雑誌『anan』で人気の写真家が一般女性のヌード「脱いでみた。」を撮る理由。
数々の女性誌で活躍し、プライベートでは2児の母として育児にも奮闘中のフォトグラファー・花盛友里さん。彼女は、一般の女の子のヌードを10年以上撮影し続け、作品として発信しています。その名も『脱いでみた。』。
「どんな人もありのままがかわいい」を体現する彼女の作品は、コンプレックスに悩む多くの人を励ましてきました。『脱いでみた。』を通して、自分自身も救われたと話す花盛さんのこれまでに迫ります。
出産後、仕事がゼロに。代わりはいくらでもいると痛感した
──人気フォトグラファーとして大忙しの花盛さんですが、今に至るまでの道のりは山あり谷ありだったそうですね。
25歳でデビューをしてからこの仕事だけで生きていけるようになるまで、かなりの時間がかかりましたね。
デビューしてしばらくはアルバイトもたくさんしました。日中に撮影の仕事が入ってもいいように、シフトの融通が効くガールズバーや居酒屋ではたらいていました。写真で食べていけるようになったのはデビューしてから4年後、29歳のころです。
でも、仕事が増えてからも、うまくいかないことばかりでしたね。どの現場でも商業的にこなす撮影をしてしまい、自分らしさが出せなくて。撮影に入ったはずの雑誌を見ても、自分が撮った写真が自分でもどれか分からないんです。
どう撮ればいいのか、何が「かわいい」のかすら分からなくなって。そこから必死でもがき始めました。
──どのようなことをされていたんですか?
作品撮りを始めたんです。作品撮りとは、仕事とは別に自分のスタイルで自由に表現する撮影のこと。仕事ではないので、スタジオ代などの撮影費用はもちろん自費です。
商業的な撮影で見失った自分らしさを取り戻そうとしました。作品撮りに打ち込むうちに、仕事で撮る時にも「こんなふうに撮りたい」という気持ちが芽生えるようになり、自分らしさをつかんだ感覚があったのを覚えています。
ところが、フォトグラファーとして手応えを感じ始めた矢先に妊娠して。「活動がストップする間、写真集を出しておかないと世の中に忘れられる!」と、それまで以上に必死に作品撮りをがんばりました。
その後産休に入り、産後2カ月で写真集の編集作業に取り掛かりました。息子を抱っこ紐に入れ、バランスボールに乗って跳ねながら息子の寝かしつけをしつつ、入稿データをつくっていた日々を思い出します。やっとの想いで初めての写真集が出版されたのは産後6カ月の時でした。
──産後のキャリアを見据えて活動をされていたんですね。
でも結局、出産後に仕事はなくなりました。ほとんど全部です。「私ってそんなもんやったんやな」と思い知らされましたね。その上、家事と育児はとにかく大変でつらくて。仕事で自信をなくし、家庭でも自信をなくし、どん底まで落ち込みました。
20代で仕事がなかった時期は、ハローワークに行くなど、フォトグラファー以外の求人を見たこともありましたが、出産後はどれだけ落ち込んでいてもほかの道は考えられなくて。
多分、あきらめきれなかったんだと思います。出産前にあれだけがんばって写真集まで出したんだから、まずは営業をしようと。雑誌編集部に「作品を見てください」「仕事をください」と電話をかけて、手当たり次第に売り込みに行きました。
結果として、写真集を通して私のことを知ってくれる人も少しずつ増え、仕事ももらえるようになりました。出産を機に何もかもなくなったように感じたけれど、振り返ればゼロになったわけではなかったんですよね。自分らしさとはなんなのか、悩みながら作品撮りをしただけのことはあったなって。
目立ちたくて始めたヌード撮影がライフワークになった
──『脱いでみた。』の前身であるヌードの作品撮りを始めたのも妊娠中だそうですね。
そうです。誰もがやっていないような派手な作品撮りをすることで、フォトグラファーとして目立ちたかったんだと思います。「やるからにはヌードっしょ!」と決めていました(笑)。
今のモデルは一般の女の子ですが、当時はプロのモデルを起用していました。でも、撮影していると、スタイルの良いモデルたちが、自分の顔や身体のここが嫌いだと言うんです。「こんなにかわいいのに、みんな自分自身のあらゆるコンプレックスに悩んでいるんだ」と驚かされました。
それで、「みんなのありのままのかわいさを私が証明したい」「コンプレックスに悩む女の子たちを励ましたい」と強く思うようになりました。その想いが『脱いでみた。』の始まりであり、核です。
プロではなく、一般の女の子にモデルをお願いするようになったのはそれからですね。Instagramでモデル募集をして、先着順で決めています。事前の写真選考は一切なし。だって、どんな子もかわいいって証明したいから。
今でも撮影当日は、どんな子が来るのだろうとワクワクドキドキしています。始めた当初は「そんな企画、モデル見つかるの?」と周りに言われました。
たしかに『脱いでみた。』の撮影にはギャラはありませんし、裸がSNSや書籍に載ることが前提です。
それでも、「ありのままのかわいさを表現したい」「自分に自信を持ち、コンプレックスに悩むほかの子たちも励ましたい」と私の想いに共感してくれた、たくさんの女の子たちがモデルに応募してくれました。うれしかったですね。
──ヌード撮影に応募するのは勇気がいりますよね。撮影直前に「やっぱり脱ぎたくない」という女の子はいませんでしたか?
一人もいませんでした。それどころか、撮ったばかりのヌード写真を撮影中に一緒に確認すると、自分のありのままの姿を見て「かわいい!」と喜ぶ女の子たちばかりなんです。
でも「扉の前で、やっぱりやめようかと思った」と書かれた手紙をもらったことがあります。中には、「ヌードを撮るためにお父さんを説得してきました」という子たちもいて……。みんな勇気を出して扉を開けてくれていると思うと感謝の気持ちでいっぱいですし、そんな彼女たちを尊敬しています。
──これまでに『脱いでみた。』の活動の中で大変だったことはありますか?
2023年の秋に『脱いでみた。』の個展を開いたのですが、警察に通報されました。「子どもへの教育上、ヌードの展示は不適切なんじゃないか」という理由で。何度か個展を開催していますが、初めてのことでした。「通報をしたあなたにこそ『脱いでみた。』を知ってほしい」と思いましたね。
アニメやマンガには、大きすぎるおっぱいや細すぎる腰の女の子。SNSには、アプリで加工されたきれいすぎる肌の女の子。そうした表現が当たり前のように世の中にあふれている。それらが良くて、なぜ『脱いでみた。』はだめなんだろうって。
整えられすぎた体型や顔の描写を日常的に目にすることで、子どもたちは「こうならなきゃ」とありのままの自分を恥ずかしがり、醜いと感じる。そんな世の中は怖い。『脱いでみた。』で表現しているように、ありのままの姿をかわいいと思える世界が当たり前になってほしいですね。
『脱いでみた。』はみんなの居場所。疲れたら帰ってきて
──強い想いで『脱いでみた。』を撮り続けられるパワーの源はなんですか?
やっぱり、ファンのみんなに直接会える個展は大きな原動力になっています。
個展を訪れ、「『脱いでみた。』に救われた」と涙を流してくれるみんなの姿を見ると、こちらまで胸がいっぱいになります。私の活動が誰かの力になっているのなら、やめる理由がないですね。『脱いでみた。』は一生続けたいライフワークです。
それに、みんなのヌードを撮ることで自分自身の心も救われているんです。
──花盛さんの心も、ですか?
もともとは私自身もコンプレックスだらけで、なかなか自信を持てないのですが、撮影でみんなのかわいいところを見つけるたびに、「私もみんなと同じようにかわいさを持っているのかも」と思えるんです。
ヌードを撮影することで自信とともに輝く女の子たちのおかげで、私も少しずつ自分の嫌なところを受け入れられるようになってきたというか。『脱いでみた。』の撮影を始めて気付いたのですが、自分のコンプレックスは、周りの人から見ればチャームポイントだったりするんですよね。それは外見も中身も同じです。
『脱いでみた。』を通して、フォトグラファーとしての自信も取り戻せたように思います。
いまだに雑誌を見ては、ほかの人と自分の写真を比べて落ち込んだり、撮影がうまくいかなくて焦ったりしますが、「私には私にしかできないことがある」と思えるようになりました。
──花盛さんにしかできないこととはなんですか?
撮影に慣れていない一般の人たちの良さを、こんなにも引き出せるのは私だけなんじゃないかな。会話の中で相手の感情を読み取り、心を開くのが得意なんです。
最初は緊張と不安でいっぱいだと思いますが、これまでの人生や夢など、たくさん話してお互いを知りながら撮影を進めるうちに、みんな徐々に心も身体も開放してくれるんです。
『脱いでみた。』のモデルに挑戦してくれた女の子たちは、「自然体で楽しめた」と話してくれます。
──花盛さんのこれからの夢を教えてください。
『脱いでみた。』の常設展示場をつくりたい!個展をするたびに「この場所がずっとあって、自信をなくして疲れた時に帰って来れたらいいのに」と言ってくれる子がたくさんいて。
作品を展示するだけでなく、自分の悩みを書いてポストに入れたら、誰かが返事を書いてくれるような、みんなで励まし合える居場所をつくりたいんです。
自分に自信をもつのは簡単ではありませんが、私はいつでもみんなのありのままの姿を愛しています。『脱いでみた。』の存在が、自分を受け入れるきっかけになればうれしいです。
(文・写真:徳山チカ 編集:おのまり 写真提供:花盛友里さん)