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【葦北郡芦北町】とにかく眺めが素晴らしい、殿様気分で町を眺める~佐敷城跡~

肥後ジャーナル

【葦北郡芦北町】とにかく眺めが素晴らしい、殿様気分で町を眺める~佐敷城跡~

雨のある日、

【葦北郡】旧佐敷トンネルは本当に心霊スポットなのか!?その恐怖の正体とは一体なんなのか!!~旧佐敷隧道~ | 肥後ジャーナル - 熊本の今をお届けするメディアサイトこちらの旧佐敷トンネルに行った帰りに、「佐敷城跡」に行ってまいりました。 青空はありませんでしたが、素晴らしい眺めが堪能できる場所なので、ご紹介いたします。

場所は芦北インターチェンジのそば

芦北インターを降りて車でおよそ5分の所にあります。案内も出ていますので分かりやすいです。

いよいよ城跡が近いという所にずらり。

八十八札所地蔵。さまざまな表情でおられました。

到着ー!

城跡ということで日陰がなく、真夏はとても暑そうですので、涼しいうちに行きたい場所です。広い駐車場、お手洗いなど、とても綺麗に整備されております。

平日という事もあり、見学者は他にはいませんでした。

ざっと説明を見てから城跡に登ります。

佐敷城とは

少し登った所にあるので、ふぅふぅと息切れしてしまい、

あーきつい!と言ってしまったのですが、

ここにお城を作った人達を思えば、スっときつさが飛んで行きました。

こんな高い所にどうやって石を運んでお城を作っていったのか、、今は歴史公園として整備されており、発掘調査で現れた石積みに、保存整備事業が施され、お城がとてもイメージしやすくなっております。

佐敷城の築年代と築城者については文献が残っていないため、正確には分からないとの事。

加藤清正の領地となった天正16年~20年(1588年~92年)にかけて、薩摩国境を守る「境目の城」だったと考えられております。

400年前の佐敷城(慶長肥後国絵図)

加藤vs島津

佐敷城は加藤清正が島津氏に備えて築城されたものとの事。 時は天正20年6月、「梅北の乱」がおこります。城代は加藤家重臣の加藤重次でしたが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の為数々の大名が不在。

そこへ反秀吉であり島津家臣である、梅北国兼が島津家臣や農民などを率いて、佐敷城を開城させ、占領してしまいます。

それは梅北一揆と呼ばれ、農民や町民も加わった軍勢は2000人にものぼると言われております。

豊臣政権に対する不満が爆発したと言われております。

しかし、梅北国兼は、佐敷城を乗っ取ったあと、偽りの投降した加藤家留守居家臣衆(るすいかしんだん)に騙され、捉えられ、あっけなく斬殺されました。

その一揆は3日で終結したとも、2週間だったとも言われております。

その反乱を聞いて怒った豊臣秀吉は梅北国兼の妻も捉え、群衆の目の前で火あぶりにしたとの事。 ざっと書きましたが、「梅北一揆」をじっくり調べて見ると面白いし、それを知ってから佐敷城へ行くと、また色んなものを感じられます。

しかし、そんな事はまるでなかったかのように、この佐敷城からの景色は本当に素晴らしいものがあります。この日はあいにくの雨でしたが、何百年前の人間も、ここで同じような風を浴びていたのかと思うととても不思議な気持ちになります。

慶長20年(1615年)佐敷城は、「一国一城令」により破却されており、また、寛永15年(1638年)には天草・島原の乱後に再度破却されておりますが、石垣がしっかりと出土した事から、とても頑丈なお城だったのではと思わせます。 歴史が好きな方もそうでない方も。ここからの眺めはストレスを吹き飛ばしてくれるような素晴らしい眺めでした。 是非ドライブがてらに行かれてみてはいかがでしょうか。

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