発達障害息子の高校受験。これって過干渉?内申点、学力、志望校選び…私の「やったこと/やらなかったこと」
監修:初川久美子
臨床心理士・公認心理師/東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
いよいよ中学卒業!そしてついに終わりを迎えた受験生活!
現在中学3年生の息子のコウは、もうじき卒業式を迎えます。公立高校の合否発表はまだ先ですが、試験自体は終わったため、ここで一旦これまでの受験生活を振り返りたいと思います。(※このコラムは2月に執筆しています)
受験生活を振り返ってまず最初に出てくることは、内申点で苦労した思い出です。前回のコラムにも書きましたが、内申点により志望校選びはかなり難航しました。
コウは1年生の頃から志望校が決まっていましたが、その時点で内申点はボーダーラインよりも低いことが分かっていました。そのため、入学試験では基準よりも高い点数をとる必要がありました。
コウがそこで「よ~し!じゃあ勉強頑張るぞ!」となる子どもだったとしたら私の心はさぞ安らかであっただろうと思います。ですが、彼は神経発達症の子どもにありがちな「興味や面白さを感じる勉強しかしたくないんだよね」のスタンスを崩さなかったため、コツコツと受験勉強を頑張ることは殆どないまま入学試験の日を迎えました。
3年生になってからはいくらか宿題を提出していましたし、受験最後の3週間は自宅でもコツコツ勉強をしていましたので、コウとしてはかなり頑張ったのだと思います。とはいえ決して十分な取り組み方とは言えず、終始ハラハラしっぱなしの受験生活でした。
子どもへのサポートと見守りの匙加減に、最後まで迷い続けました
受験生活は子ども本人のみならず家族にも影響があるイベントです。きょうだいであれば気を使うことも多くなりますし、親であれば積極的に関わるにしても見守るにしても無関係ではいられません。
近年は子どもの受験において『子ども自身が受験を自分ごととして捉えて主体的に取り組むのが大事』とされることが多い印象です。それに対して中学受験では「分かるけど実際には親の伴走なしでは難しいよね~!」という声をしばしば耳にしますが、高校受験において親の伴走の是非で悩む声はあまり聞いたことがありません。
高校受験で親が子に関わる場合も、その多くは伴走というほどのものではないようです。「子どもに勉強しろって言っても反抗して全然しないんだよね」という話はよく聞きますが、「具体的に進捗を管理したり参考書を選んだりして伴走しています」という話は私の周辺では殆ど聞こえませんでした。
高校受験生に対して親が行うサポートは、夜食の提供や塾の送迎や愚痴を聞くことが基本となるようです。中学生に対してそれ以上の介入をすれば過干渉になってしまうのだろうと思います。
とはいえ、わが家のコウを見れば、「一般的なサポートではどうにかなるのは難しいだろうな」と感じざるを得ない状況がそこにあるのも事実でした。
「目先の志望校合格をとることで、コウの自立の機会を奪うのでは……?」
「コウは自分に合う環境を選ぶのが上手いし、多分今度の学校も彼に合うのだろうな」
「『思ってたのと違った』でコケるにしても、その経験も貴重なもの。できれば彼の望みが叶うといいのだけれど……」
と、このようにひたすらグルグルと悩み迷い続けた3年間でした。学校や塾の先生やスクールカウンセラーさんに何度も相談し、その時々でコウへの関わり方を模索していました。
こうして書くとサラっとした印象になってしまいますが、「刻一刻と減っていく時間に追われつつも入学試験までは数か月ある」という状況と「自宅学習を全然しない息子」との板挟みに合うことで、私はかなり強いストレスを感じていました。
そうして迷いに迷い、悩みに悩んで迎えた第一志望の入試直前の1月。ストレスがピークに達した私は「あとのことなんて知らない!もう今はとにかく目の前の志望校合格だけを目指そう!」と割り切ることにしました。思いつく指摘や懸念やアドバイスを全て投げ飛ばしてコウのサポートをすることに決めたのです。
「自立の機会?そんなのもう今はいいよ!あとで困ったとき考える‼」
「高校に入ってからは本人の力が足りず、ついていけないかも?そうなったら、小学校の登校渋りの時点で散々検討したルートに入ろう。通信制高校についても調べてある!」
「『いざとなったら誰かが何とかしてくれる』と考えるようになって後々困る?いいんじゃない?その時がコウにとっての困るべき時だよ!」
このように、想定される『あなたは今まっとうな親の道から外れていますよ』というツッコミを脳内でちぎっては投げ、ちぎっては投げ……。しっかりと考えて腹をくくったのではなく、「先のことを今考えるのは私には無理だ」と半ば投げ出すようにあきらめた上での決断でした。
最近の子育ての流れにおいて、『子どもを自立させるべき』『サポートにより失敗の経験を取り上げてはならない』などのもっともな言葉に背を向けるのは、私にとって不安やストレスを感じる行為でした。
それでも、「私は選択を間違う愚かな親でいい。子どもの今の目先の希望を叶えたい。これが私の素直な望みだ」と決めてしまうことにしたのです。
コウにこれらの葛藤を伝えて「コウはどうしたい?」と聞くと、「僕の力だけでは合格に必要な行動はできないと思う。僕は志望校に受かりたいから行動を管理して欲しい」とのことでした。
そうして、「合格の可能性が上がるようにがっつりサポートを受けたい」というコウの希望に乗っかる形で、私は可能な範囲でコウのサポートをし、やるべきことをリマインドし続けました。
振り返れば「これが私たちの実力ですね」と思うしかない1年間でした
今思い返しても、私がした判断や行動が適切だったのかは分かりません。コウから失敗経験や自立の機会を奪ったのかもしれませんし、「いざとなればなんとかなる」という誤った成功体験をさせてしまったのかもしれません。
結局、何をどうするのがコウにとって良いことなのか、私には最後まで分かりませんでした。思えば、彼が産まれてから今までずっと「分からないよ~!」とオロオロしながら押し流されてきたように思います。
そうして押し流されていく日々の中で、今回の受験はある意味初めて『私がキッパリ決断した選択の機会』だったのかもしれません。コウにとって何がよいのか分からないので、私自身が「後に失敗だったと感じたとしても後悔しないだろう」と思う選択肢を選びました。
今のところ、コウは「受験を通して僕は成長したと思う」と言っています。時間やタスクを管理する意識が少し生まれて、「1時間ってこんなにいろいろできたんだな~!」と思うことが増えたそうです。「最後に頑張った頃の学習習慣を失いたくないから」と言い、受験が終わった今も毎日1時間の自宅学習に取り組んでいます。
そんなコウを見ていると、親から多めのサポートを受けて走り抜けた受験生最後の追い込み期間は、彼の中でいい思い出になっているのかな?と感じます。
また、コウは「絶対に行きたい!って思える志望校を受験できたので、どんな結果になっても納得できる」とも言っていました。
まだ暑かった頃の学校見学を思い出すと「あ~、第一志望、受かっていて欲しいな~!」と思いますが、受験生活全般を振り返ると「あれ以上介入したら、仮に合格したとしても親子関係に大きなヒビが入っただろうな」とも思います。
学習方法にしても、今の時点でまだ選択の良し悪しは判断つきません。コウが「1、2年生の間やっていてよかったな~」と振り返るタブレット学習は、間違いなくコウの基礎学力を支えてくれたと思います。ですが、2年生から学習塾に通えば中だるみを防げた可能性も否めません。
「じゃぁやっぱり3年生からの学習塾では遅かったの?」と問われれば、「いや~、早くに塾通いを始めてたら、3年生になる頃には飽きて息切れしちゃった可能性もあるしな~!」と答えるほかありません。
このように、受験の最中のみならず受験が終わった今であっても「やっぱり何が良かったかは分からないな」というのが正直なところです。選ばなかった選択肢の先がどうだったのかは分かりませんが、選んだ選択肢をよいものにしていけたらよいなと願っています。
執筆/丸山さとこ
(監修:初川先生より)
コウくんの高校受験、そしてそのサポートにまつわる保護者としての葛藤の振り返りをありがとうございます。まずは、コウくん、そしてご家族の皆さま、受験お疲れ様でした。「受験によって僕は成長したと思う」というコウくんの言葉、いいですね。結果がどうあれ、その過程をポジティブに捉えられるほど、頑張ったのですね。
さて、神経発達症のある子の受験をどう支えるか。その葛藤について。神経発達症といっても状態像はさまざまなので、一概にサポートしたらいいとか良くないとか、そういう話ではありません。まず私は、さとこさんがサポートするかどうかに関して葛藤されていること、そのものが素晴らしいと思って読んでいました。サポートをするのが当然と決めてかかるとか、中学3年生にはサポートはしないものだと決めてかかるとか、そうしたことではなく、頭の中でさまざまな立場や考えが去来しながら(脳内で想定されるツッコミをちぎっては投げ、ちぎっては投げしながら←この表現も秀逸ですね!)、悩んで、関係する支援者の方にも相談されながら、悩み葛藤されたこと、そのものが素晴らしいです。サポートするしないの2択ではなく、グラデーションの中で揺れ動かれたことと思いますが、葛藤することで地に足が付き続けたのではと感じます。
私の個人的な意見としては、中学生は3年間かけて自分で学習する・計画的に学習するということを体得する時期です。折々の定期考査や提出物を通してそれを学んできたはず。受験勉強はその集大成ともいえます。だからこそ、そうして計画的に勉強する・必要な科目をまんべんなく学習できるようマネジメントしていく。それができそうなお子さんには基本的には自分で計画を立てたり、通塾等で概ね決まった大きな流れに乗って空き時間に何をするか自律的に過ごす工夫をしたり、そういうことをするのが本人にとって成長促進的だと感じます。しかしながら、そもそも計画を立てるのが苦手だったり、計画は立てられてもそれを完遂することが苦手だったりする子には、どうしてもペースメーカーが必要になります。それが保護者なのか、塾や学校の先生なのかもケースバイケースですが、ともあれ、苦手なことが分かっているのに、それをさせて、さらには得点力をあげていくというのはなかなかに難儀だなと感じます。そういう意味で、時間管理や計画の補助など、ペースメーカーとして、学習そのものを教えるというよりも行動のコーチとして支えるというのは1つの方法だと感じます。
さて、さとこさんとコウくんのエピソードで特に素敵だと感じたところは、さとこさんがサポートにまつわる自らの葛藤をコウくんに伝え、そのうえで、コウくんが行動のサポートをしてほしいと希望を伝えることができたことです。このやりとり、とても素敵です。つまり、本人の希望を聞くことをおろそかにしなかったこと。本人に選択の余地を与え、子ども本人が選択し希望を伝えることができたこと。自分の意志を伝える、これも自立の第1歩だと感じます。
受験生活を振り返り、通信教育や塾などどんな取り組み方がよかったかどうかを語るのは難しいですね。人生ではいつもそうですが、選ばなかった道では何が起きていたか、人はどうしても知ることができないからです。だからこそ、さとこさんが書かれているように、選んだ道がよかったのだと思えるような日々を過ごす、そこに尽きますね。コウくんの合格、そしてその先にある充実した高校生活を心から祈ります。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。