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【稽古場レポート】「分からなさ」と対話を試みて ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』

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ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』稽古場より

2025年1月11日(土)~19日(日)シアター風姿花伝にて上演される、ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』の稽古場レポートが届いたので紹介する。

演出家の稲葉賀恵と翻訳家の一川華によるユニット「ポウジュ(PAUJU)」。「”翻訳”という営みを探求する遊び場」として立ち上げられた。

25年1月11日(土)より、シアター風姿花伝で第一弾公演を上演する。2つの海外戯曲『リタの教育(作:ウィリー・ラッセル)』と『オレアナ(作:デヴィッド・マメット)』の新訳だ。

どちらの作品も大学が舞台であり、男性教師と女性学生が登場する2人芝居。両作品の男性教師を俳優の大石継太が、女性学生を湯川ひなが演じる。それぞれが独立した公演として上演されるので、1つの公演で2作分(倍の)準備や集中力、気力を求められる非常にハードでロックな企画。

「ポウジュ(PAUJU)」は、英語の戯曲でよく登場する「Pause」を赤ちゃん言葉のようにアレンジした造語であるそうだが、ユニット名から感じられるしなやかさと、この企画がどう共存し新たな作品を生み出そうとしているのか。12月半ば、その稽古場を取材した。

ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』稽古場より


『リタの教育』

『リタの教育』は1970年代後半のイギリスが舞台。登場人物は、学びを求めて大学の社会人講座の受講を決意した26歳の美容師リタ(湯川)と、その講師を担当することとなった大学教授のフランク(大石)。

酒に依存してばかりで、関心のある詩を書くことに対してもすっかり内向きになってしまったフランクに対し、リタは奔放な性格で、感じたことを正直に話しながら、意欲的に学びを得ようとする。フランクは、彼女のその真っ直ぐな姿勢に心打たれ、2人の関係性も次第に変化していく。

その日の稽古では2幕を立って演じてみることに。リタは受講を始めてからしばらく経ち、サマースクールで訪ねたロンドンから帰ってきたところである。学びを深めつづけ、身につけた知識を自分のものとして掴みはじめていた。知的な雰囲気を帯びながら、滞在中の体験を語る。

ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』稽古場より

ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』稽古場より

演出卓では稲葉が、台本に小さい付箋を貼りながらメモを取っていた。頻繁に頷きながら俳優2人の芝居を見つめる姿が印象的だった。
1シーンを終え、稲葉がコメントをする。演劇の稽古というと、客席側につくられた演出卓から、舞台面に立つ俳優へ向かって演出をつけていく姿がよく想像されるが、稲葉はコメントをするたびに舞台面へと向かい、大石と湯川が脇へ控えた。注目を浴びる舞台側に自ら立ち、時折り演じてみせながら語りかける。演出家と俳優が一方的なものではなく、双方向でコミュニケーションをとってつくりあげていこうとする姿勢に創作環境の心地良さを感じた。

ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』稽古場より

そのとき話題にあがったのは、サマースクールでのエピソード(興奮具合)をどのようなニュアンスで語るか、について。
稲葉は湯川へ「好きな先生はいますか」「好きな旅行先はありますか」と尋ねたり、作中の話に似た自身の経験を伝えたりすることで、台詞と俳優の距離を縮め、発話へのアプローチを擦り合わせていく。

次にシーンを返したときには、会話が一層自然にキャッチボールを重ねていた。一方が戯曲とは少し異なる台詞を発したときにも、もう一方がその言葉の意味にあわせた台詞で切り替えそうとした姿が見られ、ナイスなセッションが生まれていた。

また、接続詞などのちょっとした言葉に対しても丁寧に気にかける稲葉の姿が見られた。例えば「うん、ただ〜〜」と訳していた台詞について、会話の流れを見直すと、否定するニュアンスより「あのね〜〜」と、前の台詞にのっかっていくほうが伝わりやすいのではないかと意見する。一川が訳した言葉を大切にしながらも、俳優の身体を通して舞台上に生まれた会話を自然なものにしていくため、細やかに調整を重ねていた。

リタは社会人講座を受講しており、大学生とは歳が異なるという点も本作のキーワードとなる。彼女が自分よりも若い学生について語るときの視点や、フランクへの態度は、今の時代からみても自然で、共感できるポイントに満ちていた。

『オレアナ』

『オレアナ』は1990年代のアメリカが舞台。終身在職権(期間の定めなく教員としての雇用が保証される権利)を得る間際であったジョン(大石)のもとを、女子学生のキャロル(湯川)が尋ねる。ジョンは、講義についていけないという彼女の悩みに親身に対応したつもりであったが、そのときのジョンの振る舞いについて、キャロルは大学当局を通じて訴えを起こす。

ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』稽古場より

その日は立ち稽古は行わず、全てのシーンを通して読むことに。3幕におよぶ本作。全てジョンの研究室が舞台となる。ほぼ2人の会話で構成されているが、時々ジョンが、奥さんからの電話に応対する場面がある。非常に重みのあるテーマを扱う本作は、密室での会話がつづくことに対して濃密で興味深いと捉える一方で、のめり込んでしまって息が苦しくなることもある。だからこそ電話という存在は、外の空気が入り込んでくる瞬間であり、絶妙なバランスで作品の流れを整えていた。

1幕はキャロルがジョンのもとを尋ねるシーン、2幕はキャロルが申し立てを起こしたあとであり、3幕はさらにその先が描かれる。
2人の間を駆け巡る台詞は様々な感情を帯びていて、優しさであったり、悲しみであったり、駆け引きを行うような緊張感や、嫌悪感なども——

1幕の台詞を思い起こすと、ジョンはふとした瞬間に誤解をもたらしそうな発言をしていた。2つの意味をもち、うまく扱わないとマイナスの意味で捉えられてしまうような言葉だった。それでも悪意がない(どころか親身に対応したと考えている)場合、キャロルの世代に配慮した言葉を使用する必要があったと思う一方で、努力しようとしても及ばない、世代間の感じ方の違いがあったのかもしれないとも思った。

いまこの場では、第3者として存在する観客はこのディスコミュニケーションを冷静に見ることができるし、さらに演劇(フィクションである)とわかっているから、この展開を堂々と傍観することができる。その安心感のなかでこの会話(上演)をみつめて2人のことを思考できれば、現実の世界で同様のできごとに向き合うことがあったとき、これまでよりもひろい想像力をもって、今よりもちょっと優しいせかいをつくることができるのではないか……。読みを聞きながら、そんなことも考えていた。

舞台上でこの緊張感ある関係性をつくることができる大石と湯川の芝居の力、いまの観客のことを着実に捉えた一川の翻訳力、そしてそれを整える稲葉の演出力あってこその作品だと思う。
劇場に入れば、各セクションのスタッフワークが加わり、稽古場で私が感じたこと以上の場のエネルギーが満ちていくのだと想像した。

ポウジュ vol.1『リタの教育』『オレアナ』稽古場より


「分からなさ」と対話を試みて

第一弾に『リタの教育』と『オレアナ』の新訳上演を選んだ理由について稲葉に尋ねると「翻訳劇は、言葉を理解しづらいなどの点から避けられることがある。同じく理解に難しさを帯びることのある″会話″という存在が、翻訳劇と相性が良いと思った。」と語る。

あらゆる″分からなさ″と対峙したときに、人間はどうそれに向き合うことができるのか。「ポウジュ(PAUJU)」という、言葉の響きに優しさを感じる名前をつけるような稲葉、一川による遊び場であるからこそ、上演を通じて、その問いに対する一つの考えを、真摯に表現することができるのだろうと感じた。

また稲葉は、「両作品のもつ色が好き。似た点と異なる点を併せ持つこの2作を、どちらも同じ俳優が演じるという点に上演としてのおもしろみがあると思う。」とも語った。その眼差しは、開幕まで勢いそのままに稽古を駆け抜けていきそうな、熱い表情に溢れていた。

取材・文:臼田菜南    写真:引地信彦

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