生き物の多様性こそすばらしい――長谷川眞理子さんが読む、ダーウィン 『種の起源』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
長谷川眞理子さんによる、ダーウィン 『種の起源』読み解き
「生物学」はここから始まった――。
たまたま起きる変異が自然淘汰を経て、新たな形質として獲得され種が増えていく――。進化とは枝分かれの歴史である――。進化の原動力を解き明かしたダーウィンの進化論については、現在も概ねその正しさが証明されている一方、弱肉強食、優生思想といった誤解もつきまとってきました。
『NHK「100分de名著」ブックス ダーウィン 種の起源』では、長谷川眞理子さんが、人類史を振り返る意味でも、ホモ・デウス化する人間の未来を見通す意味でも「必須の書」として『種の起源』を読み解きます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全5回)
生き物の多様性こそすばらしい(はじめに)
生物の進化について書かれたダーウィンの著書『種の起源』(一八五九年)を私が初めて読んだのは、高校一年の冬休みのことです。父親の本棚から古びた文庫本を引っ張り出してきて、こたつのなかで一気に読破しました。その時は、よく理解できないながらも「生き物全体を総括するような、すごいことが書かれた本だな」とだけ思ったことを記憶しています。同時に『ビーグル号航海記』も読みましたが、こちらの方はずっとわかりやすくて、わくわくしながら読みました。
子どもの頃から、鳥や植物の生態といった博物学的なことに興味を持っていた私は、その後、大学で生物学科に進みましたが、大学では「進化論」について教わる機会はほとんどありませんでした。その頃の日本の生物学界では、ダーウィンの進化論はただの「論」で、それよりも、新たに発展しつつあった分子生物学こそ、実証的な生物学だとして脚光を浴びていました。
そんななか、退官される先生が最後の授業で「進化の理論は、今後生物学全体を統合する重要なものになるはずだから、みんなにもぜひ知っておいて欲しい」とおっしゃって、動物の行動と進化について話してくれました。これが、私がダーウィンの進化論に再び興味を持つことになったきっかけです。授業を聞くうちに「そうか、高校生の時に読んだあの本は、こういうことを言っていたんだ!」と、いろんなことがわかってきたのです。
すべての生き物は「歴史の産物」です。物理学や化学では、対象の歴史的な変遷はあまり問題になりませんが、生物学は「今」だけに注目していては何も見えてきません。歴史のなかに散らばるさまざまな現象をジグソーパズルのように複雑に組み合わせながら「生命がいかなる道筋を経て、今に至るのか?」を探っていくのが生物学です。そうした壮大なパズル全体の完成予想図を、完璧ではないにせよ、私たちに最初に示してくれたのが、ダーウィンの著書『種の起源』なのです。
しかしこの本は、ダーウィンが自分の理論を証明するために、可能な限り数多くの事例を挙げて説明を試みていることから、冗長でまわりくどい文章になり、生物学に馴染みのない人にとっては読みにくく感じるかもしれません。また当時は、遺伝子の仕組みなどについては解明されていなかったため、間違った記述も少なからず見受けられます。そのためでしょうか、今ではダーウィンの著書を実際に読んだ人はあまり多くないと思います。
さらに残念なことには、「生存競争と自然淘汰の中で生物は徐々に変化していく」というダーウィンの考え方を「弱肉強食の論理」だと思っている人が非常に多いのです。なかには、ナチス・ドイツが提唱した優生思想(ユダヤ人差別)と進化論を結びつけて、人種差別を助長する論理だと勘違いする人までいる始末です。
これでは、ダーウィンが浮かばれません。『種の起源』をじっくり読んでいけば、それらの見方が表層だけをとらえた、とんでもない誤解であることがわかるはずです。ダーウィンは決して弱者を排除しようとしていたわけではないし、戦いを肯定していたわけでもなく、生物に関する科学的な法則を見つけようとしていました。逆に彼は、価値観という点では人種差別、奴隷制度の反対論者で、ミミズであろうともヒトであろうとも、すべての生き物は、上も下もなく平等であり、生き物は多様性があるからこそ素晴らしい──と考えていました。本書では、「進化とは何か?」について知っていただくとともに、ダーウィンと『種の起源』に対する誤解を解くことに主眼を置きたいと思います。
ダーウィンによる進化論は決して過去の理論などではありません。本のなかにちりばめられた疑問のなかには、未だ解き明かされていないものも多く、想像力が刺激されます。さらには、ダーウィンが仮説を立ててそれをさまざまなデータから証明していくくだりには、推理小説を読むような面白さがあります。それをみなさんに少しでも伝えることができましたら、ダーウィンの研究者として、またダーウィンのファンの一人として、これほどうれしいことはありません。
本書は、ダーウィンが著した『種の起源』という著作の内容がどんなものであり、ダーウィンがどのように考えて進化論を組み立てたかについて述べています。本書の第4章では、そうやってダーウィンが撒いた種から発展して、現代の進化生物学がどのような状況になっているか、いくつかの話題を取り上げて解説しました。また、最後のブックス特別章では、今の私たちの生物進化の理解とダーウィンの理解との間に、とくに大きなギャップが見られる話題を取り上げました。
ダーウィン自身の構想の大きさ、深さとともに、ダーウィン以後、進化生物学が明らかにしてきた生物の世界の面白さをじっくり味わっていただければと思います。
著者
長谷川眞理子(はせがわ・まりこ)
進化生物学者・総合研究大学院大学学長。野生のチンパンジー、ヒツジなどの研究を行なってきた。最近は人間の進化と適応の研究を行なっている。著書に『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)、『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社新書)など。訳書に『ダーウィンの「種の起源」』(ジャネット・ブラウン著、ポプラ社)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。。
■100分de名著ブックス 『ダーウィン 種の起源 ~未来へつづく進化論 』(長谷川眞理子著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書における『種の起源』の引用は、ダーウィン著、渡辺政隆訳『種の起源』上・下巻(光文社古典新訳文庫)によります。
*本書は、2015年8月に放送された「NHK100分de名著」の番組テキストを底本として一部を加筆・修正し、新たにブックス特別章「『種の起源』が開いた扉」、読書案内などを収載したものです。
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