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ルノワールはどのように世に出た?〈シャルパンティエ夫人と子供たち〉までの道のりを解説

イロハニアート

「幸福の画家」として知られるルノワールは、今や印象派の中でも一、二を争う人気を誇る存在だ。 しかし、その画家としての道のりは順風満帆だったとは言い難い。特に前半生においては画家としてなかなか芽が出ない日々が続いた。理想を抱きながらも、現実の厳しさに幾度も打ちのめされた。 そのような状況を打開すべく、ルノワールは入念な根回しと準備を重ね、ついに37歳の時に描いた〈シャルパンティエ夫人と子どもたち〉によって、出世の糸口を掴み取る。 今回は、このルノワールの出世作〈シャルパンティエ夫人と子どもたち〉誕生の物語を、ルノワールの戦略という観点から読み解いていきたい。

ルノワール、理想と現実のはざまで


ピエール・オーギュスト・ルノワールは、1841年にフランス中部の磁器の町リモージュで仕立て屋の子として生まれた。

幼いころに一家でパリに移った後、13歳の時に父の意向で磁器工房の絵付け職人の見習いとなる。しかし、産業革命による機械化が磁器工業にも及んだことで見切りをつけ、画家の道を志すようになった。

その後、グレールの画塾や国立美術学校で学び、特に画塾ではモネやシスレーら多くの友人と出会う。一方で、ルーヴル美術館でヴァトーやブーシェら18世紀のロココの画家たちの作品を模写したり、モネ達と共にフォンテーヌブローの森に写生に出かけるなど、自主的な研鑽にも励んだ。

1864年にはサロンに作品が初めて入選する。その後も、たびたび出品しては入選と落選を繰り返したが、次第に保守的で革新的な手法を受け入れようとしないサロンのあり方に疑問を抱くようになっていく。

1874年、ルノワールはモネら画家仲間たちとともに、無審査で自由に作品を展示できる場所を設けるために共同出資会社を設立し、自分たちだけのグループ展(第一回印象派展)を開催した。

このグループ展に、ルノワールは〈桟敷席〉を含め7点の作品を出品したが、展覧会は酷評にさらされ、作品も売れなかった。

1876年の第二回には、17点を出品。そのうちの一つが、木立の中に座る裸婦の半身を描いた〈陽光の中の裸婦〉だ。裸婦の肌に落ちる木漏れ日を白い斑点として表し、顔のくぼみなど影になる部分を青や紫の色調で描くという画期的な手法を用いた意欲作だった。

ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈陽光の中の裸婦〉、1875年、オルセー美術館(パブリックドメイン)

, Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし、筆の跡を残さないよう滑らかに仕上げるという当時の美術の「常識」を破ったその表現や、曖昧な輪郭は、非難の的となった。雑誌『ル・フィガロ』紙の展覧会評でも、「腐乱死体のよう」と痛烈に批判された。

自分の描きたいように描きたい。それを人に見てもらいたい。

そんな思いから、ルノワールは同志たちとともに印象派展の立ち上げに参加した。しかし、現実は厳しい。もともと裕福な家の出ではないルノワールにとって、絵が売れないことは生活苦にも直結していた。このままではいけない。

事態を打開するためには、何よりも絵を売ること。そのためには、やはりサロンで入選して名を挙げるしかない。そして、その成功を足掛かりにして新しい顧客と仕事を獲得することが必要だ。

ルノワールはついにサロンへの再挑戦を決意する。

挑戦に向けて―――ルノワールの作戦


サロンに挑戦すると言っても、ただ闇雲に作品を出品しては成功は望めない。入選を確実にし、さらに注目を集めるためには作戦が必要だった。

まず、ジャンルはどうするか?肖像画にしよう。

もともとルノワールは人物を描くことに強い興味を抱いており、これまでにも数多く手がけてきた。肖像画ならば、自分の得意分野を活かせるうえに、絵画ジャンルのヒエラルキーでは歴史画に次いで第二位にあたるため、評価を得やすい。

では、誰をモデルにするか?

これまでにも練習を兼ねて家族や友人をモデルに肖像画を描くことはあった。しかし、審査員や展示作品を見に来る人の目に留まるには、それだけでは十分ではない。パリでは誰もが知っている有名人やその関係者が理想的だ。そうすれば、有力者とのつながりがアピールできるし、入選した時には作品を良い位置に飾ってもらえるだろう。

そこでルノワールが目を付けたのが社交界の名士マルグリット・シャルパンティエ夫人だった。彼女は出版業者ジョルジュ・シャルパンティエ氏の妻で、毎週金曜日には自宅でサロンを開き、作家や画家、俳優、政治家など多彩な人々を招いていた。

シャルパンティエ氏自身も前衛的な印象派の絵画に関心を抱き、1875年の競売会ではルノワールの作品を購入している。

これらの出来事がきっかけとなって、ルノワールは夫人のサロンに出入りするようになり、1876年には夫妻の長女ジョルジェットの肖像画の依頼を受けることになった。

ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢〉、1876年、アーティゾン美術館(パブリックドメイン)

, Public domain, via Wikimedia Commons.

大きな椅子の上に脚を組んで座っているのは当時4歳のジョルジェットだ。青いドレスをまとった彼女の姿は、やや暗い室内にあっても明るく浮き上がって見える。柔らかそうな頬はほのかにバラ色を帯び、黒く小さな目は生き生きとこちらを見つめ返す。

肩までの長さの金髪も明るく輝いている。口元にはやや緊張した表情ながらも笑みが浮かび、大人用の椅子に座っているためか、足が床に届かないのも微笑ましい。

この肖像画が夫妻を大いに喜ばせただろうことは、想像に難くない。作品は別に描かれた夫人の肖像画とともに1877年の第三回印象派展に出品された。

その後、ルノワールはいよいよサロンに向けた新作に着手する。

勝利の時―――〈シャルパンティエ夫人と子供たち〉誕生


1879年のサロンに、ルノワールは満を持して〈シャルパンティエ夫人と子どもたち〉を出品、見事に入選を果たす。

ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈シャルパンティエ夫人と子どもたち〉、1878年、メトロポリタン美術館(パブリックドメイン)

, Public domain, via Wikimedia Commons.

縦約1.5m、横約1.9mの大画面に描かれているのは、邸内の一室でくつろぐ母子3人の姿だ。

左で大型犬にまたがるのは、長女のジョルジェット。その右隣で彼女と視線を交わすのは、お揃いの水色の衣装に身を包んだ弟のポール。そして画面の中心では、黒いドレスに身を包んだシャルパンティエ夫人が穏やかで慈愛に満ちた眼差しを子どもたちに注いでいる。

室内には、孔雀を描いた屏風や浮世絵の美人画など、当時のフランスで流行していた日本趣味(ジャポニスム)を思わせる品々が配され、夫人の洗練された美意識を物語っている。従来の肖像画では、モデルたちは整然としたポーズで描かれるのが通例だった。

しかし、この作品では、日常生活の一場面を切り取ったかのように自然でリラックスした雰囲気が漂い、今にも軽やかな笑い声が聞こえてきそうだ。

それは、ルノワールが印象派の仲間たちとともに磨きあげてきた色彩表現の結晶であり、「絵とは楽しいもの」というルノワールの芸術観の表れでもある。

また、3人を夫人の頭部を頂点とした三角形に配することで、構図に安定感をもたらす「三角形構図」は、ルネサンス以来使われてきた伝統的な技法である。

つまり、この〈シャルパンティエ夫人と子どもたち〉には、ルノワールらしい明るさが前面に打ち出されながらも、古典的な要素が巧みに組み込まれている。

作品が展示されると評判になり、批評家たちも「もっとも心惹かれる作品の一つ」と絶賛した。まさにルノワールにとっての大勝利だった。

〈シャルパンティエ夫人と子どもたち〉によって、ルノワールは一躍名を挙げた。上流階級の人々からは次々と肖像画の注文が舞い込み、〈イレーヌ・カーン・ダンヴェール〉のような名高い作品の誕生にもつながっていく。

ピエール・オーギュスト・ルノワール、〈イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像〉、1880年、チューリッヒ美術館(パブリックドメイン)

, Public domain, via Wikimedia Commons.

ルノワールの描く人物は皆、顔立ちだけでなく表情や内面も生き生きと表現され、画面からは幸福感が滲み出てくる。
それは見る者の心も温かくし、自分もこんな風に描かれてみたい、という憧れを掻き立てずにはおかない。
そこにこそ、ルノワールの作品が時代を越えて愛される理由があるのだろう。

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