戦国武将きってのグルメで美食家・伊達政宗の「正月料理」は超豪華だった!
「奥州の虎」と恐れられた伊達政宗。
冷徹な戦略家としての一面がある一方、文化・芸術を愛する美意識の高い持ち主で、新しいものに対する好奇心が旺盛だったことでも知られています。
そんな伊達政宗は、戦国大名きってのグルメ・美食家としても有名でした。
ただ美食を好むだけではなく、自身も包丁を握り新しい創作料理も開発していたという政宗は、いったいどのような正月料理に舌鼓を打っていたのか……探ってみました。
調理や配膳まで行うほど極めた政宗
「あと10年早く生まれていたら、天下を取っていただろう」といわれていた伊達政宗。
大きくシャープな金の三日月が付いた黒塗りの兜に黒い眼帯という、現代から見てもスタイリッシュな武将姿が有名です。
伊達政宗は、仙台藩62万石の基盤を築いた藩主として知られていますが、能楽や漢詩については武将随一と称されるほど芸術や文化にも精通していました。
さらに、自ら献立を考えて調理や配膳まで行うほど料理の道も極め、仙台名物の開発にもかかわったといわれています。
豪華な懐石料理も作れた政宗
伊達政宗が料理の道に進むきっかけになったのが、戦いの最中に兵士たちの体力を保つために欠かせない「兵糧食」でした。
「仙台味噌」の始まりといわれている、長期保存しても腐らない軍用の味噌の開発をはじめ、枝豆をすりつぶしたものに砂糖を混ぜて餅に絡める「ずんだ餅」も、伊達政宗が考案したメニューといわれています(諸説あり)
豆腐を凍らせて乾燥した「凍り豆腐」は「高野豆腐」が有名ですが、政宗が「兵糧食に向いている!」と目を付けたとも。
兵糧食開発だけではありません。
徳川家康・秀忠・家光の徳川家三代にわたり、江戸城下の仙台藩屋敷に招いておもてなし料理を振る舞っていたそうです。
『伊達氏治家記録』によると、全国各地から旬のものや珍味合わせておよそ60種以上の食材を使い、豪華な懐石料理を振る舞ったと伝わっています。
郷土の名産品を使った伊達家の正月料理
『命期集(めいごしゅう)』(伊達政宗の晩年の言行録)に、「馳走とは旬の品をさりげなく出し 主人自ら調理して もてなす事である」という言葉が記されているほど、料理や食材にこだわりを持っていた伊達政宗。
毎朝、豪華な二畳敷のトイレにこもり、二時間かけてメニューを熟考していたそうです。
伊達政宗が晩年に小姓の木村宇右衛門に語った言行録、『木村宇右衛門覚書』による「伊達家の正月料理」の例を挙げてみましょう。
奥田餅という大きな菱餅二種、先祖のための精進膳・組付・雑煮、三の膳まである本膳、七種の肴、餡餅などお茶請、果物類のお菓子と続き、最後に薄茶で締めています。
鮭氷頭(ひず)・ぶりこ(ハタハタの卵)・海鼠(なまこ)・白鳥の珍味・海鞘(ほや)・鮭子籠(さけこごもり/いくらを腹にいれたまま塩漬けにした鮭)、布海苔ほか、郷土の名産品が並ぶ豪勢なものだったようです。
他所から取り寄せた伊勢海老も入っていたという説もあります。
鮑や海鼠などが入った豪華なお雑煮も
また、仙台の雑煮といえば、お椀からはみ出すほどの大きな焼きハゼといくら、仙台せり、おひきな(大根・にんじん・牛蒡を細切りにして湯通ししたもの)が知られています。
けれども政宗の雑煮は、さらに豪華。
鮑を串に刺して干した串鮑、串海鼠、にしん、ごぼう、とうふ、大根、黒豆、菜の茎などががいっていたそうです。
また、食材だけではなく、陰陽五行説に基づき白・黄・黒・緑・赤を使った配色にこだわり、見た目の華やかさにもこだわったとか。
ただ、美食家で料理好きとはいえども、いつも豪華な食材を使った料理を食べていたのではありません。
「朝夕の食事うまからずとも褒めて食うべし」
(朝夕にだされた食事が口に合わなくても、うまいと褒めて食べればおいしく食べられるものだ)という言葉を残した伊達政宗。
普段の食事は質素倹約に努めて、正月や祝い事などのときには豪華な食事をするという、「はれとけ」を意識した食生活を送っていたそうです。
伊達巻と伊達政宗の関係
お節料理に欠かせない「伊達巻」。
一見、卵焼きのように見えますが、はんぺんなどの白身魚のすり身や砂糖が使われるのが特徴です。
伊達巻には、縁起のいい意味が複数あります。
︎昔の書物のような巻物形をしているので、知恵が増えて「学業成就」が叶う
︎豊穣の意味を持つ卵の黄色が「子孫繁栄」「夫婦円満」などの意味を持つ
︎華やかなので「豊かな生活が送れるように」という意味が含まれる
︎右巻きは「エネルギーを得る」という意味合いがある
「伊達巻」という名前は伊達政宗と何か関係があるのでしょうか。
政宗は、「平卵焼き」という魚のすり身と卵を使った料理を好んでいたそうです。そこで、平卵焼きのことを伊達巻きと呼ぶようになり、その後巻くようになったので「伊達巻」と呼ぶことになったという説があります。
おしゃれな伊達者だった政宗から名付けたという説も
派手でおしゃれな人を「伊達者(だてしゃ)」といいます。
その由来は、朝鮮出兵の武者行列の際に、伊達軍の武装がとても華美で、中でも政宗自身の装束がひときわ目を見張るほど華やかだったことから「伊達者」と称されたとされています。
政宗の好物で、なおかつおせちの中でも黄金色で一際華やかな存在なので「伊達巻」と名付けた……というのも、頷ける説ですね。
戦国武将にとって、1年の始まりである元旦は特別な日だったようです。
去年は1年間無事に生き延びれて新年を迎えることができた。けれども、来年も無事とは限らない。
今年も生き抜いていかねば……そんな覚悟を決める一年の始まりの一食目
正月料理にはそのような思いが込められていたのかもしれません。
参考:
東北大学附属図書館 仙台藩の食と名産品 伊達家の食事
農林水産省 宮城県 仙台雑煮
武士のメシ 戦国時代、『食』はひとつの武器であった 永山 久夫 (著)
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部