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「書く」は、心にどんな変化をもたらすのか?累計部数140万部の漫画『Shrink~精神科医ヨワイ~』原作者が考える、「書く」ことの価値。

ほぼ日

ドラマ化もされたマンガ『Shrink~精神科医ヨワイ~』。精神科医・弱井が「隠れ精神病大国」と呼ばれる日本の精神医療の問題に立ち向かうマンガです。この作品のなかで、弱井先生は心の病を抱える人々にたびたび「書く」ことを提案します。「書く」は、心にどんな変化をもたらすのでしょう。原作の七海仁さんに、取材を通じて感じた精神医療における「書く」ことの価値を聞きました。さらにご自身は取材で、あるいはプライベートでどのように「書く」行為をしているのかも、聞いてみました。前編です。


マンガ『Shrink~精神科医ヨワイ~』ができるまで

──
七海さんが原作を担当されているマンガ『Shrink~精神科医ヨワイ~』を読んでみたら、主人公である精神科医の弱井先生が心の病を患っている登場人物に対して頻繁に「書く」ことをすすめているのが印象に残りました。わたしたちほぼ日手帳チームでは手帳ユーザーの方にお話を聞く機会があるのですが、「書くことで気持ちを整理している」という方がけっこう多いんです。「書く」ことについて、精神科医の方に直接伺うことも考えたのですが、この作品のためにさまざまな精神科医の方や医療機関に取材をしている七海さんならではのご意見を伺いたいなと思って今回取材をお願いしました。

七海
はい。よろしくお願いします。

──
まず、『Shrink』を書くことになったきっかけを教えてください。

七海
いちばん大きかったのは、わたしの家族に長年精神疾患を患っている者がいたことです。私自身、家族につきあって病院に通ったり、同じ病気の患者をもつ家族会に行ったりということをもう10年以上続けています。私はもともと通信記者や雑誌編集の仕事をしていたので、家族の問題に対しても自分なりにいろいろと調べて対処しようとしていて。

──
お仕事と同じアプローチでご家族の問題に向かわれているんですね。

七海
そうです。そのことを自分の中で完結させるのではなく、家族会で話したりもしていたんです。「精神科に行くだけじゃなく、保健センターでこういう資源を使ってみましたよ」とか、「訪問看護師さんに来てもらいましたよ」とか。すると、家族会が終わったあと私の前に行列ができる。みなさんが「もうちょっと詳しく教えてください」と聞きに来られるんですね。

──
たしかに、同じ病気の家族を持つ方にとってはぜひ知りたい内容ですよね。

七海
こんなに必要な情報が、当事者や家族の方に行き渡っていないんだ、と思うようになったんですよ。日本では、精神疾患は恥ずかしいこと、隠したいことという意識が強いから、当事者や家族同士が話す機会も多くないし、情報交換がしづらいんです。

──
わかる気がします。

七海
もうひとつ、家族に付き添うなかで、精神科医の先生は人によって診療にとても差があるなと感じていたんです。熱心で、親身になってくださる先生もいれば、薬を出して終わりという先生もいる。けれど、そのこと自体も、なかなか伝わっていないんですよね。これはちゃんと必要な人に必要な情報が届くようなものがあったほうがいいんじゃないかな、と。

病気と戦う姿には「物語」がある

──
その動機が、なぜマンガという形になったのでしょう?

七海
家族が病気と戦っている姿を見ていると、「週刊少年ジャンプ」の主人公のようにちゃんと戦って、それを乗り越えて成長しようとする姿があるんです。そこには物語がある。これって、きっと多くの人にとって関係のある物語なのではないかな、と。そこで「漫画原作をやりませんか」というお話があったとき「精神医療をテーマに書いてみてもいいですか」とご相談したんです。

編集担当・山里さん
最初は別のテーマで話していたんですが、七海さんがふと「実はこんなことを考えていて」と『Shrink』の題材について話してくださったんです。編集部内では「ちょっと暗くなるんじゃない?」という意見も一部ありました。ただやっぱり、作家さん自身に高いモチベーションがあるもののほうがいい作品になることが多いですから。そこで編集長や七海先生とも話して、「やさしい、あたたかい絵柄でいこう」という理由で作画の月子さんにお願いした面もあります。

七海
企画書には、「精神医療の絶望ではなく、希望を描きたいので、暗い話にはしません」と書きました。

▲アンガーマネジメントを取り扱った巻に大きな反響が。「どんな人も怒ることはありますから。中年以降の男性からは『これは俺だ』という声をいただきました」(七海)「知人たちから『うちの上司にも読ませたい』と言われました(笑)」(山里)

──
扱う病気や症状がそのままタイトルになっていますが、病気ごとに専門家に取材していかれるんですよね?

七海
そうです。まず自分である程度勉強したうえで取材に協力いただいている精神科医の先生にご相談します。街のクリニックから救命救急センターまでさまざまなタイプの精神医療に携わっておられる方です。そこから、病気によってそれぞれの専門の先生や当事者、支援職の方を取材していきます。

──
取材をしてみると、ご自分で勉強しただけではわからないことがやはりたくさんありますか?

七海
毎回新たな気づきがありますが、とくに「チーム医療」の面白さは取材を通して強く感じましたね。精神科というと、先生と1対1で対峙する印象が強いかもしれませんが、実は心理士さんや精神保健福祉士さん、保健センターや就労支援施設など、多岐につながり、いろんな方向から患者さんを支えるんです。12月に刊行された14巻「アスリート編」でもそのチーム医療を描いています。アスリートって、メンタルが強いと思われがちですが、当然一般の人と同じような弱さも持っている。心に悩みを抱えたときは、精神科医や心理士の先生、アスレティック・トレーナー、監督、コーチの方々など、あらゆる人が協力しあって選手を支える。そういう奥行きがあることが面白いなと思いました。

──
実際に病気を患っている方やその家族からの反響も大きいのではないかと思いますが。

七海
読者さんがほんとうによく手紙をくださいますね。うれしいなと思うのはやっぱり「勇気を出して病院に行って治療を始めました」とおっしゃっていただくこと。それから、自分の家族が精神疾患であると認めたくなくて、本人が病気を疑ったときに否定したり、病院に行こうとするのを止めるケースが実は少なくないんです。でも「理解してもらうためにマンガを渡したら病院に行くことを受け入れてくれました」という声もいただきます。このマンガがそういうツールになっているのは本当にありがたいなと思います。

▲単行本の巻末には「困った時の相談先一覧」も掲載されている。

──
連載を始めるときに望んでいた形が実現しているわけですね。

七海
心に病を抱える可能性は、誰にもあります。そんなとき、誰が支えてくれるのか。その方法や場所はどれだけ知っていても損じゃないと思います。

「書く」ことは、感情に形を与える行為


──
では、いよいよ精神医療においての「書く」についてお聞きしたいなと思うのですが。

七海
取材のテーマを伺ったとき、面白いなと思いました。たしかに「書く」ことがたくさん出てきますよね。

──
読んでいて「ここでも! こんなことも!」と何度も思いました。実際にさまざまな精神疾患について取材を重ねてこられた七海さんからみて、精神疾患に対して「書く」ことはどんな機能があると思いますか?

七海
現場を取材すると「書く」場面に本当に多く遭遇します。あくまで私が取材した印象ですが、患者さんに対して親身になる先生、チーム医療を実践されている先生ほど、「書く」ことを取り入れている印象があります。薬を出して終わり、という先生は患者さんに書くことをあまりすすめていない気がします。

──
それはなぜでしょう?

七海
やっぱり、とても大変なんだと思うんですよ。「次の診療までにこういうことを書いてみてね」と患者さんにお願いして、書いたものをチェックして、いっしょに話し合う。これ、患者さん視点ではとても大事だしありがたいことですけど、医療者からすれば負担になることもある。だから、やらない先生もいらっしゃるのだと思います。

──
たしかに。

七海
書く側としては、感情の整理ができるというのは大きいですよね。アウトプットしようとしたとき、脳が初めて感情を整理しようとする。なんとなくモヤモヤしてつらいなと思っていて、その気持ちを書こうとすると、じゃあこの感情は「悲しい」なのか「寂しい」なのか、言葉にして考えるじゃないですか。

──
書くということは、形のない感情に、形を与えることになるんですね。

七海
弱井が患者さんに取り組んでもらう「宿題」って、ほとんどが「自分の考え方のパターンやクセを理解する」ことなんですよ。自分がこんなことで怒るんだとか、こういうことが悔しいと思うんだとか、まずそれに気づいて、「じゃあどうすればいいんだろう」と考え始める。「書く」ということは、自分を理解して、うまく自分自身とつきあうための方法なんだと思います。

──
書くことによって、自分の行動や気持ちを見つめることができる。

七海
それから、3~4巻「PTSD」編にも出てきますが、心の傷は、安心できる場所に吐き出すことで初めて脳がその傷を過去のものにしてくれるらしいんです。だから「書く」を通じて、自分が安心できる場所に気持ちを吐き出すこと自体が心に傷を持っているというストレスを少し楽にしてくれる。

──
書くという行為そのものが、もう心にはたらきかけてくれるわけですね。

七海
たとえば、8巻の「精神障害者雇用」の中では「コラム法」について書いていますが‥‥。

▲「コラム法」には3コラム法、7コラム法などがあり、書くべき項目が細分化されている。

七海
これは認知行動療法(CBT、Cognitive Behavior Therapy)のひとつで、できごとに対して計算でなくパッと巻き起こる感情、「自動思考」について書くものです。他人から見たら「そんなことで悲しいの?」「こんなことがつらいの?」ということでも、本人にとっては本当に悲しかったりつらかったりする。その感情や、感情が起きた状況を一旦書いてみる。さらに、これは本当に合っているのかな? と「反証」、自分で反論していくんです。「あのときバカにされたと思ったけど、本当に相手はバカにしていたのかな?」とか。それを重ねると、「思ったよりもたいしたことではなかったのかもしれない」と考えられるようになる。

──
感情を文字にすることで、客観視するということでしょうか。

七海
そうですね。ただ、認知行動療法って、症状がある程度回復するなどして本人のエネルギーがある状態でない時には、難しいこともあるそうです。だから、6~7巻の「産後うつ」編ではかなり重いうつの状態に陥った女性に対して弱井はまず「おしゃべりをしよう」と言うんですね。しゃべって少し楽になったら、はじめて「書いてみよう」と言う。そうすることで、女性は思ったよりも夫が彼なりにいろいろとやっていたことに気づくんです。

七海
「書く」って、エネルギーが要ることだと思います。でも「書いてみようかな」と思える状態にある人にとってはすごく効果があると、取材を通して思うようになりました。

七海仁(ななみ・じん)さんのプロフィール
アメリカでジャーナリズムを学び、帰国後通信記者、雑誌編集長などを経て独立。2019年『Shrink~精神科医ヨワイ~』にて漫画原作者としてデビュー。本作は現在も「グランドジャンプ」集英社にて連載中。『Shrink』は2021年に第5回さいとう・たかを賞を受賞、2024年NHKにてドラマ化。ドラマは現在Amazon Primeにて視聴可能。最新14巻が12月18日に発売。

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