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【犠牲者436人超】史上最恐の人喰いトラ vs 伝説のハンター「ジム・コーベット」

草の実堂

Corbett with the slain Bachelor of Powalgarh, 1930 public domain
画像 : 人食い虎とコーベット 1930 public domain

かつてインドとネパールの国境付近に、人々から「チャンパーワットの人食いトラ」と呼ばれ恐れられた、1頭の雌のベンガルトラがいた。

この人食いトラが殺害した人数は記録に残っているだけでも436人、実際には500人以上にのぼるともいわれ、この犠牲者数は単独の猛獣による獣害事件では史上最大の数字として、ギネス世界記録に認定されている。

ジム・コーベットことエドワード・ジェームズ・コーベットは、この史上最恐の人食いトラを仕留めることに成功した、インド出身のイギリス人ハンターだ。
ジムはネパール軍ですら射殺できなかった「チャンパーワットの人食いトラ」を、単独で仕留めることに成功して一躍英雄となった。

しかし、彼は猛獣の命を狩るハンターでありながら、肉食獣含む野生動物や自然をこよなく愛した人物でもあったのだ。

今回は「チャンパーワットの人食いトラ」や「パナールの人食いヒョウ」など、名だたる猛獣の狩猟に成功して伝説のハンターとなった、ジム・コーベットの生涯に触れていく。

ジム・コーベットの生い立ち

画像:ジム・コーベット(1944年) public domain

ジム・コーベットは、1875年7月25日、当時イギリス領であったインドのナイニタールで生まれた。

ジムの父方の祖父母は、北アイルランドのベルファストにあった修道院と尼僧院から、1815年にインドに駆け落ちしてきた夫婦だった。

この夫妻の6番目の子供であったクリストファー・ウィリアムは、ベンガル軍に軍医として勤務した後に、インド大反乱を乗り越えてナイニタールの郵便局長になった人物で、3人目の妻であるメアリー・ジェーンとの間に生まれた8番目の子供がジムであった。

クリストファーの郵便局長としての給金は決して多くはなかったが、不動産投資の才覚があったメアリーと協力して財を築いていたため、ジムが幼い頃のコーベット家はナイニタール有数の裕福な家であった。

しかしジムが5歳の頃に、大きな不幸がコーベット家を襲った。

犠牲者が151名も出た大規模な地滑りが起きて、コーベット家が所有していた不動産のいくつかが倒壊してしまい、その翌年にはクリストファーが、心臓病で亡くなってしまったのだ。

画像:ガーニー・ハウス wiki c Sabyasachi Paldas

夫を亡くして9人の子供と4人の養子を抱えるシングルマザーとなったメアリーは、地滑りが起きたナイニタール湖の対岸に「ガーニー・ハウス」と呼ばれる家を建て、そこに家族と移住した。

幼少期のジムは、このガーニー・ハウス周辺にあったジャングルを探検することが好きで、ジャングル探検をする中で地元の大人や兄から野生動物の習性や、インドに伝わる自然との共生文化について学び、狩猟の知識と技術を身につけていった。

8歳の時に贈り物として手に入れた、自前の中古の前装式散弾銃を所持していたジムは、10歳の頃には早くも士官候補生中隊で射撃訓練を受けた。その射撃の腕前は、後にイギリス陸軍元帥となったアール・ロバーツを始めとする軍の高官たちが、衝撃を受けるほどだったという。

ジムが人生で初めて肉食獣の狩猟に成功したのは、それから間もなくだった。
ジムは射撃の成績を認められて貸与された軍用ライフル銃を使い、1頭のヒョウを狩猟したのだ。

期待の若手ハンターとしては順調なスタートを切ったものの、父と資産を失ったコーベット家の家計は決して楽ではなかった。ジムは、エンジニアになりたいという夢を持ちもしたが、そのために必要な進学は叶わなかった。

17歳になったジムはガーニー・ハウスを出て、インド東部のビハール州で臨時燃料検査官として働き始める。

その後、ジムは林業や物資輸送の仕事に携わり、当時まだ研究が進んでいなかった生態学や自然保護科学に対する理解を深めていった。

ジムは誠実かつ高潔な人物で、他者と信頼関係を築くことが得意であったため、生涯でもっとも長く続けた物資輸送の仕事の傍らで学校を創設するなど、仕事で地位を得ながら地域社会への貢献活動も積極的に行った。

チャンパーワットの人食いトラ

画像:チャンパーワット地区 wiki c WhiteRaven335

チャンパーワットの人食いトラ」が人々の生活を脅かし始めたのは、1900年頃のことだ。

この頃から、ネパールのヒマラヤ山脈付近で、人間が何者かに待ち伏せされ襲われる事件が多発していた。

付近の住民たちは「悪魔の仕業」「神の祟り」などと噂したが、命からがら逃げ伸びた人々の証言などにより、犯人がたった1頭のトラであることが判明する。

この人食いトラを狩るために、ネパールは幾人ものハンターを送り込んだが成果は上がらず、犠牲者は増え続け、やがて200名を超えた。
危機感を覚えたネパール政府は、国軍を投じて人食いトラ抹殺のために動き出したが、それでも人食いトラが捕まることはなかった。

人食いトラはネパール軍による攻撃に脅威を感じたのか、国境を流れるシャールダー川を泳いで渡り、縄張りをネパールからインドのクマーウーン地方に移していたのだ。

ネパールでは、なるべく人目につかぬよう慎重に狩りを行っていた人食いトラだが、クマーウーンでは一転大胆な行動を取るようになり、昼間から人里付近を徘徊して人間を襲うようになっていた。

インドでも被害は続き、1900年からの7年間の間で犠牲者数は記録に残るだけでも、436名に達した。

画像:ジム・コーベット著『Man-Eaters of Kumaon』(publ. Oxford University Press)の初版本表紙 fair use

ジムが、このチャンパーワットの人食いトラを仕留めたのは、1907年のことだ。

イギリス政府から狩猟依頼を受けてクマーウーンで狩猟を開始したジムは、この人食いトラの足跡と、最後の犠牲者となった16歳の少女の血痕を発見し、滴り落ちた血の跡をたった1人で追跡していったのだ。

川べりで「食事」中の人食いトラを発見したジムは、このチャンスを逃さず人食いトラを射殺した。

人食いトラの遺骸は詳しい調査により、右側の犬歯が上下とも折れていることが判明した。
後にジムは「この人食いトラは犬歯を半分失い野生動物を狩れなくなったことから、非力で無防備な人間を襲うようになったのだろう」と推測した。

さらに「チャンパーワットの人食いトラ」による被害は、

・インド大反乱の後に現地の村人たちが身を守る武器を禁じられた。
・イギリスの侵略により、トラの生息地であった湿地帯が穀倉地帯に変えられてしまった。
・人食いトラが、おそらく密猟者の銃撃によって犬歯を折られて手負いとなってしまった。

など、複数の人的要因によって発生および増大してしまったものだと考えられた。

ジム・コーベットが仕留めた猛獣たち

画像:ジム・コーベット国立公園内を歩くベンガルトラ wiki c Soumyajit Nandy

「チャンパーワットの人食いトラ」の狩猟に成功したジムは、その後も「パナールの人食いヒョウ」や「ルドラプラヤグの人食いヒョウ」など、多くの人食い猛獣の狩猟を成功させ「伝説のハンター」と謳われるようになった。

ジムは大勢の人間と協力して猛獣を狩ることを好まず、危険な動物を相手にする時でも1人で歩いて狩りに赴き、相棒として連れていくのはスパニエル犬のロビンだけであったという。

また彼は、自らが狩猟した動物たちの遺骸を調べ、「人食い」と呼ばれた動物たちの多くが、食料を得るために支障をきたすほどの病気や傷を負っていたことを発見し、著作にて公表した。

イギリスにルーツを持ちながらも自分が生まれ育ったインドの土地や人々を愛し、人々を守るために多くの猛獣を狩ったジムだが、彼はインドの自然や野生動物も同等に愛しており、人間の侵略による野生動物の減少について、警鐘を鳴らし続けてもいたのだ。

絶滅の危機に瀕するベンガルトラの保護のため、ジムが設立に貢献したウッタラーカンド州にあるインド初の国立公園は、ジムの死から2年後の1957年にヘイリー国立公園からジム・コーベット国立公園と改称され、その功績と意志を今日にまで伝え続けている。

参考 :
デイン・ハッケルブリッジ (著) 松田和也 (翻訳)
『史上最恐の人喰い虎 ―436人を殺害したベンガルトラと伝説のハンター』
文 / 北森詩乃

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