大衆の声をそのまま反映した「日本有線大賞」テレサ・テンからプリンセス プリンセスへ
「日本レコード大賞」と並ぶ年末の賞レース「日本有線大賞」
今回は私、齋藤薫が番組の演出を担当した『日本有線大賞』を紹介する。同賞は、1968年から2017年までの50年にわたり、有線放送のリクエストに基づいて各賞を決める歴史ある賞レースだった。毎年12月に開催され、1975年の第8回から2017年の第50回までTBSテレビとラジオで放送されている。TBSにとっては『日本レコード大賞』と並ぶ年末の2大音楽賞として君臨した番組だ。
司会は、小川哲哉、愛川欽也、渡辺徹、薬丸裕英、峰竜太、草野仁、高橋英樹、梅沢富美男。女性陣では、宮崎美子、斉藤慶子、紺野美沙子、ベッキー、トリンドル玲奈、小島瑠璃子などが担当し、つないでいった。会場も渋谷公会堂、郵便貯金会館(現:メルパルク東京)、青山劇場、中野サンプラザなどを経て、最後の第50回は東京プリンスホテルで開催された。
ひとりひとりの電話代、10円玉の積み重ねで賞が決まる
この賞の特長は、大賞をはじめとする各賞が、有線放送のリクエスト数のみで決められること。たとえば、日本レコード大賞は、作曲家協会から委嘱された実行委員や審査委員が決めるのに対し、『日本有線大賞』はあくまでもリクエストのみで賞が決まる。そういう意味では真に大衆の声をそのまま反映した賞なのである。
当時よく言っていたが 、“ひとりひとりの電話代、10円玉の積み重ねで賞が決まる” というわけである。そのためレコード大賞とは別の曲が大賞を獲ることも多く、特に1980年代は顕著であった。1983年の第16回は「浪花恋しぐれ」。第17回から、18回、19回は3年連続でテレサ・テン。第20回は「命くれない」の瀬川瑛子。第21回は桂銀淑。第22回はプリンセス プリンセスと7年連続でレコード大賞とは違う曲が大賞に選ばれている。
特にこの時代、“有線大賞といえばテレサ” というくらい、テレサ・テンの存在が大きかった。「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」のV3は燦然と輝く大記録である。ちなみにこの3年間、『日本レコード大賞』でのテレサは「時の流れに身をまかせ」が金賞に入っただけである(1986年)。
「時の流れに身をまかせ」を熱唱するテレサ・テンの名シーン
私はこのテレサの3連覇の年の1986年にディレクターとして演出を担当し、翌年から2000年まで15年間プロデューサーとしてこの賞に関わってきたが、やはり最も忘れられないのがテレサである。シャンデリアのような光り輝くセットで、涙を浮かべながら「時の流れに身をまかせ」を熱唱するテレサの表情を一瞬でも見逃すまいと映像に収めたものだ。
今でもこのシーンはいろいろな番組で使われる名シーンになったと思う。やさしくも激しいテレサの歌唱だが、事前の取材や打ち合わせでは一転、とても穏やかで静かな、それでいて凛とした素敵な方だった。こちらの質問にもひとつひとつ丁寧に誠実に答えてくれて、その安心感と安定感に癒された記憶がある。なにか浮世離れした不思議な女性だった。
「紅白」も「レコード大賞」も辞退していたプリンセス プリンセスが受賞
そして、プロデューサーとして忘れられないのが、第22回、1989年に大賞を受賞したプリンセス プリンセスである。実は、彼女たちはこの年、『NHK紅白歌合戦』も『日本レコード大賞』も辞退していて、賞レースには基本参加しない方針だった。しかし粘り強く交渉を重ね、“有線大賞はデータのみで選ばれるもので、ひとりひとりの有線リクエストの積み重ねであり、本当に大衆に支持された曲だ” ということで、快く『日本有線大賞』だけ出演してくれたのだ。
『日本有線大賞』は、それまでの10年間、小林幸子、細川たかし、都はるみ、テレサ・テンなど、演歌歌謡曲しか獲ってこなかったので、この受賞は画期的なことであった。“有線大賞は演歌の賞だ” というイメージが大きく変わった瞬間でもあった。
当日、郵便貯金会館の会場には来れなかったが、コンサート先からの生中継で、大賞のメダルを首にかけた彼女たちは本当に嬉しそうだった。あの心からの笑顔は忘れることができない。この「Diamonds」は、1989年のオリコン年間シングルランキングでも1位になった曲であり、大賞受賞は当然といえば当然の結果だったろう。ちなみに、プリンセス プリンセスが辞退した『日本レコード大賞』は、Winkの「淋しい熱帯魚」が受賞。そして、プリプリの大賞受賞以降、シャ乱Q、GLAY、L'Arc〜en〜Ciel、小柳ゆき、浜崎あゆみ、倖田來未、EXILE、三代目 J SOUL BROTHERSや西野カナなど、多くのJ-POP勢が大賞を受賞している。
2012年、東日本大震災の復興支援としてプリプリは1年間だけ再結成、武道館でコンサートも行なった。終演後、楽屋に挨拶に行き、久々に昔話に花を咲かせた時、岸谷香は “あの有線大賞、忘れられない思い出です” と。そして、“本当に出てよかった。今思えばレコード大賞も出ればよかったなあ” と微笑んでいた。
昭和、平成と50年駆け抜けた有線大賞
2000年代に入ってからの『日本有線大賞』は、何といっても氷川きよしが通算9回も大賞を受賞するという快挙である。この時期は、氷川きよしの一人勝ちと言っても過言ではない。これだけの大歌手になっても、いつも明るく爽やか、会えばいつも笑顔で挨拶してくれる爽やかな青年であった。だからこそみんなに愛される歌手だったのだろう。
昭和から平成と50年駆け抜けた『日本有線大賞』。まさに国民に愛された大衆歌謡の歴史であり、終わってから7年経った今も、そして今後も語り続けられる、もうひとつの国民的歌謡祭だったと思う。