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全身武装の「挂甲の武人」、5体が初めて一堂に ― 特別展「はにわ」(レポート)

アイエム[インターネットミュージアム]

王の墓である古墳に立て並べられた素焼きの造形、埴輪(はにわ)。時代や地域ごとにさまざまな埴輪が作られましたが、群馬県太田市飯塚町から出土した《埴輪 挂甲の武人》はその造形などが高く評価され、1974年に国宝に指定されています。

《埴輪 挂甲の武人》の国宝指定から50年を記念し、全国各地から約120件の優れた考古遺物を紹介する特別展「はにわ」が、東京国立博物館で開催中です。


東京国立博物館 特別展「はにわ」会場入口


古墳時代の3世紀から6世紀にかけてつくられた埴輪。日本列島で独自に出現・発達し、丸みをもってデフォルメされたかたちは、世界的にも珍しい造形です。

数々の埴輪のなかでも、特に良く知られているのが《埴輪 踊る人々》です。このたび、解体修理が完了し、本展で修理後初お披露目となります。

《埴輪 踊る人々》は、埴輪としては新しい時代に制作されたもの。特徴的なポーズは、王のマツリで踊る姿とする説のほか、馬の手綱を曳く姿という説もあります。


《埴輪 踊る人々》埼玉県熊谷市 野原古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館


古墳時代にはヤマト王権(政権)という政治的な統合体が成立しました。各地の王は連合を組み、王など権力者の古墳に立てられたのが埴輪です。

古墳の中心部からは、さまざまな副葬品が出土します。熊本県の江田船山古墳からは、ヤマト王権との結びつきを示す武具などが見つかっています。


国宝《衝角付冑》、国宝《脛甲》、国宝《横矧板革綴短甲》 熊本県和泉町 江田船山古墳出土 古墳時代・5~6世紀 東京国立博物館


古墳時代前期に箸墓古墳が築造されて以来、奈良盆地は数多くの古墳が造られてきました。

奈良県のメスリ山古墳からは、2mを超える巨大な円筒埴輪が出土。これは日本最大の埴輪です。大きさもさることながら、厚さはわずか2㎝ほどしかなく、高い技術でつくられたことがわかります。


(右手前)重要文化財《円筒埴輪》奈良県桜井市 メスリ山古墳出土 古墳時代・4世紀 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館


埴輪を古墳に立てるという風習は、古墳文化の中心地である近畿地方から各地に広がっていきました。大王との関係が強い地域では大王の古墳と似た埴輪がつくられた一方で、関係が弱い地域では個性的な埴輪が生まれました。

三重県の石薬師東古墳群から出土した《馬形埴輪》は、さまざまな馬具がつけられた飾り馬です。たてがみもしくはふさ飾りが垂れている頭部は、全国的に類例がない珍しい表現です。


《馬形埴輪》三重県鈴鹿市 石薬師東古墳群63号墳出土 古墳時代・5世紀 三重県(三重県埋蔵文化財センター保管)


第2会場に進むと、いよいよ〈埴輪 挂甲の武人〉が登場します。国宝となった《埴輪 挂甲の武人》をはじめとして5体が、史上初めて一堂に集めて展示されています。

5体のうちの1体はアメリカのシアトル美術館が所蔵しており、今回の展覧会で63年ぶりの里帰りとなります。


5体の〈埴輪 挂甲の武人〉が一堂に


中央に展示されているのが、群馬県太田市飯塚町出土の国宝《埴輪 挂甲の武人》。頭から足先まですべて防具で覆われており、細部も立体的かつ精巧につくられています。東京国立博物館を代表する所蔵品のひとつで、映画「大魔神」のモデルでもあります。

左手に弓を持ち、太刀を身に着けるなど、5体は同じ工房で作成された可能性も指摘されるほど、よく似たかたちです。戦場に出ている姿ではなく、儀礼に参加している姿と考えられています。


国宝《埴輪 挂甲の武人》群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館


国宝《埴輪 挂甲の武人》には、表面に色が塗られていた痕跡が残っていたため、2017年~2019年の解体修理で詳細に分析。白、赤、灰の3色が全体に塗り分けられていたことがわかりました。

展覧会には実物大で彩色復元された《埴輪 挂甲の武人》も展示されています。全身がストライプ模様で、かなり派手な印象です。


《埴輪 挂甲の武人(彩色復元)》令和5(2023)年 原品:群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館 制作:文化財活用センター


実は国宝の《埴輪 挂甲の武人》は、もうひとつあるのはご存じでしょうか。群馬県高崎市の綿貫観音山古墳から出土したもので、2020年に国宝に指定されています。

冑(かぶと)の頭頂部に付けられた筒形の飾りは、武人埴輪がかぶる冑としてはあまり類例がありません。被葬者本人を表している可能性も指摘されています。


国宝《埴輪 挂甲の武人》群馬県高崎市 綿貫観音山古墳出土 古墳時代・6世紀 文化庁(群馬県立歴史博物館保管)


古墳を守る盾持人や、邪気を払う力士など、埴輪で表現された人物や動物は、それぞれ役割が決まっています。

鹿の埴輪は犬や人物とセットになって、狩猟場面としてあらわされました。静岡県の辺田平1号墳から出土した《鹿形埴輪》からは、警戒心が強い鹿の緊張感が伝わってきます。


《鹿形埴輪》静岡県浜松市 辺田平1号墳出土 古墳時代・5世紀 静岡・浜松市市民ミュージアム浜北


飛鳥時代に前方後円墳が消滅すると埴輪もつくられなくなりますが、江戸時代に考古遺物への関心が高まると、埴輪への関心が高まります。

皇室に関連する場面にも古墳の要素が取り入れられるようになり、幕末の孝明天皇陵は円墳に。明治天皇陵には、東京国立博物館の前身である東京帝室博物館の監修により、埴輪がつくられました。


《武人埴輪模型》吉田白嶺作 大正元年(1912年) 東京国立博物館


東京国立近代美術館で開催中の「ハニワと土偶の近代」(10/1~12/22)にあわせて開催される本展。東近美が「美術家が埴輪と土偶をどう見てきたか」を考察する展覧会に対し、東博は埴輪そのものに焦点を当てた展覧会です。両展の相互割引も実施中です。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年10月15日 ]

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