人と比べる必要、なんてない。バリスタ井崎英典が語る、自分らしく生きるためのヒント
16歳でコーヒーの道に飛び込み、2014年にアジア人として初めてワールド・バリスタ・チャンピオンに輝いた井崎英典さん。井崎さんは、バリスタ世界一を掴んだ経験と生来のまっすぐな性格から、多くの人が陥りがちな「人と比べてばかりで自分らしさを置き去りにする」姿勢がもったいなく感じているという。今回はそんな思いを軸に、他者との向き合い方や自分らしく生きるためのヒントを語ってくれた。
井崎さんは世界一のバリスタになった後、国内最大手のファストフードチェーンのコーヒー監修や機器の開発、完全予約制のコーヒーバー「珈空暈」の運営など、従来のバリスタの枠を超えた挑戦を続けてきた。その原動力は、「バリスタの社会的地位を高めたい」という揺るぎない思いだ。
コーヒーでミシュランを獲るなんて、夢物語だと思われるかもしれません。でも僕は、バリスタがプロフェッショナルな職業として確立した後の世界を想像するんです。毎日、バリスタが丁寧に淹れたコーヒーを飲める社会って、良いと思いませんか。
「自分への過保護」が成長を妨げる
高校を中退し、16歳で父親の経営するコーヒー店で働き始めた井崎さん。17歳でジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ(JBC)に挑戦し、160人中24位に入賞した。大会史上最年少での出場で爪痕を残した井崎さんは、「いつか世界一のバリスタになる」と誓ったという。その後はバリスタとして働きながら通信制高校で学び、大学に進学すると同時に丸山珈琲でのキャリアをスタートさせた。
“バリスタ世界一”の称号を手にするために英語力と国際感覚が不可欠だと感じた井崎さんは、大学在学中にイギリスへ留学した。帰国後の2012年にJBCで史上最年少優勝を果たし、念願のワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(WBC)への切符を手にしたが、結果は13位。セミファイナル進出まで0.5点差だったという。その翌年、イタリアのリミニで開催されたWBCで井崎さんは世界チャンピオンになる。アジア人として初めての快挙だった。
WBCチャンピオン獲得までのストーリーは、やんちゃだった学生時代を経て、「世界一のバリスタになる」と決めてからの猪突猛進ぶりが伝わるエピソードだ。どのような思考がWBCチャンピオンという快挙を支えたのかと問うと、「自分を過保護にしないこと」と答えが返ってきた。
「初めて出た世界大会は13位で、セミファイナル進出まで0.5点足りませんでした。この点差は、コーヒーが一粒落ちているとか、指紋が残っているといった程度です。ここで『負けて悔しい』と終わらせず、0.5点差で負けたことに意味を見出すことが大切です。小さなことでも、自分の人生に必要な経験だったと腹落ちすることが自信につながっていく。結果として、失敗しても折れない人になっていけると思います。
今の社会は、極端に失敗を恐れる人が多いですよね。みんな自分に過保護で、僕から見ると上品に生きすぎているように映ります。良い大学を出て優良と言われる企業で働いているのに、どこかでいつも失敗を恐れている。そういう人たちを見ると『みんな、実はすごく良い人生を歩んでいるのにな』と思うんです」
井崎英典が描く、新しいバリスタ像
井崎さんは、「WBCで優勝することが目的ではなかった」という。その背景には、アジアのコーヒーシーンに貢献したいという思いがある。
「当時は日本人が世界チャンピオンになるなんて、誰も想像していませんでした。『アジア人がコーヒーを淹れるなんて……』と人種差別があったかもしれません。その現実を前提にどう世界のコーヒーシーンで生きていくかを考えたとき、自分が優勝することでアジアのマーケットの重要性を示し、日本の存在感を伝えられると思ったんです」。
世界チャンピオンになった後、井崎さんは、国内外でビジネスコンサルティングやブランドプロデュースに取り組み、職業「バリスタ」の地位向上や、より良いコーヒー文化の発展に力を注いでいる。彼にとってバリスタは、単なるアルバイトの仕事ではない。店舗のプロデュースやスイーツ開発までを手がける存在だ。そんな井崎さんの活動そのものが、新しいバリスタ像を示している。
マクドナルドや韓国最大手のベーカリーチェーンのコーヒー開発も井崎さんの大切な仕事のひとつだ。一見すると「美味しさの追求」と、「経済合理性の重視」は矛盾するように思えるが、井崎さんは「矛盾なんてない」と言い切る。
「僕が普段飲んでいるのは、世界最高品質のコーヒーです。それに比べれば、コンビニのコーヒーは正直美味しくないかもしれない。でも、それは僕の価値観でしかありません。日常でコンビニコーヒーを楽しんでいる人も多く、それも一つの価値観であり正解なんです。もし僕が関わることでコンビニコーヒーがもっと美味しくなれば、『コーヒーの味が違う』『面白い』と感じる人が増えるでしょう。その中の1%でも、自分でコーヒーを淹れてみようと思ってくれたらそれで十分です。僕の活動は、バリスタという職業をプロフェッショナルなものとして認知してもらうためのプロセスなんです」
これまで井崎さんはバリスタという職業をタレント化して、商品プロデュースや再現性の高い「美味しいコーヒーの淹れ方」を発信してきた。やがて似たような取り組みをする人が増え、コーヒーシーンの可能性が広がっていった。そこで次の一歩として井崎さんが立ち上げたのが、予約制のコーヒーバー「珈空暈(コクーン)」だ。
珈空暈のメニューは、コースの「Coffee Omakase」のみで、ドリンクに日本の旬の農作物をペアリングして出している。料理の引き立て役としてドリンクを出すのではなく、コーヒーを主役に据える構成だ。
「世界大会で優勝したバリスタが、アルバイトのバリスタと同じ給料でいいのか? 僕は違うと思うんです。でも、日本にはバリスタ世界チャンピオンという職能を活かせる場がなかった。だから珈空暈を作りました。いずれはミシュランを取りたいと考えています。コーヒーでミシュランを取るなんて夢物語だと思われるかもしれませんが、シェフの世界では当たり前ですよね。レネ・レゼピ(ミシュラン3つ星レストランNOMAのシェフ)の料理に価値があるのは、その経験と世界観が認められているからです。であれば、珈空暈はバリスタが社会的に大切な職業だと評価される場にできると思うのです」
ここにも、バリスタをプロフェッショナルな職業として確立して、社会的地位を高めたいという井崎さんの思いがある。その理想の先に描いているのは、日常を豊かにする存在としてのバリスタ像だ。
「丁寧に淹れたコーヒーを毎日飲める社会って、良いと思いませんか。優秀なバリスタが淹れた一杯に、幸せを感じる。日々の“美味しい”を増やしていけば、社会はもっと良くなると思うんです」
“Be Yourself”でいい。井崎流コミュニケーション哲学
最後に井崎さんの「しなきゃ、なんてない。」を聞くと、「人と比べる必要、なんてない。」と迷わず答えた。
「みんな“Be Yourself(自分自身であれ)”でいいんです。何者かになろうとして苦しむ人がいますが、簡単に自分以外の何者かにはなれないです。だから、自分の価値観に沿って心地よく暮らせばいい。ただ、そのためには自分を知る作業が必要です。得意なことや不得意なことを理解するために、自分との対話を繰り返す。と言っても、過去を悔やむのはダメですよ。過去に囚われても今は変わらない。変えられるのは、“今”か“これから”です。“これから”とは、今の積み重ねです。だから、今のこの瞬間を丁寧に生きていくんです」
インタビューが進むにつれて、海外生活も長い井崎さんらしいコミュニケーション哲学が見えてきた。他者との関わりで大切なのは、自分のスタイルを押し付けないこと、そして無理に理解しようとしないことだという。人とのやりとりから生まれる違和感やすれ違いは、誰もが日常で経験するストレスではないだろうか。その意味で、井崎さんの考え方は多くの人にとって示唆深いものだと感じる。最後に、井崎さんの言葉を紹介しておきたい。
自分が正しいと思うことを押し付ければ、衝突します。相手を理解しようとする気持ちは人間の良い部分だと思いますが、誰にでもそれを求めると軋轢が生まれる。理解したふりをしても、いずれ無理が出てきます。大事なのは、他者と自分は違うという前提で言葉を交わすこと。お互いの考えを聞いて『そういう考え方もあるよね』と認め合える社会が、一番やさしい社会だと思います
執筆:石川歩
撮影:阿部拓郎
Profile
井崎英典(いざきひでのり)
株式会社BrewPeace代表取締役、第15代ワールド・バリスタ・チャンピオン、Specialty Coffee Association Board of Directors
高校中退後、父が経営するコーヒー屋「ハニー珈琲」を手伝いながらバリスタに。2014年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップにてアジア人初の世界チャンピオンに輝く。ヨーロッパやアジアを中心に、大規模F&Bブランドやコーヒーチェーンに特化した商品開発からマーケティングまで一気通貫したコンサルティングを提供。幅広い人脈と人望から世界中のブランドのアジア進出の橋渡し役を務める。また、コーヒー業界のアイコンとしてラグジュアリーブランドからライフスタイルブランドまで幅広くコラボレーションを展開。NHK「逆転人生」他、テレビ・雑誌・WEBなどメディア出演多数。Youtube「世界一美味しいコーヒーの淹れ方」は累計再生回数200万回を突破。著書にダイヤモンド社『世界一美味しいコーヒーの淹れ方』など、累計20万部突破するベストセラー作家としても活躍。2023年4月たった4席しかない完全予約制のコーヒーバー「珈空暈」をオープン。日本各地から厳選した原材料とコーヒーを合わせる全く新しい「Coffee Omakase」を提供。2024年12月にSpecialty Coffee AssociationのBoard of directorsに就任。