東から西へ!船の「カワハギ釣り」の今と昔…
周囲を海に囲まれた我が国ニッポンは紛れもなく海釣り天国、多種多様な魚がねらえるが、同じ魚種をねらうにしても、さらに同じ釣りジャンルといえど、地方によって独特のカラーがあるのが、何より古くからニッポン人が釣りに親しんできた証拠。
「あの釣りこの釣り古今東西」第17回は船からねらうカワハギ。北海道以南の日本各地に分布するカワハギは、全国的に釣りの人気対象魚であることに変わりはないが、船釣りとなると、とくに関東方面での人気がすさまじい。誰もが認める”東高西低”の釣りの代表格だった……これまでは。
おちょぼ口でエサ取り上手
釣れると嬉しい美味しい魚
「おちょぼ口」で愛嬌があるユニークな顔立ちのカワハギは、誰もが認めるエサ取り名人だ。たとえば防波堤や磯からの釣りでは、たまにハリに掛かってくるのだが、ほとんどは本命ではない他魚的な扱いにされることが多い。しかしその身や肝の美味しさで、リリースされずに釣り人の胃袋に収まることも多い「大歓迎の他魚」であることは間違いない。
とにかくエサをついばむように口にし、なかなか飲み込むことがない魚。とんでもなくハリに掛かりにくいカワハギだからこそ、たまにハリ掛かりしたときに喜ばれる度合いは”他魚界隈”ではナンバーワンだろう。
磯釣りや防波堤の釣りで、たまたまハリに掛かったカワハギは大歓迎の魚
専用タックルに独特の仕掛
関東の遊漁船では大本命魚
ところが船釣りではその地位がさらに向上し、とくに関東方面では本命魚のひとつとして古くから「カワハギ釣り」が盛んである。カワハギの繊細なアタリをとらえる敏感な穂先を持ったカワハギ専用竿に、一風変わったカワハギバリ(ハリ先が若干外側に開いている)を用い、エダスが数本ある胴突仕掛を用いる。
カワハギ仕掛はエダス数本の胴突式でエサはアサリのむき身がメイン
その仕掛のハリ元にはビーズ玉、最下部には派手でキラキラ光るオモリ、仕掛上部には「集奇(しゅうき)」と呼ばれるど派手な装飾品を付け、好奇心旺盛なカワハギの気を引くために独特なものが古くから開発されてきた。そして多くの釣り人が腕を競うように工夫を凝らし、熱い釣りを展開している。
仕掛上部の派手な集奇を利用しカワハギにアピールするのが関東流
(※左の商品は現在廃番となっています)
1980年代の関西では引っ掛け釣りが主流だった
近年、関西でも船からのカワハギ釣りは盛んになり現在では関東流の釣り方が浸透し一般的になっているが、この記事を書いている私自身が、関西で関東流の釣り方に初めてお目にかかったのは2000年を少し過ぎたころだったと記憶している。和歌山県は中紀、栖原という港から出船する船だった。
2007年3月、和歌山県は中紀エリア、栖原という港から出船した遊漁船での釣果
それ以前の関西(1980~1990年代)では、おそらく船からのカワハギ釣りは、いわゆる「引っ掛け釣り」が主流だったように思われる。ショウサイフグをねらう「カットウ釣り」とほぼ同じスタイルだ。
ショウサイフグをねらうカットウ釣り。かつて関西のカワハギ釣りといえば、このスタイルだった
21世紀初頭……
関東の波が関西にも
1985年に出版された『さかな大図鑑』(週刊釣りサンデー社)のカワハギの項の解説文にも、「関東では、エサ取りの名手をいかにして釣るかという研究も盛んで、船を使って競釣会もよく開かれる」とあるので、この時代の関西には関東流のカワハギ釣りがまったく浸透していなかったことは間違いない。
現在のようなカワハギ釣りは、1980年代の関西では皆無だった
その後、2003年発行の同社のムック本『船釣りおまかせBOOK』を見ると、「和歌山県三尾沖のカワハギ」の項には集魚板(集奇)を用いた仕掛が紹介されている。本文の出だし部分にも「関東方面では人気者だが、関西ではまだまだマイナーなターゲット」「秋の釣りものとして着実にファンを増やしている」となっているので、関西で関東流のカワハギ釣りが浸透し始めたのは21世紀に入ったころとみて間違いないだろう。
近年、関西にもカワハギを専門にねらう遊漁船が多くなった
防波堤や磯からの釣りもかつては「引っ掛け釣り」が盛んだった関西だが、近年ではカワハギをねらうために、わざわざ渡船を利用して沖磯に渡る人も増えている。その多くは専用の派手な胴突仕掛やアサリのエサを持ち込んで、船釣りさながらのテクニカルな釣りを展開している。
ウロコがないので(べりっと皮を剥ぐだけ)料理が楽だし、食べて美味しい魚なので、今後カワハギ党がさらに増えるのは間違いなさそうだ。