毛沢東の死を見守った専属医師が明かす「最期の瞬間」
毛沢東の専属医師
李志綏(り しすい)は、中国の指導者であった毛沢東の専属医師である。
彼は、1954年から1976年の毛沢東逝去までの間、毛の健康を支える重要な役割を果たした。
また、専属医師として治療にあたるだけでなく、毛の日常生活や性格、取り巻く人間関係についても深く関わる立場にあった。
1976年に毛沢東が逝去した後、李志綏は中国国内で医師として活動を続けたが、1988年にアメリカへ移住した。
そして毛の健康や政治的背景に関する回顧録を出版し、大きな話題を呼んだ。『※毛澤東私人醫生回憶錄(毛沢東の私生活)』
しかし、公開された内容が中国政府にとって非常にセンシティブなものであったため、この書籍は中国国内での販売が禁止された。
李志綏の記録は、専属医師という特別な立場から記されたものであり、毛沢東の晩年における知られざる姿が描かれている。
あくまで個人の主観で書かれたものなので慎重に解釈されるべき部分もあるが、後世の歴史研究にとって重要な資料となっている。
本稿では、李志綏の記録をもとに、毛沢東の最後の様子について紹介する。
健康問題の悪化と専属医療チームの対応
毛沢東は晩年、長年の喫煙に起因する慢性気管支炎や肺気腫に苦しみ、さらに左肺に複数の空洞が確認されるほどの深刻な損傷を抱えていた。この影響で右肺の負担が増加し、呼吸困難が慢性化した。
医療チームはこれを補うため、1971年にキッシンジャーが中国を秘密訪問した際に提供されたアメリカ製の呼吸器を使用したという。また、1974年には運動ニューロン病と診断され、喉や舌、四肢の動きに影響を及ぼすこの病気によって、毛沢東は徐々に話す力や動く力を失っていった。
1976年6月26日、彼は2度目の心筋梗塞を起こし、体力はさらに低下した。
医療チームは24時間体制で彼を監視し、李志綏は病室に簡易ベッドを設置して、ほとんど仮眠を取る間もなく対応したという。
妻・江青の介入
毛沢東の治療は単なる医学的問題ではなく、政治的な緊張が常に影を落としていた。
妻の江青は治療中にも頻繁に病室を訪れ、医療チームに圧力をかけたり、独自の指示を出そうとした。
李志綏の記録によれば、江青は「主席はいつも安定している。あなたたち医者は病状を誇張しすぎだ」と医師たちを非難し、しばしば治療方針に干渉したという。
また、江青は毛の体調悪化にもかかわらず、看護師に対して自身の健康診断を強要したり、政治的な文書を毛に見せるよう命じるなど、治療環境を乱す行動を繰り返していたとされる。
1976年9月2日、毛沢東は3度目の心筋梗塞を起こし、病状はさらに悪化した。
この発作以降、彼の体力は著しく低下し、左側臥位でしか呼吸が安定しない状態が続いた。呼吸は機械による補助が必要となり、医療チームは血圧を維持するための薬物療法を行ったが、病状の進行を止めることはできなかった。
9月8日、毛沢東の容態は急速に悪化した。
その夜、江青が病室に現れ、「主席の体勢を変えるべきだ」と主張して無理に毛を右側に寝返りさせた。
この行動により毛の呼吸が一時停止し、医師たちは応急処置を行ったが、この出来事は彼の死期を早めた可能性があるという。
9月9日
1976年9月9日未明、毛沢東の容態は絶望的な状態に達した。
李志綏と看護師たちは最後の手段として、血圧を維持するための薬物投与を試みたが効果は乏しかった。
午前0時10分、毛沢東は心臓の鼓動を停止させ、その生涯を閉じた。
彼の枕元には、華国鋒(後継者に指名された副主席)、汪東興(中央警衛局長)、王洪文、張春橋(いずれも「四人組」の主要メンバー)が集まり、最期を見守った。
そして、その場で今後の政治的対応についての緊急協議が行われた。
毛沢東の死因については、中国政府の公式発表では「心臓発作(心筋梗塞)」および「パーキンソン病」と説明され、1976年9月9日に正式に死亡が発表された。
死後の政治的影響
毛沢東の死は、彼を神格化していた中国社会に大きな衝撃を与えただけでなく、共産党内の権力構造にも激しい変動をもたらした。
後継者として指名されていた華国鋒は、毛が病床で残した「あなたに任せる」とのメモを根拠にその地位を確立したが、その正当性は一部から疑問視されていた。
一方、江青を中心とする「四人組」は、毛沢東の威光を利用して権力掌握を狙い、積極的な行動を開始した。しかし、華国鋒と汪東興らは迅速に反撃し、毛の死から1か月後の1976年10月、四人組の逮捕を断行した。
この政治的クーデターは、毛沢東時代の終焉と同時に、中国が次なる時代に向けて動き出す転換点となった。
毛の死後、中国社会はその象徴を失ったことで大きな空白感を抱えたが、同時に新たな改革と再構築の必要性を突きつけられることとなった。
毛沢東の遺した影響と課題を抱えながら、中国は次の時代への一歩を踏み出したのである。
参考 : 『毛澤東私人醫生回憶錄』他
文 / 草の実堂編集部