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細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響 ⑩ アンビエントへの傾倒を経てポップスに回帰

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1999年09月25日 Harry & Macのアルバム「Road to Louisiana」発売日

細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響 ⑩

忌野清志郎、坂本冬美とユニット “HIS” を結成


1980年代半ばよりアンビエントにのめり込んでいた細野晴臣だが、1990年代に入り、ひょんなことから結成したのが “HIS” だった。

1990年4月に行われた東芝EMIの創立30周年記念イベント『ロックの生まれた日』に、坂本冬美(vo)と三宅伸治(g)と忌野清志郎(g、vo)が、3人の頭文字とEMIをもじった “SMI” として出演することに。そのことを忌野から聞いた細野は興味を持ち、リハーサルと4月30日に行われた日比谷野外音楽堂での公演を観覧。パフォーマンスの好評を得て、細野をプロデューサー兼メンバーとして迎えた “HIS” が誕生した。

HISは学生服やセーラー服を衣装としたノベルティ色の強いユニットで、翌1991年7月19日にアルバム『日本の人』をリリース。シングルカットされたタイトル曲「日本の人」は、1985年に細野が発表したオリジナル・ソロアルバム『コインシデンタル・ミュージック』に収録されていた「中国の人」に忌野が歌詞をつけた曲だった。​​RCサクセションの活動休止直後ということもあり、話題となってオリコンアルバムチャート最高7位のヒットとなっている。HISとしての活動は同年で休止するが、2005年には14年ぶりに再集結。坂本名義のシングル「Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~」をリリースした。

アンビエント・ミュージックに没頭


イエロー・マジック・オーケストラのブレイクによる多忙に加え、バブル景気の中の狂騒から遠く離れたかった細野晴臣は、1990年代に入るとアンビエント・ミュージックに没頭する。ちょうどその頃、世界ではアンビエント・ミュージックとハウスミュージックを融合したアンビエント・ハウスのムーヴメントが起こり始めていた。

1993年には、イエロー・マジック・オーケストラの再生(再結成)の最中、3月21日に14枚目のオリジナル・ソロアルバム『メディスン・コンピレーション』をリリース。当時着目していた人類学者のカルロス・カスタネダの著書『ドン・ファン』シリーズから、ネイティブ・アメリカンの思想を取り入れたアンビエント期の作品。975年発表のソロアルバム『トロピカル・ダンディー』に収録されていた「HONEY MOON」もセルフカバーされている。

1994年には、細野、遊佐未森、甲田益也子、小川美潮の4人で、アンビエント・ミュージック・ユニットの “LOVE, PEACE & TRANC” を結成。同年にマキシシングル「HASU KRIYA」を、翌1995年にアルバム『LOVE, PEACE & TRANCE』をリリースした。

1995年9月10日には15枚目のオリジナル・ソロアルバム『グッド・スポーツ』、同年10月25日には16枚目の『ナーガ』をリリース。共にアンビエントな作品で、『グッド・スポーツ』は福岡で行われた『1995年夏季ユニバーシアード』のために制作された式典音楽。『ナーガ』はNHKのテレビ番組『美の回廊をゆく』や『山河憧憬』で使用された音源を編集した作品だ。

1996年には、アトム・ハート(ウーヴェ・シュミット、Atom TM、セニョール・ココナッツ)からコラボレーションを持ち掛けられ、テツ・イノウエを加えて “HAT” を結成。メンバーの頭文字を並べた名称の、テクノ・エレクトロニカ・アンビエント・ユニットである。同年にアルバム『Tokyo-Frankfurt-New York』を、1998年に『DSP Holiday』をリリースした。

細野をポップスの世界に引き戻したコシミハルとのユニット


アンビエントにはまっていた時期ながら、1996年にはコシミハル(越美晴 / vo、key)とのユニット “swing slow” を結成。アルバム『swing slow』をリリースした。本作は、アンビエントの世界にいた細野をポップスの世界に引き戻した作品。カバー曲の「I’m Leaving It All Up To You」では、細野がエルヴィス・プレスリー風に歌うなど、自身のルーツである50’sサウンドを現代風にリメイクしている。ちなみに2001年にNHKで放送された『細野晴臣イエローマジックショー』で、本アルバム収録の「Good Morning, Mr. Echo」を披露している。

コシミハルは、1983年に細野がプロデュースした遠藤賢司のアルバム『オムライス』に参加したことを契機に細野に注目されたシンガーソングライター。同年に細野プロデュースのアルバム『Tutu』や、1985年には『ボーイ・ソプラノ』をリリース。細野が音楽を担った映画『銀河鉄道の夜』のサントラにも参加したり、細野が立ち上げたユニット “フレンズ・オブ・アース” や、前述した『メディスン・コンピレーション』『グッド・スポーツ』『ナーガ』といった細野のソロアルバムにも、作詞、作曲、ピアノ、ヴォイスなどで参加している。

原点に戻った久保田麻琴とのユニット “Harry & Mac”


1997年には、細野と笛奏者の雲龍を中心に、福澤もろ(vo)、皆川厚一(ガムラン)、鳥居誠(ガムラン)、三上敏視(太鼓)、浜口茂外也(per)、高遠彩子(vo)、木津茂理(vo、太鼓)などが加わり、奉納即興演奏グループの “細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニット” が結成される。これはレコーディングのためのグループではなく、奉納時の即興演奏が活動の中心にあるグループで、細野はアコースティック・ギターで生演奏の世界に戻ってくる。

そして、1990年代の最後に登場したのが、久保田麻琴(vo、g、key)とのユニットである “Harry & Mac” だ。1999年に唯一のアルバム『Road to Louisiana』をリリース。1970年代ニューオーリンズやスワンプ・サウンドを基調に完成させた作品で、細野もヴォーカル、ベース、ギター、鍵盤、アコーディオン、ハーモニウムなど、プレイヤーとしての原点に戻った生演奏がたっぷり。現在のルーツミュージックを中心とした音楽性へつながるような、米国音楽への憧憬が浮かび上がってくる。

コシミハルとの『swing slow』がポップスの世界に引き戻した作品ならば、久保田麻琴との『Road to Louisiana』は細野を生演奏の世界へ引き戻した作品。この2つのユニットは継続されなかったが、その後の細野の音楽家として大きな転機となった重要作品となった。そして、環太平洋モンゴロイドユニットは、2000年代に入ってからも活動を続け、奉納演奏のDVDを付属した書籍『神楽感覚:環太平洋モンゴロイドユニットの音楽世界』を2008年に刊行。細野が参加したバンドで、10年以上継続して定期的に活動した唯一のグループとなっている。

参考文献:
忌野清志郎『忌野旅日記(文庫版)』(新潮社 / 1993年)
『サウンド&レコーディング・マガジン 1993年4月号』(リットーミュージック / 1993年)
『レコード・コレクターズ 2000年5月号』(ミュージック・マガジン / 2000年)
北中正和 編『細野晴臣インタビュー THE ENDLESS TALKING』(平凡社 / 2005年)
細野晴臣、鎌田東二『神楽感覚 環太平洋モンゴロイドユニットの音楽世界』(作品社 / 2008年)
細野晴臣『アニエント・ドライヴァー』(マーブルトロン / 2011年)
細野晴臣:作 / 中矢俊一郎:編『HOSONO百景』(河出書房新社 / 2014年)
門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』(文藝春秋 / 2020年)
田中雄二『シン・YMO イエロー・マジック・オーケストラ・クロニクル1978~1993』(DU BOOKS / 2023年)
『イエロー・マジック・オーケストラ 音楽の未来を奏でる革命』(ミュージック・マガジン / 2023年)

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