【倉敷市】倉敷善意通訳会「日本語サロン」~ 外国人が日本語を学びながら地域とつながる場
「言葉」は、人と人をつなぐ大切な架け橋。
しかし、海外で生活を始めると、その“架け橋”を思うように渡れない場面に出会うことがあります。スーパーマーケットでの買い物や病院の受診、子どもの学校との連絡、職場での会話など、日常のささいなやり取りでも、言葉や文化の違いに戸惑うことは珍しくありません。
最近の日本では、少子高齢化が進むなかで外国人労働者の存在がますます身近になっています。地域のなかで多様な文化や価値観が交わる一方、言葉や生活習慣の違いから孤立してしまう外国人も少なくありません。
こうした状況に応えるため、1987年に倉敷で「倉敷善意通訳会」が生まれ、1990年には、外国人が日本語を学びながら地域とつながる場として「日本語サロン」がスタートしました。
中国出身の筆者は、日本に留学した十数年前の自分の気持ちを重ねながら、不安や期待を抱く外国人の姿に自然と心を寄せるようになります。
倉敷で暮らす外国人が、地域で安心して生活できるようにと、「日常生活で使う日本語」や「日本語能力試験対策」を学べる場である、日本語サロンを取材しました。
日本語サロンとは
「日本語サロン」は倉敷善意通訳会が主催し、毎週水曜日・土曜日の午前10時〜11時45分まで、倉敷市立美術館 3階美術室で開かれています。
日本語サロンでは、学ぶ人一人ひとりのペースに合わせて日本語を練習し、日常生活に役立つ表現を身につけられるのが特徴です。
ボランティアとの温かい交流もあり、「日本語をもっと話したい」「地域の人と仲良くなりたい」という思いを持つ外国人に寄り添う学びの場になっています。
倉敷善意通訳会とは
倉敷善意通訳会は、「外国語による観光案内」「外国人の日本語学習支援」「日本人と外国人の交流活動」の3本柱で活動する団体です。観光ガイドで倉敷の魅力を外に伝える一方で、日本語サロンや交流会を通して地域の多文化共生の輪を地域に広げます。
活動は大きく5つの部門に分かれています。
・予約ガイド・通訳活動
おもに倉敷美観地区で観光ガイドや個人・団体の通訳依頼に対応
・交流活動・イベント
会員同士や外国人・市民を含めた親睦イベントを実施
・日本語サロン
会場は倉敷市立美術館3階美術室、毎週水曜日・土曜日に開催
・広報誌「アミーゴ」の発行
年6回、地域の活動や情報を発信
・勉強会
観光ガイド研修、日本語指導研修、問題点共有ミーティング
倉敷善意通訳会~日本語サロンの歩み~
日本語サロンの活動は、1990年に始まりました。
当初は企業や大学で働く外国人向けの小さな日常会話教室でした。このため、英語圏出身者が多く、倉敷でも欧米出身者が目立っていたそうです。
時代とともに学習者の国籍は中国、インド、ブラジル、ベトナムなどへ広がりました。
現在では8か国・約23名が在籍。
仕事や研究、結婚などさまざまな理由で倉敷に暮らす人たちが、日本語サロンで学びながら地域に溶け込んでいます。
日本語サロンでは、生活・仕事に直結した日本語(買い物、病院、職場など)を中心に指導し、教材も学習者のレベルに合わせて工夫されたものです。
年に数回、学習成果の発表や交流イベントもおこなわれ、学習者と地域の人、ボランティアの距離を近づけています。
日本語サロンの当日のようす
2025年11月1日に開催された「日本語サロン」に足を運びました。
サロンの会場では、笑顔で言葉を交わす光景があふれていました。
学習は1対1や少人数でおこなわれ、一人ひとりのペースに合わせて指導を受けられます。
教室では、日本人ボランティアと外国人の学習者がペアになり、日本語で楽しく会話をしながら勉強しています。テーブルの上にはノートやプリントが並び、笑顔で話すようすから、教室の和やかな雰囲気が自然に伝わってきました。
ネパール出身の学習者には、日本人ボランティアがていねいに日本語を教えていて、言葉を通して自然な交流が生まれています。教室全体に明るさが広がり、互いに学び合う温かい空気に包まれているのが印象的です。
日本語でのやり取りのなかでわからない部分があっても、英語を交えながら互いに理解し合っており、言葉の壁を越えた温かなコミュニケーションが生まれています。
学習者にはアジア諸国や欧米出身など多様な背景を持つかたがたが集まっており、日本人ボランティアとの交流を通じて、地域とのつながりも深まっています。
まさに、国籍や文化を越えて人と人が支え合う、温もりあふれる学びの場といえるでしょう。
日本語サロンの活動や、その活動に感じるやりがいと喜びについて、長年にわたって関わってこられた倉敷善意通訳会のかたに話を聞きました。
倉敷善意通訳会の運営メンバーインタビュー
日本語サロンを立ち上げたきっかけや現在のサロンのようすについて、倉敷善意通訳会会長の三澤啓二(みさわ けいじ)さん、事務局長・副会長の城野由美子(じょうの ゆみこ)さん、そして日本語サロン部長の太田学(おおた まなぶ)さんに話を聞きました。
日本語サロンを始めたきっかけ
──日本語サロンの始まりは?
城野(敬称略)──
私が調べたところによると、活動が始まったのは1990年ごろです。
正式な形ではなかったようですが、英語圏のかたがたや大学関係者に日常会話を教えるところから始まったそうです。
学習者が増えてきたため、倉敷市の「文化交流会館」(現在は使用されていません)を借りて活動していたと聞いています。会館が使えないときは、公民館などを転々としながら活動を続けてきました。
現在は、倉敷市美術館の美術室を借りて、週2回教室を開いています。
今では、日本語学校に通う人、仕事をしながら学ぶ人、暮らしのなかで日本語が必要な人など、幅広いかたが参加しています。
──イベントはどのようなものがありますか?
城野──
夏の「サマーパーティー」、冬の「イヤーエンドパーティー」、そして2月ごろに開催する「料理で国際交流」が定番です。年によっては、3月ごろにお花見をすることもあります。
イベントでは、日本の文化を紹介するだけでなく、学習者の国の文化も教えてもらいます。歌を披露してもらったり、お正月の過ごしかたや食べ物について話したりと、とても楽しい時間です。
夏のイベントでは、参加者に着物を着てもらう体験があり、大変好評でした。
今回(2025年11月1日の日本語サロン)は、年末に開催予定の「イヤーエンドパーティー」で、どのような催しをおこなうかについて、ボランティアの皆さんと話し合いました。
現在の参加者・日本人ボランティアについて
──現在、どのような学習者が参加されていますか。
城野──
私が活動に関わるようになったのが1999年で、その頃は英語圏出身の先生かた、つまり学校で英語を教えている欧米系のかたが多くいらっしゃいました。
その後、中国やインドネシア出身のかたが一気に増えた時期もありました。最近ではネパールやブラジル、ベトナムのかたも多く、働きに来ている人、勉強に来ている人、日本人と結婚して暮らしている人など、さまざまな背景のかたが参加するようになりました。
特に留学生の場合は、大学での研究環境によって日本語を使う機会が限られることがあります。たとえば、岡山大学資源植物科学研究所に所属する留学生のなかには、研究室に入ると英語でのやり取りが中心になっているかたもいます。
そうしたかたがたの多くは、研究レベルが高く、優秀なかたも多く、学びに意欲的な姿勢が印象的です。
また、技能実習生のかたは日本に来る前に初級日本語(日本語能力試験 JLPT N4・基本的な日本語を理解できる)を学んでおり、日常生活で日本語を使えるようになりたいと、日本語サロンに通っています。
──日本人ボランティアの皆さんは、どのようなかたが多いですか?
太田(敬称略)──
今は約19名の日本人がボランティアとして活動しています。多くは退職後のシニア世代です。
「外国の人と交流したい、日本以外の国の文化に触れてみたい」というかたが多く、日本語での支援ならできるかも、と参加されるようです。
以前は、時間のある主婦のかたが中心でしたが、最近は共働きのかたや年金生活のかたなど、さまざまな世代が関わっています。正式な日本語教師資格を持っている人は少ないですが、それぞれの経験を生かして、自分なりの教えかたで支援しているのが特徴です。
ボランティアのみなさんは「相手の話を最後まで聞く」「ゆっくり、はっきり話す」といった工夫を共有しながら、和やかな雰囲気で活動しています。
活動するうえで大切にしていること・やりがい
──会員として活動しているやりがい・喜びを感じるのはどのようなときですか。
太田──
最初は日本語がほとんど話せなかった学習者が、少しずつ自信を持って会話できるようになる姿を見ると、大きな喜びを感じます。
特に、自分の言葉で感謝を伝えてくれたり、試験に合格したりしたときには、「やっていて良かった」と思う瞬間ですね。
また、毎回のサロンでは笑顔や新しい発見があり、支援している側も「外国人を教える」というよりも「一緒に学ぶ」感覚を楽しんでいます。
──活動を続けていくことの大切さについて教えてください。
太田──
倉敷善意通訳会の日本語サロンは、もう30年以上の歴史があります。
私たちが一番大切にしているのは、「異文化理解」です。
これが日本語サロンのモットーなんです。
日本語を教えることだけが目的ではなく、お互いの文化や考えかたを理解し合うことが何より大事だと思っています。
学習者のかたが日本語を学ぶなかで、「ああ、この言いかたにはこういう背景があるんだ」と感じたり、逆に私たちも学習者から母国の文化を教えてもらったり。そういうやり取りの積み重ねが本当の交流につながるんですね。
言葉って、ただ伝えるだけではなくて、「相手を理解しよう」という気持ちの表れでもあります。このサロンが、そうした気持ちを育てる場所であり続けたい。
それが、私たち倉敷善意通訳会の願いです。
毎週のサロンやイベントの積み重ねが、地域の信頼やつながりを生んできました。
これからも大切にしたいのは、「異文化を理解し合いながら、この活動を長く続けていくこと」です。
そのために、世代交代を進めながら、若い人にも関わってもらえるような体制づくりを考えています。新しい視点やエネルギーが入ることで、活動にもまた新しい風が吹くと思いますね。
──外国人が安心して暮らせる地域づくりについては、どのように考えていますか。
三澤(敬称略)──
私たちの活動は、単に日本語を教えるだけではありません。
言葉の支援を通じて、地域のなかで外国人が孤立しないようにしたい、という思いがあります。
日本語サロンを“学びの場”としてだけでなく、“居場所”として続けていきたいんです。外国のかたが日本語を学びながら、悩みを話したり、友だちをつくったりできる場所。
そのようなサロンでありたいと思っています。
倉敷の人は本当に優しいかたが多いです。だからこそ、このまちの温かさを外国の人にも感じてもらいたいですね。
読者へのメッセージ
──ボランティアを考えているかたへのメッセージをお願いします。
三澤──
「特別な資格がなくても、気持ちがあれば大丈夫です」
それが、私たちの活動の基本です。
一緒に活動するなかで、外国の文化を知り、自分自身も学ぶことがたくさんあります。それがボランティアの魅力だと思いますね。
日本語を教えることに不安を感じる人もいるかもしれませんが、難しく考えなくていいんです。
大事なのは、“人と出会い、交流を楽しむ気持ち”
その気持ちさえあれば、誰でもこの活動に関われます。
──最後に、外国人の皆さんへメッセージをお願いします
三澤──
日本語を学ぶことで、日本での生活がもっと楽しく、豊かになります。
そして、言葉を通じて人とのつながりも広がっていきます。
困ったときや、少し話をしたいとき、誰かに相談したいときは、どうぞ気軽にサロンに来てください。私たちはいつでも歓迎します。
倉敷で安心して、楽しく暮らしてもらえるよう、これからも一緒に歩んでいきたいと思っています。
おわりに
日本語サロンのようすを実際に見て、多くのことを感じました。
母国を離れて暮らす外国のかたがたは、この異国の地で夢を叶えようとする期待と同時に、言葉や文化の違いによる不安も抱えていると思います。
サロンに通う学習者の皆さんは、それぞれ多様なバックグラウンドを持ちながら日本語の勉強や日本の文化・習慣を学び、少しずつ日本での生活に慣れようと努力している姿に胸を打たれました。
この教室では、ボランティアの支援者のかたがたが、単に“言葉”を教えるだけでなく、学習者の気持ちに寄り添い、温かみのある言葉遣いでサポートしています。
外国の文化に触れたり、新しい世界とのつながりを広げたりしたいかたは、ぜひ気軽に一度見学してみてください。
きっと新しい出会いが待っています。