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歴史と文化の新たな模様を織りなす、平戸「たねのわ搾油所」青木陽馬が伝える食文化

Qualities

安心・安全やおいしさの先にある、食文化を未来に残すこと

朝起きると、子どもたちの朝食を用意する。パンと牛乳、そしてソーセージに卵焼き。シンプルなメニューだからこそ、少しでも安心できる健康的な食材を使いたい。そんな気持ちで手に取ったのが、小ぶりな瓶に詰められた黄金色の菜種油。食材にスッと馴染み、自然なおいしさを引き立てるその名脇役ぶりは、毎日使うものだからこそ強く実感している。

製造しているのは、長崎県平戸市に小さな工場を構える「たねのわ搾油所」。昔ながらの圧搾方式で栄養や自然な風味を残したまま抽出する油は、少しずつクチコミで評判が広がっている。今では九州はもちろん全国から注文を受けるほど。地域に根付いた食材や昔ながらの食文化が見直される中、日本の歴史と結びついた伝統的な菜種油にも注目が集まり、各地の料理人からも熱い視線を受ける。

〈▲ ベーシックな菜種油を中心に、胡麻油や椿油、油を使った加工品を製造販売している〉

しかし全国的に見ても、小規模な油の生産者はごく僅か。かつては醤油や味噌のように地域ごとの油があり、その土地の食と密接に結びついていたが、戦後の高度経済成長とともにそうした文化自体が失われてしまった。

筆者自身「なるべく顔の見える生産者から」と、地元の醤油や味噌、酢、お酒などは手にとってきたが、振り返るとそこに“油”という発想がこれまでなかったことに気付く。どんなジャンルの料理であっても必要となる、身近な存在にも関わらずだ。

長野県から平戸市に移住して、油屋を始めた青木陽馬さん。妻のれんげさんとともに古民家を改修し、母屋の向かいに搾油所を設けたのは2017年のこと。安心・安全でおいしい手作りの油。それはゴールではなく日々続けていく過程の一つにすぎない。本当に目指しているのは、失われた文化を、もう一度、未来に手渡していくことなのだ。

PROFILE

青木陽馬

あおき・ようま。1980年、長野県長野市生まれ。高校時代の長野オリンピックで街の大きな変化を目の当たりにし、伝統文化の在り方に注目。東京農業大学に進学し、食の生産者という道に興味を持つ。卒業後にUターンした後、食品会社の転勤で長崎へ。生産者との繋がりに支えられながら、食を通じた地域の豊かさへの貢献を軸に考えて、2017年に平戸市で「たねのわ搾油所」を開業。妻のれんげさん、3匹の猫と暮らす。

日本の暮らしと密接に結びついた菜種油

長崎県北西部に位置する平戸市は、真っ赤な平戸大橋で本土とつながる平戸島と、その周辺に点在するおよそ40の島々から構成される。かつて長崎・出島が鎖国時代に唯一の海外文化の窓口になるより以前、南蛮貿易の拠点となった場所だ。中心地を一望する高台には平戸城があり、市内にはカトリックの教会が点在。辺境の地でありながら、むしろだからこそ、様々な文化や歴史がありのままの形で残っている街だ。

そんな平戸市に自宅兼工場を構える「たねのわ搾油所」へは、平戸大橋を車で渡って約15分。国道から細い山道を下った先に、大きな古民家が現れる。作業の手を止めて出迎えてくれたのは、青木さんご夫婦。若干緊張した面持ちのふたりに挨拶を交わし、まずは油づくりの基本について話を聞いた。

〈▲ 青木さんの暮らす母屋。搾油作業は向かいの建物で行っている〉

「菜種油とは、アブラナ科の植物から抽出された油です。加熱に強く酸化しにくい性質があり、どんな料理にも使いやすい特徴があります。日本では江戸時代から使用されるほど歴史が古く、もともとは食用ではなく夜に明かりを灯すために使われてきました。そして醤油や酒の蔵のように、その地域や村ごとに油屋があったんです」

油の原料となる菜種は、かつて水田の裏作として広く栽培。搾油作業も精米業者が期間労働として取り組む側面もあったそう。

「平戸藩の城下町だったこの地域にも、かつては13軒の油屋が胡麻油を作っていたみたいです。その後は菜種油だけではなく椿油も広く作られるようになって、生活になくてはならない商売だったんだと思います」

そんな油屋だが、昭和以降は時代とともに全国的に減少。戦後の高度経済成長期にかけて工場での大量生産が普及し、原材料となる菜種も海外産が一般的となった。厳しい状況の中、どうして青木さんは油屋という道を選んだのだろう……そんな疑問が頭に浮かんだころ、「そろそろ搾油の準備ができました」と声がかかる。話の続きを聞く前に、まずは搾油の現場を見せてもらうことにした。

時間と手間を惜しまない、昔ながらの搾油作業

建物内のコンパクトな空間に、大きな薪釜と見るからに年季の入った搾油機が一台ずつ並んでいる。「今日は浅煎りの胡麻油を作りましょうか」と、十分に熱した釜に大袋に入った胡麻を一気に投入する青木さん。時折、木のヘラでかき混ぜたり、手で触って温度を確認しながら、ゆっくりと加熱していく。少しずつ香ばしい香りが広がってきた。

炒りあがった胡麻を試食させてもらうと、ほんのり落花生のような風味。これを搾油機に入れて、機械で圧力をかけて油を絞っていく。少しずつ落ちてくる油には微小な外皮が含まれているため、約1週間かけて自然に沈殿させた後、上澄み部分のみ紙で濾して瓶に詰めて完成する。あんなにたくさんの胡麻から搾り取れる油は、大きなバケツの半分くらい。実際の工程を目の当たりにすることで、手作業の苦労と油の貴重さが伝わってきた。

〈▲ 圧搾機は戦後あたりに作られたもの。手入れをしながら大切に使用している〉

「基本的な作り方は江戸時代と変わりません。昔は石を積んだり、鑽を打ち込みながら締め上げたりしていましたが、物理的な圧力で潰して搾油する原理は機械も同じです」

時間も手間もかかる、昔ながらの搾油作業。それでも青木さんがその工程にこだわり続けるのは、フレッシュで風味豊かな油を味わってほしいという気持ちからだ。

「例えばヨーロッパには地域ごとのワインやオリーブオイルがあり、その土地の食を楽しむ上で欠かせない存在ですよね。日本においても同様で、平戸という土地ならではの味を作り上げてきたのは、地元で獲れた魚や野菜、そして地元で作られた調味料です。もちろんスーパーで販売しているサラダ油が悪いわけではありません。しかし地域の作り手がいないと、出せない味があると思うんです」

古くから受け継がれた味が消えていくのを放っておけない──そんな想いの背景には、彼自身がかつて目にした、ある“風景の変化”がある。

街が変化する中で、消えるもの、残るもの

長野県長野市の郊外で生まれ育った青木さん。のどかで自然に囲まれた環境だったが、高校時代、その景色は大きく変わりはじめた。1998年の長野オリンピック開催に向けて、県内では大規模なインフラ整備や都市開発が進行し、街の風景が一変したのだ。

その一方、地元の人にとっては素朴で日常の延長上にあるものが、県外の人にとっては新鮮で高く評価される様子も目にした。たとえば、今や全国区となった「いろは堂」のおやきや、善光寺参道の名店「八幡屋礒五郎」の七味唐辛子など。急速な変化の中でも、地域に根ざした文化が力強く残っていく様子が印象深く映った。文化の多様性と経済性の両立は、青木さんにとっての大きなテーマの一つとなる。

「見せ方やアプローチを変えることで、地域の伝統的なものに再び光を当てることができるかもしれない。そうすることで、経済的に成立させながら文化の多様性を守ことができるんじゃないか。そんな風に考えるようになったんです」

高校卒業後は長野を離れ、東京農業大学に進学。国際食料情報学部を選択し、自然環境と地域文化の在り方について学びを深めていった。中でも、青木さんのその後の人生に大きな影響を与えたのは、伝統産業の後継者として地元に戻る仲間たちの存在。

「違う学部ではあったんですけど、酒蔵や醤油蔵などの跡取りがたくさんいたんですよ。東京で新しい感性を学んで、それを持ち帰って地域に貢献するんだ!! という熱量がすごかった。そういう姿に触れて、自分もいつか食の生産に関わりたい、地域の中で文化や暮らしを支える仕事をしたい、と考えるようになりました」

卒業後は一旦地元に戻った後、改めて「食」を広い視点で学ぼうと決意。きのこの生産・販売を手がけるスタートアップに転職し、生産から流通、販売までの全体像を肌で学んだ。

やがて、その会社が長崎県西海市に新事業所と工場を設けることになり、青木さんが責任者として派遣される。こうして新たな土地での暮らしが始まった。

「長野で出会った妻が宮﨑出身だったこともあり、九州への転勤には家族で前向きに臨めました。実際、長崎は自然が豊かで、生産者もたくさんいて、本当にいい場所だと感じました」

仕事は順調に進んでいたが、青木さんの心の奥には、「文化と経済の両立」という高校時代からのテーマが再び灯りはじめていた。

「地元のために何ができるのか。食の生産を通じて、どんな価値を残せるのか。いろいろ考えた結果、やっぱり自分の足で立って挑戦したいと思ったんです。他のスタッフで工場や事業所を運営できる目処がついたタイミングで退職することを決意。このまま長崎に生活拠点を置きつつ、生産者として新たな一歩を踏み出すことにしました」

〈▲ 妻の青木れんげさんも農業に携わった経験があり、食に対する関心が二人の共通点に。平戸に移住後、油屋が軌道に乗るまでは地元の図書館で働いて家計を支えていたそう〉

油屋になることを、面白がってくれた仲間たち

食と文化が地続きになるような場所で、自分なりの仕事をする。そう心に決めた青木さんだったが、生産者としてゼロから事業を立ち上げるのは容易なことではない。そんな挑戦に、力強い追い風を与えてくれたのが、長崎で出会った仲間たちだった。

農家や豆腐屋、味噌屋、器屋。食に関心を持って県内各地のイベントに足を運ぶうちに、地域の伝統を自らの手で守り育てる同世代の生産者と出会い、人から人へとつながりが広がっていった。

「まだ具体的な目処はついていなかったんですけど、その頃にはもう油屋になろうと決めていて。菜種や胡麻の粒が入った袋を添えた名刺を配って、『この種が育つ頃には油屋になります』なんて言って回ってました(笑)。実際はそこから何年もかかってしまったんですけど、そういう話を、みんな面白がって受け入れてくれたんです」

新しい場所で自分からアクションを起こしたことについて「移住者なので、そもそも長崎はアウェイの状態からのスタート。早く溶け込みたいし、早く知り合い増やしたくて」と笑う青木さん。人を知ることが、その土地を知ることにも繋がっていった。

そもそも、なぜ油屋だったのか。青木さんは、「どれだけ地域の食の豊かさの増加に寄与できるのか」という基準で選んだと語る。豊かさの指標の一つは、その地域ならではの食文化の“幅”だと捉えている。

「地方で商売するなら、日持ちして日常的に使える調味料がいいと思っていたんですけど、平戸市にはすでに醤油や味噌、みりん、塩を作っている方がいました。せっかく始めるなら、既にあるものではなく、この地域にないものを作りたいと思ったんです」

東京農大時代に見出した、食の生産者というテーマ。家業を継ぐ立場だった多くの友人とは異なり、ゼロから道を切り開く青木さんにとって、地域にないものを選ぶのは、ある種の必然だったのかもしれない。

平戸市という場所に辿り着いたのも、人との繋がりがきっかけだった。県内の生産者との交流の中で、平戸で海水から手作りで塩を製造する「塩炊き屋」の今井弥彦さん、そして自家焙煎のコーヒーショップを営む「マメルクコーヒー」の杉山稔典さんから、平戸での開業を勧められる。

「色々悩みましたが、単純に誘ってもらえたことが嬉しくて」と話す青木さん。業種は違えど、身近に相談できる存在がいることは大きな心の支えとなった。

物件は「マメルクコーヒー」の常連客から情報をもらい、ちょうどいい大きさの古民家を発見。かなりボロボロでしたよ」と笑顔で振り返る青木さん。荷物の掃除から建物の改修まで、夫婦ふたりでほとんどを行った。

「最初はお金をかけて人にお願いするしかないと思い込んでいたんですけど、長崎で知り合った友人には、お店をセルフビルドした人が結構いるんです。それで立派に商売が成り立っていて、あ、そういう選択肢もあるんだなって思えたんです」

分からないことはなんでも人に相談。少しずつ準備を進めて、平戸に移住してから3年後に念願の「たねのわ搾油所」を開業。待ちに待ってくれた生産者仲間たちが最初のお客さんとなってくれた。

平戸の食文化の一つとして、伝え残していくこと


〈▲ 同じ長崎県の五島列島と同様、平戸市でも椿の花が広く咲いている。100%地元の椿を使った椿油は、その年の収穫量や品質に合わせて搾油作業を微調整するそう〉

油屋を始めた当初から、青木さんの思考の軸は一貫している。それは「地元の食文化の一部として、油を絶やさず作り続けること」だ。

「事業として成立しなかったとしても、他の仕事をしながらでも搾油は続けようと考えていました。月に一度でもいい。そういう気持ちでスタートしたんです。今の世の中って、完璧にこなすことが“プロ”の条件みたいになっていますけど、日本には本来、“どれだけ続けられるか”を重視する文化もあると思うんですよね」

その文化を「伝える」ことも、もう一つの軸となっている。

「たとえば自分が買い手だったとして、商品そのものだけじゃなくて、“どこで、どう作られているか”がわかった上で買った方が、きっと楽しい。それは酒蔵でも醤油の蔵でも器の窯元でも一緒です。商品を介して、その背景にある文化に触れてもらえたら嬉しいし、そうした接点を少しでも増やしていきたいと思っています」

〈▲ 地元の小学生の職場体験学習を受け入れている青木さん。「伝える活動は、まだようやくスタートラインに立ったところですね」(提供写真)〉

商売として成り立たせるための苦労は、開業当初から尽きない。

「開業前に熊本と岩手の油屋を訪ねて見学したんですけど、機械や環境が違えば製造方法も変わります。だから学んだことを、そのまま持ち帰ることもできず……思い通りの焙煎ができるまでは時間がかかりました」

販路の開拓も一からの手探り。経営計画すら立てにくかったという。

「味噌や醤油の世界では、若手の生産者が新しい提案をどんどんしています。でも油の分野では、若い人たちが受け継ぐ前に文化が途切れてしまった。今、40代の僕が“最若手”くらいなんです」

コロナ禍では販売数も落ち込み、西の端という地理的条件も「ネットがあるから大丈夫、とは簡単に言えない距離なんですよね」と青木さん。事実、イベント出店や発送業務にも大きな労力がかかる。

それでもなんとか続けられたのは、周りの人のあたたかさがあってこそ。

「開業前の準備期間、貯金は減る一方だし段々と焦るじゃないですか。でも長崎ってどこかのんびりしていて、みんないつかはできるみたいな感じだったんです。今もそうした感覚に救われている部分はあります」

地域に受け継がれた歴史という縦糸に、自分たちの新しい生業という横糸をかけ合わせる

平戸市は2022年12月にイタリア発祥の「アルベルゴ・ディフーゾタウン」のスタートアップ認証を取得。街全体を宿泊施設として捉え、地元の人との交流や文化体験を通じた観光のあり方を模索している。新たなゲストハウスやホテルの開業も相次ぐ中、青木さんはその流れを前向きに受け止めている。

〈▲ 工場には神棚があり、油の神様である京都・離宮八幡宮の油祖が祀られている〉

「平戸市には油だけでなく、味噌や醤油、みりん、塩、日本酒など、日本の食に欠かせない食材をつくっている生産者がいますが、小さな島でこれだけ揃っている場所は全国的にも珍しいと思います。製造の現場を見て、作り手の思いを知り、その場で味わう。そうした体験を通して、観光で訪れる人が地域の食文化の奥行きに触れるきっかけになればうれしいです。もちろん、誰かが引き継がないと、地域に根づいた文化は消えてしまう。でも、平戸にはまだまだ大きな可能性があると思っています」

今後は母屋の一部を改装し、油をはじめ平戸の地元食材や調味料を盛り込んだ昼食も楽しめる販売スペースを開設する予定。搾油作業の見学・体験にも力を入れていくつもりで、まさに平戸の食文化に触れる場所づくりを目指している。青木さんの食文化を伝える取り組みは、まだまだ始まったばかりだ。


油屋として平戸で生きていくことについて、青木さんは「暮らしを織る」という言葉で語ってくれた。

「この場所の自然や歴史、これまで積み重なってきた文化という縦糸があってはじめて、そこに僕たちが新しい生業を始めて横糸を張ることができる。その縦糸と横糸で、この地域だけの模様が出来上がっていくんだと思います」

「たねのわ搾油所」が地域と織りなす模様は、きっとどこか懐かしく、それでいて新鮮に感じられる。今日も、明日も、我が家の朝食準備の始まりは青木さんの菜種油とともにある。

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