恐ろしい鬼? それとも優しいお母さん? 大泉学園・妙福寺で子育ての神様・鬼子母神にお参り
今回訪れた妙福寺さんの門前には、「開運厄除祖師」「子育鬼子母神」の文字が。住職の戸田了達(とだりょうたつ)さんに、日蓮宗寺院でよくお祀りされる神さま・鬼子母神(きしぼじん/きしもじん)のお話をたっぷり伺いました!
練馬区で最も歴史のあるお寺
親しみやすい雰囲気の住宅地やお店がにぎやかな大泉学園駅からてくてく歩き、妙福寺さんへ。
まず迎えるのは、大きな総門です。江戸時代に作られたというこの門は、一本の木から作られた一木造りのため、よく見ると左右の柱の太さが異なっています。
大変広い境内を、住職の戸田さんにご案内いただきました。参道を進むにつれ、清々しい空気が広がっていきます。
戸田さん :妙福寺は、練馬区の中で一番古い寺なんですよ。西暦850年、平安時代にできた寺なんですね。1100年以上の歴史を刻んでいるということに、みなさんまずびっくりされます。
参道の右手には、戸田さんが園長を務める「妙福寺保育園」が。本堂の一角からスタートし、今では練馬区の中で一番規模の大きな保育園なのだそう。
続いて仁王門が。親しみやすい表情の仁王さまが訪れる人を迎えます。
豊かな緑の中で深呼吸をしながら、寺務所を訪れました。左手上方には、秀吉の実姉、羽柴智(とも)によって創建された京都の尼寺、瑞龍寺からいただいたという駕籠(かご)が。
戸田さん :この建物は、350年ほど前の元禄時代の建物を修理して使っているものです。この辺りの地域は、徳川御三家の1つである尾張徳川家のお鷹場だったんですね。妙福寺は、初代の徳川義直の休憩所でした。尾張の殿様が馬に乗ったままこの玄関から入ってきて、ここで馬を降りていたようです。
子供と修行者を守る鬼子母神
ご本堂にも、清らかな空気が満ちています。
ご本堂中央の日蓮聖人像は、冬場は綿帽子をかぶった姿でお祀りされます。生前に負った額の傷が寒さで痛まないようにと、日蓮聖人の命日である10月13日から立教開宗(日蓮聖人が法華経による教えを広める宣言を行った)の日である4月28日頃までこのようにお祀りするお寺が多いそうですが、近年は温暖化のため、期間を変更すべきか悩むこともあるのだとか。
さまざまなお像の中でひときわ目を引くのが、子供を抱いた鬼子母神像(右)です。
──鬼子母神さまは日蓮宗のお寺でよくお祀りされていますが、どんな方なのでしょうか?
法華経の『陀羅尼品(だらにほん)』という章に出てくる法華経の守護神で、行者を守る神さまです。子育ての神様としても大切にされていて、赤ちゃんを抱っこしたお母さんの優しい姿で知られています。
日蓮宗には、読経や水行を行う100日間の修行「大荒行」があります。本堂の左手の間にお祀りされている鬼子母神像は、戸田さんが荒行に入る時に妙福寺さんから持参されたというお像。戸田さんのお祖父さまも、同じお像を手に荒行に入られたのだそう。大荒行にはそのようにご自身のお寺から鬼子母神像を持参される慣習があるそうで、荒行堂の中の壇には、それぞれの修行僧が持参された鬼子母神像がずらりと並ぶのだそうです。
戸田さん :鬼子母神さんは、元々は人間の子供をさらって食べる鬼で、人々に恐れられていました。鬼子母神さんには子供が500人いたとも1000人いたともいわれるんですが、ある時、ピャンカラという名前の末っ子がいなくなります。困った鬼子母神さんは、なんでも知っている方だと聞いて、お釈迦さまを訪ねます。
戸田さん :するとお釈迦さまは「あれはお前の子だったのか。さっき私が食べてしまった」と言うんです。鬼子母神さんが「なんてひどいことをするんですか」と言うと、お釈迦さまは「お前には500人も子供がいるからいいだろう」と言います。
そしたら鬼子母神さんは「とんでもない。500人いても1人1人みんな違う子で、特に末っ子のピャンカラは、私にとっては一番かわいい子だったんです」と泣くんです。その時はたと、鬼子母神さんは自分が今まで人間の子をさらってきたことが、どれほど人間に辛い思いをさせてきたかと気付きます。お釈迦さまが「よく気が付いたな」と言うと、お釈迦さまの後ろに隠れていたピャンカラがパッと顔を出すんですね。こうして鬼子母神さんは改心しまして、お釈迦さまの弟子になって修行をして、やがて子供を守る神さまになった、という伝説です。雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)というお経のなかに書かれている物語です。
──こちらのお像は子供を守る優しいお顔ではなく、厳しい表情をされていますね。
法華経の守護神としての鬼子母神さんで、鬼の形をした鬼形(きぎょう)と言われる姿です。
──悪いものを退けるような表情なのですね。修行中にお持ちになる鬼子母神さまには、どんな気持ちを抱かれるのでしょう。守ってくれるお母さんのような存在なのでしょうか?
自分にとっては、ちょっと怖さもあります。ずるいことをしたり、よくない思いを持ったりしているときは、ちょっと怒られるかもなあと。ここで毎日お経を上げたりご祈願をしたりするとき、なんとなくいつも鬼子母神さんの目を見ています。
なにか不安があるときに、ずっとここで南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)のお題目を唱えたりするんですが、そんなときはやっぱり心のよりどころだと感じますね。状況は変わらないかもしれないけど、自分の気持ちが落ち着くというか、とりあえず向き合っていくしかないという気持ちになれるというか。お像があると、いろんなことを感じたり考えたりしやすいと感じます。
大奥でも信仰を集めた日蓮聖人
──妙福寺さんには、ご本堂のほかにも同じくらい大きなお堂がありますね。
参道に入ってまず最初に建っているのが「祖師堂」です。規模がそこそこ大きい日蓮宗のお寺には祖師堂があって、本堂より大きいことも。日蓮宗では「お祖師さま」と呼ばれる宗祖の日蓮聖人の信仰が盛んで、どちらかというと祖師堂のほうが本堂のような位置付けです。
──日蓮聖人は、大奥でもすごく信頼されていたとお聞きました。
日蓮聖人は、焼き討ちにあったり、お侍さんに襲われて傷を負ったりとさまざまな苦難があったにも関わらず生き延びたところから、江戸時代の庶民の間ではさまざまな厄を払う力があるという厄除け信仰がありました。その延長線上で、大奥でも信仰を集めたんですね。大奥の女性は、日頃なかなか街に出られなかったのですが、お寺にお参りに行くと言えば出られたんです。荒行の聖地の遠壽院(千葉県市川市)もすごく熱心な信仰を受けて、本当に多くの女性がお参りをしたみたいですね。
日蓮聖人の教えは、寺院に寄進ができるような力のある方々の宗教と違って、庶民の宗教なんですね。立派な仏像を作らなくても、紙と筆で南無妙法蓮華経と書いて掲げて、南無妙法蓮華経というお題目を唱えれば、そこが最高の道場になるんですよと説きました。そこから庶民に教えが広がったわけです。
ご祈願は心のお守り
──妙福寺さんは、もとは天台宗のお寺だったとお聞きしました。
850年の創建当時は天台宗の大覚寺というお寺で、ここから歩いて3分ぐらいのところにあったようです。その後鎌倉時代になって、日蓮聖人のお世話をしていた日高上人(にちこうしょうにん)という直弟子が、このあたりに草庵を作ります。それからしばらくして、中山法華経寺の3代目の住職になる日祐上人(にちゆうしょうにん)がここに来て説法して、大覚寺の住職がその教えに感銘を受けて改宗し、村全体が日蓮門下に変わったと言われています。
──教えに感銘を受けて日蓮宗に替わったという話は、他のお寺でも見聞きします。
江戸時代以前には、お寺の宗派が変わることってよくあったみたいなんですよ。本山が末寺を統括する本末制度が本格的に始まったのは江戸時代ですから、その前は割と自由だったんじゃないかと思いますね。日本では天皇が主導してお寺を作り、国の平和を祈願してきました。今も昔も、日本人は仏教の教えそのものよりも、祈願をして得られる御利益や厄除けに関心があるように思います。
──祈願といえば、日蓮宗では荒行を終えた修法師(しゅほっし)という方だけができるご祈祷がありますよね。ご祈祷を受ける方にはどんなことをお話されるのでしょうか。
以前、毎日のようにお参りに来ていた方に声をかけたら、恋愛関係にあった人が自分から離れていくように祈願していると話していたことがありました。それを聞いた時、自分にとって嫌なことがなくなるようにという願いは神仏は聞いてくれないと話したんですね。嫌なことがあっても、それと向き合いながらしっかり安心して歩いていけるように、そして相手もちゃんと自分らしい道を歩いていけるように、その人のことも祈願するんですよと話をしたら、それがその方の胸を打ったそうで。それから1000日もの間、1日も欠かさずお参りに来たんです。そして最後にお礼参りとして、お寺の本堂で私と一緒に祈願の法要をしたんですね。
ご祈祷をするとき、いつもそういうことを考えています。例えば、病気が治ってほしいという思いがあったとしたら、治っても治らなくても、自分が安定して強く歩いていけますようにという気持ちを大切にしなければいけませんよと檀信徒やご祈願に来た人にお話しています。
──ご祈願にすがって欲しいものを得ようとしたり、嫌なことを遠ざけたりするのとは違うんですね。
私たちにはいろいろな悩みや苦しみがあって、出会いたくないものにもたくさん出会ってしまいます。でも、そんなときに心をかき乱されることを少なくして、それとともに淡々と安定して歩いていけることが一番だと思うので。仏教の言葉で安心(あんじん)と言いますが、ご祈祷はそういう心を作るためのお守りみたいなものなんですよね。
戸田さん :結局、最後はみんな一番嫌な「死ぬ」ということに出会うわけで。それに対する恐れを取り去ったり、死が近づいてきても、それを自分の大切な一部として受け止めながら、その時を静かに迎える心を作るためのもの。ご祈祷に限らず、日々の修行も含め、すべてがそうだと思います。
──「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えることでもご祈祷と同じ何かを得ているのかもしれませんね。
はい。不思議なもので、お題目を唱えるとすごく力が湧いてきます。例えば「こんにちは」って、声に出すには勇気がいるじゃないですか。だけど出すとやっぱり気持ちがよくて、自分も元気になれる。お題目もそれと一緒なんですよ。南妙法蓮華経と声に出して唱えることで、改めて何かが自分の中に入ってくるというか、作られるというか。すごく簡単で、身近に実践できる修行なんです。
次回は、雑司が谷の鬼子母神(法明寺)の末寺、本納寺さんに伺います!
戸田了達さんプロフィール
学習院大学文学部史学科卒、立正大学大学院仏教学専攻博士前期課程修了。日蓮宗修法師。日蓮宗声明師。
住職を務める傍ら16年間にわたり立正大学社会福祉学部にて保育学生を指導。地元の私立保育園協会会長を務めるなど地域の子育て支援に力を注ぎながら、仏教に縁のなかった人々に仏教の教えや心を伝え続けている。寺で開催する様々な行事やイベントを通じて、寺と地域とのつながりの強化を模索している。
著書に『新・わかりやすい仏教保育総論』(部分執筆)(チャイルド本社)ほか。
妙福寺ホームページ https://myofuku-ji.com/
西中山 妙福寺(さいちゅうざん みょうふくじ)
住所:東京都練馬区南大泉5-6-56/アクセス:西武鉄道池袋線大泉学園駅から徒歩12分
取材・文・撮影=増山かおり
増山かおり
ライター
1984年青森県生まれ。かわいい・レトロ・人間の生きざまが守備範囲。道を極めている人を書くことで応援するのがモットー。著書『東京のちいさなアンティークさんぽレトロ雑貨と喫茶店』(エクスナレッジ)等。