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【玉名市】超ド級の謎スポット!「日本最後の仇討ちの地」!そこで一体何が起きたのか?

肥後ジャーナル

【玉名市】超ド級の謎スポット!「日本最後の仇討ちの地」!そこで一体何が起きたのか?

玉名市石貫の玉名八女線に、「日本最後の仇討ちの地」というものを見つけました。 「仇討ち」「日本最後」というなんとも言えないワードの付いた場所。一体どのような場所なのでしょうか。

玉名市石貫

そこを見つけたのは【玉名市】ででーーん!これは完全に異世界!この穴の中、入るべし。~石貫穴観音横穴~ | 肥後ジャーナル - 熊本の今をお届けするメディアサイト

こちらの記事にあります「石貫穴観音横穴」に行った帰り道でした。 その暗くてひんやりとした異空間のような場所を出て、ぼんやりとした頭で帰路についていると、「日本最後の仇討ちの地」というちょっとドキっとする文字を見つけたのでした。

ざぁざぁと音を立てない静かな川。水はとても綺麗でゴミ一つ落ちていません。その繋根木川(はねぎ)に沿った玉名八女線に、「日本最後の仇討ちの地」があります。

雨風で汚れた石貫(いしぬき)バス停。

バスが来るのは一番多くて1日3本です。すっかり車社会という事もあるのでしょうが、圧倒的にこの辺りは人が少ないのでしょう。この時刻表を見て、なんとなく寂しい気持ちになってしまいました。

「日本最後の仇討ちの地」を目指す時あたり、マップを見ると、このように神社の奥にマークが付いているので、まずはその「石貫熊野座神社」(いしぬきくまのざじんじゃ)を目指しました。

バス停の向かいに大きな鳥居があります。建物と同じ線の上にあまりにも馴染んで並んでいます。

こちらの鳥居ををくぐり、

民家のある道を少し歩くと、

雰囲気のある階段が現れ、その向こうにまた鳥居がありました。

緑と朱色が青空に美しく映えています。とても明るく気持ちの良い場所です。

無人でしたが、とても広く綺麗で、人がお手入れをされている空気が漂っていました。

拝殿もとても立派で綺麗、

中にはカラフルで目を惹く絵が掛けられており、どんな物語があるのか見入ってしまいました。 こういう時間も、風の音すらしないような静かな場所で、なんとなくどこかから目線を感じるような神社ならではの空気があります。

小さな祠がずらり。

どういう意味があるのかわからない獅子と、恵比寿さんのお顔のみ…?

こちらは、雲のような不思議な石でした。 神社を見て周っている時に「日本最後の仇討ちの地」へのマップの経路は「到着しました」の音声を繰り返しており、右往左往とかなり探しました、 が、実は「日本最後の仇討ちの地」は神社の奥にあるわけではなく、一旦また道路に出ないといけない事に気が付き、道を引き返しました。

鳥居から少し離れた場所に入口

鳥居からまた道に出て、民家4軒くらい離れた所に、目印がありました。 「仇討ちの地入口」とあります。文字だけ見ると、何だかすごく物騒です。

そこから入ってゆくと緑がわさわさと迫ってくる細い道へ。車は通れません。

道も怪しくちょっと怖くなってきました。え、大丈夫かな?と思いますが、マップを信じて歩きます。

がーん! とっても怖い。

しかし竹やぶに入ってすぐにありました!

日本最後の仇討ちの地とは

こちらが「日本最後の仇討ちの地」です。 天気の影響なのか、周りがかなり荒れており、とてもとても寂しい場所でした。 「仇討ち」を描いた作品で、東野圭吾の「さまよう刃」という作品を思い出しました。悲惨な事件により娘を亡くした父親が、犯人への復讐に燃え、正義とは何かを問う小説です。日本と韓国で映画化され、2021年にテレビドラマ化された事でご存じの方も多いのではないでしょうか。 そのような形で人を亡くした事がなくても、手をギュッと握りしめてしまう程に無念さと悔しさが湧きあがってくる物語であったかと思います。 ではこちらの「日本最後の仇討ちの地」と、は一体どのような場所なのでしょうか。

幕末の文久元年(1861)年江戸の細川藩邸で、入佐唯右衛門が、下田平八と、中津喜平の二人を殺し逐電(素早く逃げる事)した。 残された平八の妻田鶴(たづ)、喜平の妻寿の(じゅの)の両家では、苦しい生活に追われながらも仇討ちを誓い再び家名を立てんと遺児らには文武に励ませた。10年後、唯右衛門が山口藩に捕らえられ、熊本藩に送られることが分かった。 田鶴や寿の、平八の遺児らは、護送の役人(石原蓮四郎)に頼んで、ここの宇津呂木谷に連れ込んでもらい本懐を遂げた。時に明治4年4月16日(1871)年、二年後の明治6年2月7日に太政管布告で仇討ち禁止令公布されたので、これが日本最後の仇討ちとなった。とありました。 こちらの仇討ちは、仇討ちの便宜を計った人物(石原蓮四郎)がおり、仇討ちを行った人物ら(遺族)が、一切のお咎めが無く、「公認」であったという事が重要のようです。さらりと書いてはいますが、遺族の苦しみ、便宜を計ったものの(石原蓮四郎)苦悩は計り知れないかと思います。

立派な石碑があり、「うつろぎの谷」という名前の場所のこの場所は鬱蒼としておりとても雰囲気がありますが、建設時に玉名市当局に「最後の仇討ち」として異論が寄せられ、玉名市の観光案内には載っていないようです。 ただし、無罪放免であった「公認」の仇討ちとしては、こちらが最後のようですので、ぜひとも熊本県玉名市石貫のこのうつろぎの谷は、もっと知られて欲しいものです。 玉名の画家であられた 岡田正二さんという方のHPに「日本最後の正式の仇討ちの地」として詳しく書いてあり、とても興味深く読ませていただいたので是非こちらも参考にされてください。→日本最後の正式の仇討の地

建立費用は2,028,000円という事ですが認知度が低く、とても勿体ないです。

まとめ

仇討ちをしたからと言って全てが救われるわけではない。その事が分かる気がするからこそ、胸に事件の苦しみが湧きあがります。 そしてこの場所が、仇討ちが行われた事をリアルに想像出来る「未だ竹林の中にある」という事も貴重かと思います。 現代のように、司法で裁かれず、遺族自らが手を下したこのうつろぎの谷、興味があれば一度覗いてみてはいかがでしょうか? ※駐車場はありません。広い路肩がありましたので、邪魔にならないように駐車できるかと思います。

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