二人になった途端「ちゃんとした食卓」を整えようとしてしまうことです。
一人暮らしであれば、何時に食べても、何を食べても、どう食べても、誰にも文句を言われません。以前「ひとりごはん実験室」にも書きましたが、私は一人の食事が大好きです。それは結婚した今でも変わらず、夫がいないときにお刺身を1パック買ってきて「これ全部私一人で食べていいの!?」と、鼻の下を伸ばして食べています。普段一緒に食べる人がいるからこそ、一人の食卓がより特別なものとして感じられるとも言えます。
一方で、二人暮らしの自炊だからこそ得られることもあります。まず、一度にたくさん作ってしまっても、二人であれば食べ切れるので、おかずが残ってしまうことが減りました。一人で鍋をするときはコンロで調理したものを食卓に運んで食べますが、二人で食べるときは食卓にカセットコンロを置いて、食材に火を入れるところから食卓で始めるようになりました。調理の時間が今日あったことの他愛もない会話の時間になることは、鍋や焼き肉など食卓で料理する食事の良い点だなと感じます。日頃、面と向かって話していると出てこない言葉も、鍋をつついていると、なんかポロッと出てしまう。食卓での調理には不思議な力があると思います。
さて、ここで本題の「ちゃんとした食卓」問題です。私が同棲を始めた頃、実家に帰って母と食事をすることがありました。昨日の残り物のおかずや、冷蔵庫にある野菜を取り出して適当にサラダを私が作り、食卓に並べました。統一感もなければ、ご飯も汁物もなく、一汁三菜でもない。場当たり的で、チグハグな食事を母となら共有できる自分に気づきました。
その場にあるものを食べて、足りなかったら何か作るブリコラージュのような食事は、自炊ならではの味わいです。けれど、当時恋人だった夫とは、この食事を共有できないなと思ったことを覚えています。一緒に住み始めて日が浅く、身内以外の誰かがいるなら「ちゃんとした食卓」にしなければダメだと、無意識に考えていました。その感覚は結婚したいまも少なからずあります。母とは30年間一緒に暮らしてきて、お互いの性格やめんどくささも全部わかっているからこそ、微塵の恥ずかしさもなく、この“未完成の食卓”を共有できるのだと思います。長年の見知った存在ではない誰かがいたとしても日々の食卓は未完成でもいいと思えたら、きっともっと気楽に暮らせるし、適当さを分かち合えるほうが無理がなく心地よいはず。
私は海外を旅する一年が終わり、また夫との二人暮らしが始まります。一年離れて暮らす間、彼もまたオランダで一人、自炊生活を送っていました。それぞれの自炊生活が合流したとき、どんな食卓になるのでしょう。果たして私はなんの気後れもなく、未完成の食卓を夫と共有できるようになるのでしょうか。もし共有できるようになれたとしたら、今度はどんな過程があったのかを、またどこかで報告しますね。
※「本がひらく」での連載は、毎月1日・15日に更新予定です。
プロフィール
山口祐加(やまぐち・ゆか)
1992年生まれ、東京出身。共働きで多忙な母に代わって、7歳の頃から料理に親しむ。出版社、食のPR会社を経てフリーランスに。料理初心者に向けた対面レッスン「自炊レッスン」や、セミナー、出張社食、執筆業、動画配信などを通し、自炊する人を増やすために幅広く活躍中。著書に『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(紀伊國屋じんぶん大賞2024入賞)、『軽めし 今日はなんだか軽く食べたい気分』、『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』など多数。
※山口祐加さんHP https://yukayamaguchi-cook.com/